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(回答先: 私たちの指導者・小沢一郎の判断と行動が、全てにおいて正しい。佐藤優氏の文章が他の何よりも優れている (副島隆彦) 投稿者 Orion星人 日時 2009 年 12 月 20 日 11:05:14)
近平副主席訪日の天皇特例会見のこと;極東ブログ 2009.12.16
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/12/post-3cc7.html
この話題は微妙であることと裏がよく読めないこともあって、ブログでの言及は控えていたが、その後世間の話題は膨らみ、時代の記憶に残る事件にもなったので、少し記しておこう。
前提となる「1か月ルール」だが、1995年頃、現鳩山首相が村山政権の連立与党代表時に、天皇陛下と外国要人との会見は1か月前までに文書で正式申請する慣例として成立した。経緯から考えても当然だが、現鳩山首相はこのルールの策定側におり、その意義も熟知していた。そのうえで踏みにじったわけである。いつもの鳩山ブーメランよりたちが悪い。
今回、習近平副主席訪日の会見申請が出されたのは11月26日で、外務省は「1か月ルール」に従い、中国側に会見はできない旨回答した。しかし中国側は納得せず、別ルートでの天皇特例会見を求めた。そのルートの一つとして、民主党小沢一郎幹事長が鳩山首相に特別会見実現を働きかけた。鳩山首相は「1か月ルール」を知りながらこれを曲げ、平野博文官房長官に実現検討を指示し、12月7日、宮内庁羽毛田信吾長官に特別の要請をした。
羽毛田長官は天皇陛下のご体調を含め「1か月ルール」の観点から会見を断ったが、12月10日、再度同ルートから鳩山首相の指示ということで話が蒸し返され、異例ではあるが曲げて羽毛田長官は天皇陛下に会見をお願いし、特例会見の実現となった。
羽毛田長官がことの経緯を秘していれば、国民が鳩山首相による「1か月ルール」無視のごり押しを知ることはなかっただろう。しかし羽毛田長官は、二度とこのような異例の対処がないよう事態を公言し、社会的な波紋を投げかけた。
さらに民主党の不手際の傷を広げたのが14日の小沢民主党幹事長の記者会見である。小沢氏は「1か月ルール」無視は憲法上問題はないと無茶な議論を繰り出し、異論を述べるなら羽毛田長官は辞任せよと恫喝した。ここに至り、多くの国民から小沢氏と民主党への反感が高まった。加えて、永田メール事件でガセネタの怖さに懲りたのではないかと思われていた前原誠司国交相がこりゃまたお調子者を買って出て、天皇会見要請したのは自民党の元首相だと吹いてみた。かくして話がブログ論壇のようなグダグダになってしまった。
その後の報道による、特例会見の1週前7日に中曽根康弘元首相が首相官邸を訪れていることから、中曽根氏が習近平副主席訪日の天皇特例会見を要請した自民党の元首相はではないかと見られている。しかし、話の流れからすると、中曽根氏による要請があったとしても、その結果は「1か月ルール」で引き下がったと見てよさそうなのは、10日に鳩山・平野ルートのごり押しがあるからだ。前原氏はこの手の馬鹿騒ぎが懲りないのだろうかと問うてみて、そうえばJAL問題もお調子者発言でぐだぐだにしてしまったなと思い返す。
今回の天皇特例会見の是非は、天皇の政治的な意味合いを理解している人なら、なにも杓子定規に「1か月ルール」と言い出さずとも理解できるだろう。小沢氏は「天皇陛下の国事行為は内閣の助言と承認で行われる」から天皇の政治利用にはあたらないとしたが、天皇の外国要人会見は国事行為そのものではなく、それに準じた「公的行為」である。また、公的行為であっても内閣が責任持てばよいのだという屁理屈もあるが、そんな話を進めていけば、天皇と政権の関係は危うくなる。むしろ「1か月ルール」はその常識から出た妥当な線引きであった。また、小沢氏は「天皇陛下ご自身に聞いてみたら、会いましょうと必ずおっしゃると思う」とも語ったが、2.26事件の亡霊にでも取り憑かれたのであろう。桑原桑原。
以上が報道から見える部分であり、現下の民主党に昭和史から学ぶ知恵も常識も期待するのは酷というものかなという感想で終わりそうだが、背景はこれで十分わかったわけではない。ネタに飢えているブロガーやブログ読みならずとも疑問は沸く。
