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(回答先: 渡邉良明・母と語る小沢一郎論 森田実HPより全文転載 わが母の積年の願い 投稿者 てんさい(い) 日時 2010 年 1 月 16 日 18:07:06)
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【第2回】(2006.10.6)
信頼できる“真の政治家”
ある日、私は、母に単刀直入に訊ねた。「ねぇ、お母さん、小沢さんって、信頼できる人?」と。すると、母が即答した。
「私は、信頼しているよ。あの方は、どんなに人から悪く言われようと、弁解ひとつしない。それに第一、他人の悪口は、決して言わない方だね。私は、小沢さんは、今の政治家の中で一番、信義を尊ぶ方だと思うよ。それに、あの方は、確たる『政策』を持っているでしょうが。安倍さんは、”再チャレンジ”と言われるけれど、それこそニートといった、本来チャレンジもできない人々は、一体どうなるの? その点、小沢さんは、なかなかチャレンジできない人でも、希望を持って働けるような、そんな地道な施策をやってくれるような気がするんだよ。若い人たちが将来の展望を開けるような政治は、今の自民党のやり方では無理だね。
第一、政権が長すぎたね。確かに一時期、下野したことはあったけれど、一年足らずで返り咲いたね。でも、あの時、自民党員は、もっと“苦労”すればよかったと思うよ。そうすれば、その後、国民に対して、もっと“思いやりのある政治”ができたと思う。やはり、小沢先生に一度、国政を司っていただきたいね。私は心から、そう思う」と。
「だけど…」と、母は突然、口ごもった。「何?」と問えば、母は、「たとえ息子との会話にせよ、私のような草莽の一老婆の言葉を、かねてから尊敬していた森田先生のネットに載せていただくのは、余りにも畏れ多いことと思う」と、つぶやいた。
さて、われわれ人間にとって、無論、お金は大事である。だがあえて極言すれば、私は、人間にとって金品より“重たいもの”があると思う。それは、人間間の「信頼感」だと思うのだ。
かつて、日本人は器用、努力家、誠実と同時に、“信頼に足る”という徳性を持っていたと思う。
だが戦後、アメリカ(=ユダヤ)的な価値観が導入されて以来、人間間の「信頼」や「信義」が疎かにされた。そして、ただ勝者として勝ち残ればいいという風潮になってしまった。この傾向は、小泉内閣以来顕著となり、安倍内閣になって、今後、ますます加速化される気配さえある。
「信なくば、立たず」という言葉がある。政治家にとって「生死の狭間」とも言える選挙が、時にはお金の多寡や組織力によって左右される反面、人間(あるいは、国民)による「信頼」が、政治にとって、いかに大事かということを表わす言葉である。
言うまでもなく、「信」が「信」を呼び、“不信”が“不信”を招くのが、世の常である。つまり、他者から信頼されれば、人は信頼で応え、反対に信頼されなければ、自分も他者を不信の目で見てしまう。この世には、いろいろな人がいるけれど、一つの基準に従えば、その人が“信じられる人”か、それとも“信じられない人”かに大別されよう。
では、わが国の政治指導者の場合は、一体どうだろうか?
いたって正直に述べれば、私は小沢氏は前者で、小泉氏や中曽根氏、それに安倍氏は後者だと思える。無論、これには、異論もあろう。だが、それが軽妙な“ワンフレーズ”であろうと、「美しい」という形容詞だけの、単に耳に聞こえのいい言葉であろうとも、そこに“真実”や“実質”がなければ、聞く人の胸底には響かない。
それに後者のお三方に共通する性向は、各々が多少の差こそあれ、共通して、自己の言葉に陶酔する“ナルシスト”だということだ。他方、小沢氏は、常に語る言葉を一語一語選び、かつて一度たりとも、自分の語る言葉に酔うなどということはなかったであろう。
たとえば、彼らの「語る言葉」を文章にすると、おのずとその違いが分かろう。小沢氏の場合、先ずそのままの形で文章になる。だが小泉氏の場合は、ほとんどが感動詞と単語だけなので、もともと文章が成立しない。さらに安倍氏の場合は、飾り言葉や意味の分からない外国語表現が多く、一体何を言っているのかさっぱり分からず、結局、読み手にとって、“文章にならない”といった具合である。
ところで、母に、彼女が最近読んだ小沢一郎著『小沢主義』について、感想を聞いた。私が、「どうだった?」と問えば、母は、「この本は、私のような者でも、政策のことがよく理解できるように書かれていて、感動したよ。でも、小沢さんは、理知的であるがゆえに、山川草木“目に見えぬもの”に対する畏れを持っておられるのかどうか…。けれど、人に察知されぬところで大事にしておられる、と信じたい。だけど、この本を読む限り、小沢さんは、政策重視の“真の政治家”だと思うよ」という言葉が返ってきた。
“真の政治家”という母の言葉は重い。確かに、若い頃から“現場”を熟知し、重視する方であり、かつ「農」に生きる人々をよく知った小沢氏は、「選挙の重大さ」「人々の生活の大切さ」「何より国民のための政治」「国民の意識向上」「国民と政治家間の信頼と連帯」「日本人としての誇りと自信」などの大事さを力説する。
