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新ベンチャー革命2010年12月26日 No.255 タイトル:米国戦争屋ボスの研究(その7):水面下の壮絶な跡目争いの歴史
から下記を転載投稿します。
=転載開始=
1.RF兄弟の確執
本ブログのメインテーマは米国戦争屋および悪徳ペンタゴン日本人です。米戦争屋の現在のボスはデビッドRFだとみなしています。
なお、上記、米国戦争屋およびそのロボット・悪徳ペンタゴン日本人の定義は、本ブログのNo.225の注記をご覧ください。
さて、デビッドRFは、RF二世の五男坊であるにもかかわらず、兄4人を差し置いて、80年代初頭、晴れて、RF家の頭目の座を射止めています。世襲制の徹底している世界的寡頭勢力の大財閥では、現在のRF家のように、五男が跡目を継いだ例は前代未聞なのではないでしょうか、まさに、神様のお導きか、奇跡?さもなければ、陰謀です。
そこで、またもデビッド回顧録(注1)に目を通すと、案の定、兄弟間にて深刻な確執があったことがわかります。デビッドにとってもっとも、やりにくい兄は二男のネルソンRFだったことがわかります。
2.RF家の戦略に合わなかった二男・ネルソン
戦前のRF家は、石油ビジネスで大成功した成金だったわけで、デビッド回顧録によれば、当時の既得権益者や利権者から、RF家はさんざん非難・攻撃されているようです。そこで、RF家のとった戦略は、(1)慈善事業を展開して、利益の社会還元のポーズを取り、世間の悪評を払しょくすること、そして、(2)世間の表舞台に決して、登場せず、黒子(闇の権力)に徹する、すなわち、名誉を棄て、実を獲ること、でした。
ところが、二男・ネルソンは、世間の表舞台に出ようとしたのです。名誉欲、権力欲が強かったのでしょう。そして、彼は、大統領を目指して政治家の道に進んだのです。そして、60年、64年、68年、三度に渡って、共和党の大統領候補選挙に出馬しています。
一方、ネルソンより戦略的なデビッドは、60年代に早くも、CIAとのコネつくり、CFR(外交問題評議会)を通じた政界人脈つくりに成功していたと推測されます。つまり、闇の権力者の地盤つくりに全力を挙げていたのです。
その背景から、ネルソンの大統領職への挑戦を秘かに妨害していたのは、実はデビッドだったのではないかと推測されます。ネルソンにとっては灯台下暗しだったのです。
3.謀略家・ヘンリー・キッシンジャーの活用
ロッキード事件で、小沢氏の師・田中角栄を嵌めたのがヘンリー・キッシンジャーであったことは、すでにほぼ判明しています(注2、注3)。
ハーバード大教授だったキッシンジャーがなぜ、大統領補佐官になれたのか、それは、ネルソンの顧問になってRF家とのコネをつくったからです。そのきっかけはキッシンジャーの再婚相手が、ネルソンの秘書(ハーバード大の教え子)だったことでしょう。キッシンジャーがRF家の忠実なエージェントを務めたのは、ニクソン時代でした。そのニクソンは、下記のように50年代、アイゼンハワー時代に登用されています。
戦後、凱旋したペンタゴン制服組・ダグラス・マッカーサーが大統領最有力候補だったのですが、RF家の戦略と合わず、更迭されています(注4)。その代替として、同じく制服組・ドワイト・アイゼンハワーが53年に大統領に就任しています。そのとき、わずか39歳の若さで副大統領に抜擢されたのが、リチャード・ニクソンだったのです。その後の、アイゼンハワーの非公式なニクソン評(ニクソンは大統領から嫌われていた)から、ニクソンはアイゼンハワーの意思ではなく、別の意思で強制的に、アイゼンハワー政権に送り込まれていたことがわかります。ウラで暗躍したのは、RF家のエージェント・ジョン・ダレス国務長官だと推測されます。ちなみに、ワシントンDCの国際空港はダレス空港と呼ばれていますから、彼がいかにRF家に貢献したかがうかがわれます。
このとき、デビッドRFは、大統領ポストを狙っていたネルソンの野望を妨害する盾のひとりとして、ニクソンを利用するハラをもっていたのではないでしょうか。
アイゼンハワーは元々、軍人であり、純粋なところもあって、RF家の干渉を快く思っていなかったはずです。それが、61年の退任時の有名な、軍産複合体(=米国戦争屋)批判演説につながるのです。
デビッドは、ポスト・アイゼンハワーにニクソンを大統領にしようと画策したのですが、アンチ戦争屋のJFK(ケネディ)に僅差で負けるのです。ちなみに、63年に暗殺されたJFKも、米国を闇支配していた世界的寡頭勢力(戦争屋および銀行屋の呉越同舟勢力)をSecret Societiesと呼んで、公然と批判しています。
しかしながら、紆余曲折の後、69年、ニクソンは晴れて大統領に就任しますが、お目付け役として、キッシンジャーがニクソンの補佐官として、入閣しています。そして、RF家のエージェントとして、キッシンジャーが外交を仕切ったのです。ニクソン二期目では、彼は国務長官に出世、ロッキード事件はキッシンジャーが企んだものであり、ニクソン中途失脚の陰謀・ウォーターゲート事件も彼が関与したと思われます。要するに、二期目になってニクソンは、RF家のいうことを聞かなくなったから失脚させられたと、一般には言われています。
4.ネルソンの野望は断ち切られた
74年、ニクソン中途失脚工作に、ネルソンがからんでいたかどうかは不明ですが、この頃、ネルソンの顧問であったキッシンジャーはデビッドとネルソンを天秤にかけていたはずです。ポスト・ニクソンに副大統領・ジェラルド・フォードが臨時大統領に就任、その空いた副大統領ポストにネルソンが収まっています。
このまま行くと、ポスト・フォードの次期大統領にネルソンがなる可能性が出てきました。ネルソンが大統領になって、もっとも困るのがデビッドでした。そこで、デビッド子飼いの若きドナルド・ラムズフェルド(43歳)を国防長官に推薦、フォード政権に潜り込ませます。デビッドはここで、ラムズフェルドに恩を売っておいたのでしょう。同時に、ポスト・フォードでの大統領選共和党候補にネルソンが選ばれないよう、何らかの工作したはずです。そして、ポスト・フォードには、民主党のジミー・カーターが77年に大統領に選ばれています。