なぜ羽毛田長官は黙っていなかったのだろうか。彼の公言が小沢氏の理性を吹っ飛ばせることは想定できたはずだし、結果的に中国に泥とまではいえないが習近平副主席にクリームパイくらいは投げつけたことになった。中国としても形は得たものの不愉快だろう。羽毛田長官が想定していなかったと考えるのはナイーブすぎる。
中国側を考えると、そもそもなぜそこまでして、習近平副主席の天皇特例会見を求めたのだろうか。これにはいちおうマスメディア的な解答は与えられている。1998年に胡錦濤現国家主席が副主席として来日した際も天皇陛下と会見していることから、習近平副主席の国家主席就任の段取りとして見られていたということだ。しかし、そうだとすると、ゴリ押ししてまでもその段取りを習氏に踏ませる中国側のお家の事情というものがあったことになる。
もう一つの疑問は、山口一臣の「ダメだめ編集長日記」「天皇の「政治利用」は霞が関のトリックだ」(参照)の話だ。山口氏の話では、習副主席の来日を打診されたのは前政権下の2009年の初めであり、最終的に中国側から習副主席の来日を伝えてきたのは10月としている。その時期なら十分「1か月ルール」に間に合うはずである。そこで山口氏は、外務省の怠慢で失敗したのを「政治利用問題」にすり替えて責任回避したと推理している。つまり、羽毛田長官の公言理由もそこに見ている。
私自身は、山口氏の言われる報道を習近平副主席訪日スケジュールとして確認していないのだが、スケジュールはそれに近いかもしれないと思う。だが、読みは山口氏とは全く異なる。という以前に、山口氏は習近平副主席の中国でのご事情を読みに加えていないので、正確な推測ができていないと私は思う。
今回の習近平副主席を巡る問題で最大の前提となるのは、9月15日から18日に開催された中国共産党の中央委員会総会(第17期4中総会)である。
この共産党総会での最大の注目点は、2012年に国家主席を引退する現胡錦涛国家主席の後継者問題であり、2007年に小沢一郎氏と懇意の李克強より一段階上位に上がった習近平国家副主席(参照)が中央軍事委員会の副主席に選ばれるかどうかだった。ここで習氏が選出されれば、10年前の胡錦涛氏と同じ経路を取ることが確実視される。逆にここで選出されなければどうか。加藤青延解説委員は、「もし今回万一、習近平さんが、ポスト胡錦涛の地位固めをしない場合、3年後の党大会で、複数の候補をたてて後継者を選ぶということへの含みも残されるわけです」(参照)と指摘していたが、3年後の党大会に中国の権力後継者問題が延期されることになる。これはまた単なる後継者問題というより、権力の委譲がどのようになるのかを中国国内および世界に問う改革そのものでもあった。
結果はどうだったか。習近平国家副主席は選出されなかった。
その意味で、習近平国家副主席は現現胡錦涛国家主席の国内での順当な後継の階梯を上っていないどころか、より厳しい選択の視線に晒されていることは明らかで、当然、今回の訪日天皇特例会見もその文脈から読み解かなくてはならない。
なぜ習近平国家副主席は中央委員会総会で選出されなかったのか。
そもそも2007年に習近平氏が李克強より一段階上位に回ったのは、中国共産主義青年団(共青団)の背景を共有することで李克強氏を推す胡錦濤国家主席のグループと、習氏を推す江沢民前国家主席を含む上海グループとの確執で胡錦濤側が雪辱した結果であった。この対立は、共青団と太子党(二世政治家)の対立でもある。いずれにせよ、習近平氏を国家主席に立てるための最大の条件は、共青団に対して弾圧するか宥和するかにかかっている。
単純に考えれば今回の習近平国家副主席の非選出の理由はなんらかの逆境であったと見ることができる。そしてその逆境を許した理由はなにか。ウイグル暴動だった。
7月イタリアのラクイラで開催された主要国首脳会議に胡錦濤国家主席が出席し中国を不在にした。内政を習近平国家副主席に任せていたこの時期にウイグル暴動(参照)が発生した。担当の権力者に責任が問われるのは万国共通だが、こうした場合、中国の政治論理では権力取得の階梯で重要な汚点になる。中国人の人生はいかに減点を避けるかにかかっている。