彼は、本著の中で、「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という至言について言及している。そして、「もし、日本の政治が貧困であるとしたら、その責任は他でもない。国民自身にある。僕はそれを言いたい」と断言する。この言葉は、一見酷薄な印象を与える。無論、この言葉の含意は、小沢氏自身でなければ理解できないかも知れない。
しかし、ここで、小沢氏は、まるで他人事のように“国民だけを”糾弾しているとは思えない。つまり、あえて理屈を言えば、彼自身、その責任ある日本国民の「一人」でもあるのだ。言うなれば、これは、決して単に他者を責める言辞ではなく、むしろ、御自分を含めた日本の全国民に対する”自己批判”の一文でもあると思うのだ。
そして、先述した「信なくば、立たず」と、常に自らを律して国政に関わってきた政治家は、他の誰よりも小沢一郎その人だったのではないだろうか。私は最近、その思いをますます強くしている。
何より大事な点は、小沢氏は若き日に、日本の「歴史」に通暁した結果、今後、必ず到来するであろうわが国の未曾有の“国難”を、誰よりも強く、かつ深刻に認識したということだ。若き日に、彼は、自らの眼前に、“何か、大変なもの”を観たと思う。“何か”を実感したと言ってもいいだろう。この認識の深さとその卓抜な想像力は、自民党の政治家諸氏の比ではないと思う。そして、この今後の“国家的危機”に果敢に挑戦し、それを克服するに足る政治指導者こそが、私は、小沢一郎氏自身であると思う。
彼はまた、貧しく、かつ弱き人々の真の苦しみや“痛み”を充分知っている人でもある。むしろ彼は、この方々と同じ「目線」で、いつも日本の政治を観ている。この感性は、彼が宮沢賢治や石川啄木と同じ岩手県の出身であることと、決して無関係だとは思えない。
そして、何より彼は、単に若者だけでなく、国民一人ひとりを、心底信頼しているのである。それゆえ本著で、彼は、次のように確言する。「僕は信じる。日本は変わることができる。日本人は自己改革しうる」と。 国民と政治指導者が互いに信頼し合えてこそ、本来の「政治」や「政治改革」が可能だと思うのだ。
小沢氏は、政治家と国民が互いに信頼し合い、ともに協力・協働できる国づくりを目指している。そして彼は、われわれに、こう訴えているように思えるのだ。つまり、「皆さん、日本を公正な、もっといい国にしていこうではありませんか!」と。私はそこに、信頼できる“真の政治家”を見るのである。(つづく)
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【第3回】(2006.10.13)
真に勇気ある政治指導者
ある日、私は母に、政治家の勇気や“忍耐強さ”について訊ねた。「ねぇ、お母さん、勇気や“忍耐強さ”という点で、今の政治家を、どう思う?」と。すると、母は、答えた。
「今の政治家は、昔の政治家に比べると、勇気のある人や忍耐強い人が、少なくなったような気がするよ。例えば、戦時中、中野正剛(1886〜1943)は、東條英機を真正面から批判して、結局、自決に追い込まれたけれど、演説なんか、それは魅力的だったそうだよ。でも、かつての中野さんのような人は、今はいないね。それに、昔の政治家には、『国家』という理念が、ちゃんとあったけれど、今の政治家には、自分の名誉心や功名心しかないんじゃないかと思う」と。
そして、こう続けた。「とくに若い政治家は、自民党員も民主党員も、功を焦って落伍する人や、人間的な未熟さから馬脚を表わすような人が多い気がするよ。若い方々には、まだ何か“大事なもの”が足りないように思う」と、いささか辛口の批評となった。
そして、こう付言した。「若手の人々(特に、若い民主党政治家)が、しっかりと 小沢さんの度量の深さや忍耐強さといった“いい所”を見て、もっと学んでほしいと思う」と。
私は時折、ほぼ10年前に、2年間ホノルルで研究生活をした日々のことを思い出す。月1度の割で訪ねた遠縁のドロシー・ミヤムラさん(ハワイ生まれの日系アメリカ人2世)がよく語っていた。「今どきの子は堪え性がないね」と。つまり、みんなが短気、短絡的で、我慢することができなくなったというのである。私は、妻と二人で、彼女の言葉を心から頷きながら聴いていた。
だが、これは現代の日本人についても言えよう。人々がじっくりと“待つ”とか“耐える”とかいうことができなくなったように思える。自らの欲求が即座に充足されなければ耐えられないという人々がおそろしく増えたように思う。たしかに、現代の日本人に“忍耐心”が欠如していることは事実である。それは、「キレル」などという、心も品もない言葉によって明らかである。
しかし、これは、日本の政治の世界についても言えよう。だが、ここに、例外的な人物がいると思う。それが、本稿の対象である小沢一郎氏である。
私は、小沢氏は真に勇気ある“忍耐強い政治指導者”であると思う。周知のごとく、小沢氏をはじめ、東北出身の人々は“忍耐強い”ことで有名だ。とりわけ、小沢氏の今日における民主党党首としての「原点」は、1昨年7月、彼が自由党を解党して民主党と合流する決断をしたことにあったと思える。