こうしてデビッドの思惑通り、ネルソンの大統領就任の夢は断ち切られました。
その後、78年、デビッドの兄・ジョンが交通事故死、翌79年、ネルソンが愛人宅にて突然死しています。その結果、80年代初頭、デビッドは晴れてRF家を継承するのです。ちなみに、三男・ウィンスロップはRF家から離れており、四男ローランスには野望がなく、両者はデビッドのライバルではなかったのです。
なお、93年に、パパ・ブッシュを破って大統領に就任するビル・クリントンは、ウィンスロップの隠し子と言われています。確かに、ウィンスロップとビルの写真を比較すると、表情がそっくりです。
筆者の憶測では、ビル・クリントンは、デビッドにとってRF家直系のジョンRF四世(民主党上院議員)の大統領出馬を妨害する盾だったのではないでしょうか。
5.RF家の直系ジョンRF四世(ジェイRF)が大統領選に出馬しないワケ
上記のように、90年代は、すでにデビッドがRF家を継承しており、米国政界への影響力も絶大となっていました。そして、デビッドは、大統領選のたびに、共和党候補と民主党候補の両方に、同時支援して、どっちが大統領になっても、傀儡化できる体制を確立していました。そのため、RF家の血を引くビル・クリントン自身は戦争屋所属ではありませんでしたが、決して、アンチ戦争屋大統領ではありませんでした。だからこそ、戦争屋からの妨害も少なく、二期、続けられたのです。二期目末期に起きたモニカ・ルインスキー不倫暴露事件は、クリントンを、ニクソン同様に、中途辞任に追い込み、二期を超える民主党政権持続を断固、断ち切るためだったと考えられます。まさに、戦争屋の長期戦略の犠牲にされそうになったのですが、財政再建の功績もあって、なんとか任期満了まで持ちこたえました。ポスト・クリントンを狙ったブッシュ陣営が2000年の選挙で大掛かりな選挙違反をしたのは有名ですが、強力な対抗馬であったアル・ゴアは、潔く引き下がっています、なぜなら、もし、無理に大統領になったら、どうなるかわかっていたからです。
ちなみに、ポスト・クリントンのブッシュ・ジュニア政権にて再登場したデビッドの子飼い・ドナルド・ラムズフェルド国防長官は謀略の天才です(注5)。
ところで、2009年1月、オバマ大統領就任式の全世界向けTV中継にて、オバマの真うしろに背後霊のように映っていたのが、RF家本来の直系であるジョンRF四世(=ジェイRF民主党上院議員)でした。同氏は84年から、30年近く民主党上院議員ですが、これまで、叔父・ネルソンのような野望を見せず、控えめに過ごしてきました。上院議員をやっている以上、大統領ポストに野心がないはずがありません。一方、RF家に戻ろうにも、RF家は叔父デビッドに乗っ取られています。この30年間、その心は、一時たりとも晴れることがなかったと推察できます。
ジェイはRF家の正統なる継承有資格者でありながら、なぜ、30年間も不完全燃焼の状態に甘んじているのか、大きな謎です。
もし、ジェイがネルソンのような野望をみせたら、どうされるか、すべて知っているのではないでしょうか。デビッドのウラも秘密もすべて知っているのでしょう。
以下、次号に続く
注1:デビッドRF[2007]『RF回顧録』新潮社
注2:ベンチャー革命No.89『裏切り者ジャップ:キッシンジャー語録』2006年5月28日
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/mvr195.htm
注3:本ブログNo.78『ロッキード事件中曽根の秘密リーク:東京地検特捜部真っ青』2010年2月13日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/8679646.html
注4:本ブログNo.78『米国戦争屋ボスの研究(その3):マッカーサー更迭が日本運命の分かれ目だった』2010年12月19日
http://blogs.yahoo.co.jp/hisa_yamamot/21372898.html
注5:グローバルMOT(技術経営)に求められる戦略家とは
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/31132/1/WasedaKokusaiKeieiKenkyu_41_Yamamoto1.pdf
ベンチャー革命投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/melma.htm
テックベンチャー投稿の過去ログ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/8285/column-top.html
=転載終了=
(参照)
「米国戦争屋ボスの研究(その1):米国覇権主義者人脈形成 (新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/236.html
「米国戦争屋ボスの研究(その2):CIAの私的活用(新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/463.html
「米国戦争屋ボスの研究(その3):マッカーサー更迭が日本運命の分かれ目だった(新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/545.html
「米国戦争屋ボスの研究(その4):日本はしつけされたポチだった(新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/636.html
「米国戦争屋ボスの研究(その5):日本も米国も共産主義仕様国家(新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/801.html
「米国戦争屋ボスの研究(その6):もてる資産を人心掌握に活用する(新ベンチャー革命)」
http://www.asyura2.com/10/senkyo102/msg/850.html
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