習近平氏の躓きがウイグル暴動の始末にあったことは明白だ。この時期、国際的な面子を潰してまで胡錦濤国家主席がイタリアから中国に慌てて帰国していることからすると、習近平氏の下手打ちは相当に深刻で、さらに何らかの国内事情があったとも推測される。いずれにせよ、この汚点を濯がずしてのうのうと中央委員会総会で選出はありえないだろう。
さてパズルを解く基本は時系列だ。
9月下旬の時点で、中国国内的には習近平国家副主席が胡錦濤国家主席の後継者とは目されなくなっていた。では、10月に習近平国家副主席が日本訪問をした場合、天皇と会見したとして、後継者の文脈が生きてくるだろうか。時間的に相当に無理があるだろう。日本の外務省側でも、地位の定まらない状態に相当に警戒するだろう。
むしろ習近平国家副主席の訪日打診の遅滞は、習氏の微妙な地位に対する日中間の躊躇があったと想定してよいだろうし、この間、日本では不毛な政権交代もあり、この政権の安定について中国側も確信が持てないでいた。
しかもそこに李克強と懇意な関係を築いてきた小沢氏の、事実上朝貢が中国にやってくる。
元来、中国において朝貢とは化外の国が皇帝の徳を慕ってやってくるという演出をもって中国国内への権威のディスプレイを行う行儀である。しかもこの小沢朝貢団は共青団・胡錦濤の背景で李克強氏の華麗な演出となり、習近平側の面子を潰すことになる。それでいいじゃないかという状況と、それではまずいという状況があり、今回は後者だった。
現状の中国の最高権力者の後継問題が複雑なのは、おそらく後継者と目される習近平氏と李克強氏が単純な対立関係にあることではないことにある。むしろこの二人が、中国国家内の大きな対立を統合するように、現在の胡錦濤・温家宝路線のようなペアを組むことが求められているし、二人も理解している。習氏と李氏も賢い人だから、時の状況に従って上下を割り振るだろう。
さて、私の読みはこうだ。
胡錦濤・李克強側が、太子党や上海閥に恩を売るかたちで、習近平国家副主席の訪日と、事実上の後継者問題への暫定的な道筋を付けたのだろう。小沢氏も恩を売る側に回った。それでペイされるものは何か。中国国内的には、胡錦濤の院政もあるだろうが、共産党政権樹立60周年でまたぞろ頭をもたげてきた江沢民氏の本格的なご引退であろう。小沢氏の分け前は何になるのかよくわからない。あまり考えたくない感じだが、今回の日本国内のどたばたからうっすら見えてくるものがないわけでもなさそうだ。
■ 1ヶ月ルール誰が作ったかって?鳩山由起夫だよ。バーカ。
http://www.nikaidou.com/2009/12/1_6.php
「小沢一郎は『30日ルールはだれが作った』と記者にかみついている。30日ルールは1995年の自社さ政権、村山内閣でできたもの。この時に、文書でまとめられた。この時のさきがけの幹事長は鳩山由紀夫。鳩山総理もしらなかったとはいわなせない。
そして、2004年に、陛下が前立腺がんの摘出手術を受けられたこともあり、厳格に守るよう徹底されるようになった。2004年の内閣総理大臣は、小泉純一郎。
つまり、小沢の論理でいえば、『前に何を言おうが、オレは関係ない。天皇は内閣の下にある。内閣を動かしているのは俺だ』ということになる。これは大問題になる」
「1か月ルール」過去の会見希望250件精査へ
12月16日6時55分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091216-00000056-yom-pol
天皇陛下と習国家副主席との会見が特例的に行われた問題で、宮内庁は15日、陛下との会見希望は1か月以上前までに宮内庁に申請するとの「1か月ルール」が厳格化された2004年2月以降に会見希望のあった約250件について精査を始めた。
首相官邸から詳しい報告を求められたこともあり、経緯を整理する。
外務省によると、1か月ルールは、陛下が前立腺がんの摘出手術を受けられたことをきっかけに厳格化された04年2月以降、宮内庁と同省、在外大使館だけでなく、各国の在日大使館にも「厳守」が通知された。
写真・「1カ月ルール」文書と外務副大臣の言葉 2009/12/17 17:25
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1372454/