平野貞夫氏によれば、このとき民主党が提示した条件は、小沢氏や当時の自由党員にとって、まことに屈辱的なものだった。要点は、(1)民主党を存続政党とし、自由党は解党する、(2)代表を菅氏とし、執行部も民主党のままで代えない、(3)規約及び政策は、民主党のものを継承する、などであった(『虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実』講談社より)。まさに、政党間の「吸収合併」である。
だが小沢氏は、あえてこの苦杯を呑み干した。それは、巷で言う「損して得とれ」という思いからというよりも、むしろ私は、小沢氏は、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」の腹をくくった心境だったと思う。
彼は人生の要所要所で、他の誰よりも自分を「無にできる人」ではないだろうか。いや彼は、つねに無心、無欲で、重要な出来事に十分対処できる人なのである。換言すれば、彼にとって、“すべては天命”なのだ。 しかし、小沢氏による自由党解党後、合流先の民主党執行部は、周知のごとく、大きく迷走することになる。そして、菅→岡田→前原といった具合に、党執行部は猫の目のように変わった。
そのような状況になる前、母がふと私に“予言めいた”言葉をもらした。それは、「今に見ていてごらん。民主党では若手の指導者が立つだろうけれど、きっと経験不足で、にっちもさっちもいかなくなると思う。そしてみんなで、いつかきっと『小沢さん、どうかお願いします』ということになると思うよ」というものだった。 実際、母の言うとおりになってしまった。だが母は、決して占い師でもなければ予言者でもない。 むしろ、母は無類の本好きである。少女時代、本好きが嵩じて、彼女は文学書を親に隠れて押入れの中で読んだ。だが、懐中電灯の明かりで読んだせいで、小学校の高学年で近視になってしまったという女性である。母が少女時代を過ごした家は、電灯の明かりを無闇に使うなど勿体無いという貧しい時代の、貧しい家庭だった。
そんな母に「最近の愛読書は?」と尋ねると、「『諸君!』(文藝春秋刊)だよ」と答える。かつては『文藝春秋』だったのだけれど、いつの間にか、文章の量が多すぎて本自体も重たく感じるようになったようだ。そんな母の思いにマッチしたのが、量的にもコンパクトな『諸君!』だった。創刊時以来であるから、随分と長い付き合いだ。
なかでも最初に読む箇所は、冒頭のコラム「紳士と淑女」だという。母は、「それを一番に読み、自分の考えと全く同じだと思うと嬉しい」と楽しそうに答える。だが、このコラムの筆者も、常に小沢氏に対しては“辛口”かつ批判的なようだ。そのたびに、母は「ああ、この人も反小沢派だなと思う」と言う。しかし、この点だけは、母は「同意できない」と強い口調で語る。
たしかにそのコラムを読んでみると、書き手の“小沢蔑視”、時には“小沢憎し”が濃厚に伝わってくる。コラムの行間を読めば、小沢氏は、昔と変わらぬきわめて権力づくの“マキャベリスト(権謀術数に長けた政治家)”で、中国共産党と密かによしみを通じ合う「売国奴・政治家」のようだ。だが、このような偏狭かつ低劣な「レッテル貼り」を、母は心底、承服できないのだと思う。
ところで、森田氏はある講演のなかで次のように語られた。「ブレーキのない社会はブレーキのない車と同じで、きわめて危険である。わが国はブレーキの利かない社会になろうとしている」と。たしかに、われわれ一人ひとりがこの社会の“ブレーキになる勇気”を持つべきなのではないだろうか。
現代日本人には、そういった“真の勇気”が求められていると思う。古代の哲学者アリストテレスは、勇気を蛮勇と臆病のどちらにも偏しない“中庸の徳”とみた。彼の師プラトンは、勇気を「畏るべきものと畏るべからざるものとを識別すること」と観た。また彼の師ソクラテスは、勇気を“思慮のある忍耐心”と説いた。 今日、この“思慮のある忍耐心(=勇気)”を最も力強く有する政治家こそ、私には「小沢一郎」その人であると思えるのである。【つづく】
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【第4回】(2006.10.20)
西郷隆盛の「魂」を持ち、大久保利通の「頭脳」を有する政治家
10月18日(水)午後3時より、安倍総理と小沢民主党党首との間で、初めての「党首討論」が行われた。
前半、小沢代表は安倍総理に、「憲法改正の理由」を訊ねた。また後半、小沢氏は、日本の北朝鮮への対応に関して、有事を前提とした「周辺事態法」を、今回の国連制裁決議に適用しようとするかにも見える政府の行き過ぎや論理的矛盾を突き、そのアメリカ追従の“場当たり的な対応”を鋭く批判した。
そこで露呈したことは、安倍総理の憲法改正に関する認識や考え方が極めて不明瞭、かつ不明確であることだ。
また、「周辺事態法の想定する事態と、国連の制裁はどういう性格を持つのか」という両者の”質的差異”について問うた小沢氏の基本的質問に対して、安倍総理は、明快に答えられなかった。
実際、彼は、小沢氏の質問の意図さえ汲めず、単に「べき論」を、縷々述べたに過ぎなかった。総理の、あの程度の認識力や把握力では、党首間の正当な議論など望めないのではないだろうか。至って正直な感想を述べれば、“未熟でお粗末な政治家や国民が、未熟な指導者(=総理)を支持することの、何と愚かで不幸なことか!”という思いである。
これに対して小沢氏は、終始冷静で、皮肉の一つも言わず、常に“論理性”を尊ぶ、理性的な態度だった。 この両者の場面を見ながら、私はふと、ある日の母との会話を思い出していた。
ある日、私は、歴史物の好きな母に訊ねた。「お母さんは、大久保利通と西郷隆盛の長所について、どう思う?」と。
母は、しばらく考えた後、こう答えた。「大久保さんのいい所は、やはり何より我慢強くて、知的なところだね。あの人がいなければ、明治維新は成功しなかったと思うよ。西郷さんのいい所は、人を差別せず、情が濃やかで豊かなところだね。あの方の『敬天愛人』という言葉は、いつの時代にも通用すると思うよ」と。 「じゃ、お母さんは、大久保さんと西郷さんと、一体、どっちが好き?」と問い直すと、母は、即座に答えた。「好きと言えば、やはり西郷さんの方だね」と。
ところで、自分が語る“対象”にあまりに岡惚れしたり、過大評価や神格化をしてもいけない。だが、小沢一郎氏を、端的に表現すると、私は、次のように考える。つまり彼は、「西郷隆盛の『魂』を持ち、同時に大久保利通の『頭脳』を有する政治家である」と。
しかし、この表現に異論を唱えるのは、誰よりも小沢氏本人であろう。「それは、買い被りです。僕は、そんな大人物ではありません」という沈着・冷静な氏の御声が聞こえてきそうだ。だが、それでも、私はあえて、上記のような“人物表現”をしたいのである。
彼の著『小沢主義』を読むと、彼の大久保利通に対する、誰にも負けない敬愛の情が伝わってくる。
小沢氏は語る。「維新の志士たちの中で、僕が最も尊敬するのは大久保利通である」と。
彼は続ける。「大久保は西郷隆盛、木戸孝允と並ぶ『維新の三傑』の一人だが、策士という印象があるから、けっして人気は高くない。しかし、政治家として見れば、彼は明治の元勲の中でも一頭地を抜いた存在だ。大久保は当時の日本が置かれていた状況を冷静に把握した上で、改革を大胆に推し進めた。その結果、さまざまな抵抗や反発を招き、ついには旧友で同志でもあった西郷隆盛と袂を分かつことになったわけだが、そこでも私情を挟むことなく、日本の独立と近代化のために西郷たちの反乱を断固鎮圧し、近代日本の礎を築いた。この大久保がいなければ、明治維新という大革命も途中で挫折していたかもしれない」と。
引用が少々長くなったけれど、この文中に、明治維新という大改革のために、大久保利通が、あえて非情に徹したことへの、小沢氏の無上の共感が表われていると思う。端的に言って、小沢氏自ら、あえて“平成の大久保利通たらん!”と考えておられるのかも知れない。
だがこれは、かつての小泉氏による織田信長との同一視のような、あまりにも自己愛的で軽佻浮薄なものではない。
何より、小沢氏の文章の中に、ひじょうに重要なキーワードが存在すると思うのだ。それは、「日本の独立」という言葉である。あの福沢諭吉が「一身独立して、一国独立す」と述べた視点とほぼ同様な視座から、福沢をこよなく敬愛する小沢氏は、「日本の独立」ということについて、人一倍腐心していると思う。大久保も、幕末から明治初期にかけて、まさにこの一点にこだわっていたと思える。つまり彼は、吉田松陰や高杉晋作同様、日本を「第二の清国(いわゆる半植民地国家)」にしてはならないと真剣に考えていたと思うのだ。
実は、「日本の独立」という問題は、幕末や明治期だけでなく、今日的な問題でもある。つまり現在、日本は「真の独立国」と言えるだろうか? まさに半植民地国のようなものではなかろうか? 小沢氏は、そのような視座から、明治初期の大久保利通の業績を正当に評価しておられるように思える。私が本稿で、大久保の「頭脳」というのは、まさにこの点からである。
次に、西郷隆盛についてであるが、今まではよく「西郷か、大久保か」という形で論じられてきた。例えば、征韓論か反征韓論か、日本主義か欧化主義か、「富民有徳」か「富国強兵」か、精神主義か物質主義か、あるいは「縄文的」心性か「弥生的」心性か、といった対立的な視点から、両者が論じられてきたと思う。 往々に両者は、単に表面的な差異で対立的に取り扱われてきたと思うのだ。
だが、“愛国”という一点では、両者は同一だったと考えられよう。それに何より“私心の無さ”では、両雄は一体だったとさえ言えよう。実際、両者は共通して金銭や物質に対して、きわめて恬淡だった。「子孫に美田を残さず」と言った西郷の言葉は余りにも有名である。だが大久保も、どれほど政府の要職を占めようとも、決して利殖に走ることはなかった。それゆえ、大久保の暗殺後、家族は、利通が残した巨額の借金(当時のお金で8千円)に苦しめられた。その内実は、「殖産興業」政策の遂行の一部に、彼が私財を投げ打ったがゆえであった。
両者は、表面的な違いにもかかわらず、内実的には、きわめて近い「愛国者」だったと言えよう。
とくに、西郷は、「人を相手にせず、天を相手にすべし。天を相手にして、己れをつくし、人をとがめず、我が誠の足らざる所を尋ぬべし」と述べている。これは、決して「人を無視せよ」ということではなく、常に「天命」を信じ、それを冷静に待って、しかるのち、自らの責任で果敢に行動せよ、ということだと思う。今までの小沢氏も、まさにこの思いではなかっただろうか。
また、長くなったけれど、次の点も述べておきたい。司馬遼太郎の『翔ぶが如く』にも描かれているように、豊前中津の藩士増田栄太郎(*彼は福沢諭吉のまたいとこでもあった)は、西南戦争で西郷に殉じようとする理由を問われて、「一日接すれば一日の愛あり、十日接すれば十日の愛あり。故に先生の側を去るに忍びず」と言い残している。
だが、最近の小沢氏も、まさにこの西郷に近い人柄や品格を備えておられるのではないだろうか。生涯、このような人物に出会えることは、人間にとって、この上ない幸せだと思う。
小沢氏自身、西郷の「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものだ。だが、この始末に困る人でなければ、艱難をともにして国家の大業をなすことはできない」(現代語訳)という言葉を愛しておられる。
私は、小沢氏自身が、この思いで、今まで実際の政治に関わってこられたと思う。私はそこに、彼の“無心・無欲・無私”の精神を見るのである。小沢氏が“西郷の「魂」を持つ”とは、まさにこの精神ゆえである。
だが、大久保自身、この西郷の言葉を聞いて、「まっこと、その通りでゴワス」と相槌を打つように思える。
このように書くと、多分、天界の西郷と大久保に笑われるかも知れない。
しかし、私には、天界の両雄が、心から小沢氏と若き民主党員の方々の今後の活躍を期待しているように思えるのだ。皆さんは、どう思われるだろうか?【つづく/次回は10月27日(金)に掲載します】
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第5回(2006.10.27)
“絶対善”としての政権交代
「逆境は、最良の教師である」と語ったのは、19世紀のイギリス首相ディズレーリ(1804〜81)である。
目下、民主党は、苦境の直(ただ)中にいる。だが、民主党の闘いは、まさにこれからだ。
私は、いかに敗北したとはいえ、神奈川16区を雄々しく戦った後藤祐一氏と大阪9区で奮戦した大谷信盛氏の健闘を讃えたい。それに小沢党首はじめ菅氏や鳩山氏、並びにその他の民主党議員と支持者・支援者の方々の御努力に心からの敬意を表したい。有能な後藤、大谷の両氏は、まだお若いのだから、今回の経験を糧にして、再起を期してほしいと思う。
実は、このたびの補選の結果について、私は、母に尋ねた。「今回の補選の結果を、お母さんはどう思う?」と。
母は答えた。「(民主党は)負けはしたけれど、大差での負けではなくて、みなさん、よく善戦されたと思う」と。それは、母の至って正直な感想だった。
周知のごとく、このたびの選挙は、自民党と民主党との戦いというよりも、むしろ「自公」と非「自公」(ただし共産党以外の)との戦いだった。それは、「組織」と「どぶ板」との戦いだったとも言えよう。
朝日新聞(10月23日付朝刊)は「『小沢流』選挙に限界も」と報じ、毎日新聞(同左)も「民主『小沢頼み』限界」と、両紙とも、いわゆる“小沢限界”論や“小沢翳り”説を展開した。だが、果たしてそうだろうか?
私は、決してそうは思わない。
私は、「どぶ板選挙」こそ民主主義の原点であるとみなし、「選挙運動は川上から」という小沢氏の持論は、まったく正しいと思う。むしろこの、現場を重視する精神をなくしたら、日本の民主主義はますますひ弱なものとなろう。
確かに、選挙において「組織」の力は強い。今まで多くの選挙が、各政党の“組織力”で戦われたことは事実だ。だが反面、この「組織」とは、いかに不実で無責任なものであるか。つまりそこでは、構成員一人ひとりの確たる信念や良心、それに意見は無視され、ただ「組織」の上層部や一人の“独裁的指導者”の一存ですべてが決せられる。だが、民主主義国家日本で、これは、実におかしなことだ。まるで、ファシズムそのものではないか。
事実、西日本新聞によると、去る9月22日に、安倍氏と創価学会名誉会長・池田大作氏が密かに会った。大阪の補選では自民党の苦戦が予想されていたのだが、自・公協力で大阪では3万5000票は期待できる(自民選対)と考えられた。無論、この「組織票」は大きい。いや、“決定的”とさえ言える。
だが、今回の大阪補選での自民・民主の得票差は、1万8802票である。誰の目にも明らかなように、創価学会票が今回、大阪補選の形勢を逆転させた。万が一、自民党に対する学会票による助勢がなければ、今回の自民、民主の結果は、明らかに逆転していた。
今回の選挙は、安倍総理の初陣と考えられたが、学会員にとっては、何よりも太田昭宏・公明党代表の初陣だった。それは、彼らにとって、“絶対に負けられない(いや、負けなど考えられない)”一戦だった。 だが今回、何より自明なことは、いかに敗北したとはいえ、民主党は、“創価学会に頼まずとも”十分に選挙を戦えるということである。これに対して、自民党は、もはや創価学会の協力なしにはやっていけないのである。
何気ないことだが、この差は、実に大きい。目先の利益に目が眩み、また“背に腹はかえられぬ”思いで創価学会の力を借りている自民党は、年を逐うごとに凋落せざるを得ないであろう。
自民党が「学会」に依存する限り、民主党は短期的に負けることはあっても、長期的には必ず勝つ。威勢のよい内閣府や自民党本部に“祇園精舎の鐘の声”が聞こえ始めていることを知る心ある自民党員は、今はまだ少ないかもしれない。だが今後、その数はますます増えることだろう。 誰が考えても、自民党は、もはやかつての自民党ではない。
今回の補選応援演説のなかで安倍氏は、小沢氏に対して、「かつて自民党にいた人たちが自民党を批判している。しかし、今の自民党は、かつての(小沢氏がいた頃の)自民党とは違う」と力説した。たぶん、安倍氏は、金権・腐敗した大派閥(=田中派)による強権・強圧政治のかつての自民党と今の自民党とは違う、と言いたいのだろう。
だが実際は、派閥は少しも解消されてはおらず、ただ「田中派」が「森派」にかわっただけではないか。それに金権の温床とも言える巨額の政治資金は、竹下登亡き後、自民党参院議員会長の青木幹雄氏が、後生大事に(?)に継承しているではないか。どこが、どう変わったというのか。
ちなみに、あまりに知られていないことだが、1994年1月、社会党が連立政権から離脱して、村山富市政権が誕生したが、あの「どんでん返し」を裏で画策し、小沢氏を下野させたのは、竹下登だった。彼は、大蔵大臣や総理大臣としてはまったく無能だったけれど、このような策謀にかけては、人一倍、巧者だった。(筆者は、この事実を、日本ではなく、ハワイ在住の際に耳にした。)
確かに、かつての自民党には、派閥間抗争による活力もあり、それほど創価学会の力を借りなくても十分やってこられた。だが今では、創価学会の助力なしには政権を存続できない状態だ。この意味で、安倍氏が
「今の自民党は、かつての自民党ではない」と言われるのであれば、私は、彼の言葉に心から賛同したい。 しかし、この現実を考慮する時、自民党と民主党と一体どちらが、“自立した”強力な政党と言えるだろうか。「いつまでも 満月と思うな 自民党」という、心ある人々の声さえあるぐらいだ。
考えてもほしい。日本の長い歴史を見ても、たとえば源頼朝は、平家に対して初めから強かったわけではない。初戦の石橋山の合戦では完全に敗北し、命を奪われそうになったところを、平氏側の梶原景時に助けられた。足利尊氏も、一時期、南朝方に負けて、九州まで敗走したことがあった。その後、彼は、西国諸将の助勢を得て、再度上洛したのだった。
本当の強者や強い組織の試金石は、数々の苦難や逆境に、どれほど雄々しく耐え、果敢に盛り返していけるかだと思う。高校野球でも言うではないか。「ピンチの後にチャンスあり」と。
それに、“太陽はいつも輝いている”のだ。どんなに雨が降ろうと、雪が降ろうと、太陽は天空で、いつも燦々と光り輝いている。決して、悪いことばかり続くものではない。よく言われるように、「夜明け前が一番暗い」のだ。
ところで、本稿で、あえて次のことを述べたい。
古い話だが、古代ギリシヤの哲人ソクラテスにとって、「善」とは、同時に美しく、かつ正しい(=真)であった。つまり彼にとっては、「真」も「善」も「美」も、まさに一体だった。そして、人が真・善・美のどれか一つさえ自ら知った(つまり、実感した)ならば、その完成を目指して行動(=実践)しなければならないと、彼は同胞に訴えた。
確かに、実際の政治は、往々にして政治家やそれを取り巻く人々の「利(=利害・損得)」で動く。だが私は、「利」だけで動く政治を、決して“美しい”とは思わない。そこには、「美」などないと思う。「利」とは結局、人間の欲望や集団のエゴによって成り立つものだ。
自公連立政権は、結局、両党間の「利」による結びつきだ。言うまでもなく、それは、「義(=正義)」や「理(=道理)」による結びつきではない。それは、パートナーが余りに強くなり過ぎればおのずと警戒し、反対に弱くなればもはや相手を捨てるというような、実に“薄情な関係”である。
しかし、小沢一郎氏は、政治行動において、決して目先の「利」ではなく、あくまで「義」と「理」を尊ぶ。今日のわれわれ日本人に欠落しているのは、この「義」と「理」の精神ではないだろうか。
小沢氏にとって、政治はあくまで「正(あるいは義)」であり、人々の生活そのものなのだ。人々の幸せや生活の安定・安心、それに真の日本の平和と日本人の世界への理想的貢献こそ、彼が心から求めるものである。そのために、彼は自著『小沢主義(オザワイズム)』の中で、仁徳天皇の「民のかまど」の話をわれわれにわかりやすく説いているのだ。
そして、小沢氏が、これらを真に実現するために是非とも果たさなければならないと考えている「理」こそ、まさに“政権交代”である。この思いは、彼が国会議員になってこの方(37年間)、ずっと彼の頭と心の中に存在している。それを真に可能ならしめる有効な手段として、小沢氏は、「小選挙区制」の導入を真剣に模索し、かつてその線に沿って政治改革を断行したのである。これは、昔日の鳩山内閣や田中角栄内閣でも試みられたが、結局、実現されなかった。それを実現したのは、誰よりも小沢一郎氏である。
私は今日まで、「絶対」とか「絶対に」とかいう言葉を使ったことはない。だが、この世にも、「条件つきで」とか、「相対的に」ということではなく、むしろ“絶対的な善”と言えるものが存在するように思う。 今日の日本で“絶対的な善”と言えるもの、それが「政権交代」だと思う。だが「政権交代」は、決して“絵に描いた餅”ではない。むしろ、みんなが一念に信じて、そのために一致団結して行動すれば、必ず実現すると思うのだ。
私は、今までの生涯の全思念をかけて思う。日本での「政権交代」は、“絶対的な善”である、と。そして、日本国民の一人ひとりが、その実現に向けて前進すべきである、と。
その旗を高く掲げる政治指導者こそ、小沢一郎氏であり、民主党の心ある同志たちなのである。
今こそ、民主党よ頑張れ!
次代は、決して自民党や公明党のものではない。むしろこれからは、真に人々の生活とその希望を尊ぶ民主党の時代なのだ。
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第6回(2006.11.3)
国民とともに真の「教育改革」をめざす小沢・民主党
今、わが国の教育界が大きく揺らいでいる。一つは、“いじめ”による自殺の問題。二つ目は、高校における必修科目の「未履修」問題である。両問題は、一見無関係のように見える。だが、これらの問題は、戦後教育の根本的な欠陥が露呈された現象とは言えないだろうか? つまり、今日、本当の意味での“教育” がなされていないと思う。
換言すれば、今日の教育は、「教育」とは名ばかりで、生徒を一人の自主的な人間として、かつ一個の“人格”として、責任を持って育てていないのではあるまいか。言うなれば、常に「教員(あるいは、関係者)本位」で、真に児童や生徒の立場に立った教育がなされていない、と思うのだ。
ある日、私は、母に訊ねた。「お母さん、昔の先生って、どうだった?」と。すると、母が答えた。「先生は、あくまで『先生』であり、尊敬すべき“存在”だったよ。また、十分尊敬できたよ。それに、小学生の時に受けた躾を、この年になっても忘れられないよ。私は、Y先生のお蔭で、一人前になれたと感謝しているよ」と。
ところで、次のような言葉がある。「今日を楽しむ者は、花を活けよ。一年先を楽しむ者は、花を植えよ。十年先を楽しむ者は、木を植えよ。百年先を慮(おもんぱか)る者は、人を育てよ」という言葉である。
この“人を育てる”ということが、まさに「教育」である。ところが、今の日本の教育は、どうだろう?
真に子どもたちを“育てている”だろうか? たとえば、今の学校に、心からの“感動”があるだろうか?
児童や生徒は、校内で自分自身を思い切り表現したり、“自己実現”できているだろうか? 先生たちは、生徒たちに「信頼」や「勇気」の大切さを、身をもって教えているだろうか? 何より、先生たちは、彼らに将来に生きる“希望”を与えているだろうか?
そこでは、単に知識を“詰め込む”ということだけに重点が置かれているのではないだろうか。私は、何か“大事なもの”が欠けているような気がする。つまり、今の学校では、「知」「情」「意」「体」のバランスを保ち、「知育」「体育」「徳育」の三育を平等に奨励するという姿勢は崩れ、ただ“東大その他の有名大学や医学部に合格できればエライ”という風潮が蔓延している。そのため、他人に対してまともな挨拶もできず、「ありがとう」という大事な一言も言えないまま、社会に送り出されるコンピューター・ロボットのような若者たちが出現してしまう。
とはいえ、決してそのような子どもや若者たちばかりではない。なかには、本当に心優しく高い徳性を持った子どもや若者もいよう。だが、中学校の教室内で、同級生が落とした消しゴムを拾ってあげると、その生徒に対して、「偽善者にもなれない偽善者」などと言って罵倒するような、「教師失格」以前に“人間失格”とでも言えるような教師が存在する。これが、昨今の現実である。時として学校は、閉ざされた“暴力空間”となる。
いじめる側の人間は、いじめられる人間の“心の痛み”は、まったく分からないと思う。これは、私の正直な実感である。実は私自身、40年以上も前の中学1年生の時、級友たちからいじめを受けた経験がある。それは、クラス(とくに女生徒)に絶対的な影響力を持ったボス的な女生徒の、私に対する誤解と悪意から生じた“いじめ”だった。
当時は、「いじめ」という言葉こそなかったが、今考えても、まことに心痛む体験だった。だが幸い、私のことを理解し、かばってくれる一人の級友がいた。正直なところ、そのボス的な女生徒の“裏に隠れた存在”と彼女の他生徒たちへの「指図」の実態を、彼女から謝罪された今から13年前まで、私はまったく知らなかった。なぜなら、彼女は私がクラス委員長だった時の副委員長だったのだから――“まさか、彼女が首謀者だったとは”というのが、私の正直な思いだった。無論、私にも「非」があったかも知れない。だが少年の頃、私が遭遇した“いじめ”は、それほど巧妙、かつ陰険だった。
しかし今は、かつて私をかばったような「級友」さえ、かえっていじめられるような酷薄な時代だ。それに、いじめる側は、概して“群れ”をなしている。彼らは、一人の人間としての自覚が乏しく、ただ、“自分がいじめられなければよい”とだけ考えている。常に、我が身の「保身」だけを気にしているのだ。まるで、社会のなかのずるい大人たちの反映ではないか。
“自殺”という究極の手段を選ばざるを得なかった少年・少女たちの無念を思う時、私たちは、教育の持つ責任や重大さを再認識すべきだろう。
ところが残念なことに、目下、国会で審議中の安倍政権による「教育基本法改正案」では、この種の問題の解決はまったく無理ではないかと思う。
なぜなら、この改正案は、既存の“国家主義的”な教育政策の単なる踏襲・強化に過ぎず、現在の教育現場の生徒、保護者、教員の真情や地域の現状を真に汲み取るものとは思えないからだ。要するに、同法案は、今までのものと同様な“上意下達的”な「管理強化」を求める以外の何物でもない。だが、この旧来の手法や「あり方」が、このたびの教育問題の深刻化によって、すでに“破綻している”のである。その自覚が、現在の政府首脳や教育関係者には、まったく見られない。
それゆえ、安倍自公政権が同案を提出し、たとえそれが可決されたとしても、この種の教育問題は、決してなくならないだろう。かえって、政府の「強圧」や「排他性」ゆえに、問題がますます深刻化し、泥沼化しよう。むしろその原因究明を真摯に堀り下げた上で、一歩一歩問題解決を目指さなければならない。
だが正直なところ、この解決は、現下の自公連立政権では望むべくもない。
他方、小沢一郎氏の「教育問題」に対する洞察は鋭く、かつ深い。彼は、現在の犯罪の多発・凶悪化の原因を“教育の崩壊”に求める。彼は言う。「親が子どもに何よりも教えなければいけないのは、『自立せよ』というメッセージだ。そして、そのために必要な知恵を教える――それが教育の原点だ」と。
母の時代の教育には、それがあったと思う。だが、今日の教育にはまったく見られない。確かに、今の児童・生徒には、学校で“自立の機会”が与えられていない。先生にも、それに対する自覚がない。それは、家庭でも同様だ。
小沢氏はまた、戦後日本の教育行政には、「最終責任者がいなかった」と述べる。そのために、“教育の責任を誰がとるのか”を明確にすることが今日の日本に求められる、と彼は力説する。
確かに、この問題の根は深い。
そのような無責任な状況であったがゆえに、問題が起きると、報告を受けた管理職は、まず「事実」を隠蔽する。だが、いったん問題が発覚すると、他者に責任転嫁したり責任回避を行う。そして、責任を負うべき当事者でありながら、まるで“他人事”のように振る舞う。頭を下げることで、責任をとったつもりになる人もいよう。なかには、高校での「未履修」問題の対応で見られたように、受験生に謝罪の言葉を述べつつも、その頭さえ下げなかった校長先生までいる。まるで、“自分には責任はない”と言わんばかりの態度だった。
教育者でありながら、その態度は、まるで傲慢な役人のようである。今度の“いじめ”自殺や「未履修」問題に対する管理職教員の態度をテレビで見ながら、私は、「水俣病」患者への救済問題で、患者側からの切実な訴えに対して正当に向き合わず、結局逃げ回っている政府や厚生労働省の役人と、まったく同じ行動様式だと思った。
教員や生徒を管理・指導する人々が、総じて“硬直化”している。つまり、当事者が、現実の問題への対応能力や解決能力を失っているのだ。
だが小沢氏は、このような無責任な態度や対応を許さない。そして同時に、彼は、国民がすべてを「お上まかせ」にするのではなく、一人ひとりが“日本をどういう国にしたいのか”とか、“若者たちにどのような人間になってほしいのか”などについて真剣に考え、その実現に向けて行動すべきであると力説する。
確かに、「上意下達」や“何でもお上まかせ”ではなく、むしろ地域・現場の人々の理解や協力、それに協働があってこそ、真の「教育改革」への道が開かれると思う。自民党の『教育再生』という名の教育改革が本質的に旧来の“上意下達的”なものであるのに対して、民主党のそれは、国民や市民の参画・協働でなされるボトム・アップ的な(つまり、下から上をめざした=下意上達的)改革だと言える。
小沢氏や民主党議員の掲げる「教育改革」は、そのような“常に国民の立場に立つ”という政治姿勢を堅持している。何より、小沢氏の「教育改革」は、国民に意識変革を迫り、共に「意識改革」を目指すものである。それは、単なる目先だけの制度改革ではない。むしろそれは、長期的な意味での“人間改革”とでも言えるものだ。
この視座こそ、今日の日本に求められるものではあるまいか。今日の教育問題は、付け焼刃的な対策や選挙を当て込んだ党利党略的な対応で、その場をしのげるような生易しい内容ではない。きわめて深刻な状況だ。 それゆえ、小沢・民主党の「教育政策」について、われわれはもっと注目し、かつ支援すべきだと思う。それが、今後の「明るく公正な国づくり」につながると思うのだ。われわれが動かずして、一体誰が動くと言うのだろうか。