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永田町は25日、北朝鮮による砲撃事件の余波に揺れた。
自民党の山本一太議員は、「総理官邸はすっからかんだった」と指摘した。
25日、野党・自民党は、政府が危機管理センターを立ち上げた23日午後3時20分から、官房副長官や危機管理監が官邸に到着するまでの「空白の70分間」を追及した。
自民党の小野寺 五典議員は、「この一番、大事な初動の70分間、私どもがテレビでかたずをのんで見ている間、官邸は空っぽだったんです。総理、このことについて、どうお考えですか」とただした。
菅首相は「官邸は、空っぽではなかったんです。きちんと情報連絡室が立ち上がって、各方面と連絡を取って、情報収集をしていたわけです」と述べた。
空白の70分間で、官邸には数十人の職員はいたものの、政治家は不在だった。
実は、菅首相は砲撃の一報後も官邸には行かず、民主党の国対幹部と40分間にわたり、会談していた。
自民党の小野寺 五典議員は、「燃え盛るあの島を見て、どうなるんだ。そんな心配をしている最中に、総理はなんの話をしていたかというと、国会対策ですよ、国会対策。なんのことはない、自分の党を守るため、自分の身を守るため」と指摘した。
菅首相は「まったく間違っています、まったく間違っています。テレビをつけておりましたから、(会談では)『いや、大変なことになったな』と、多くのことは、この話題で終始したということであります」と語った。
部屋のテレビの前で事態を見守っていたと弁明した菅首相だが、本当に危機意識に甘さはないのか。
菅首相は「私は今回の対応は、迅速かつ適切であったと、こう考えています。今後も万全を期していきます」と述べた。
北朝鮮による砲撃の日は、砲撃開始の23日午後2時34分から、およそ40分後の午後3時11分、日本に速報が流れた。
その10分後の午後3時20分、官邸に情報連絡室が設置され、仙谷官房長官に報告が上がったのが、午後3時26分だった。
一方、菅首相には、発生からおよそ1時間後、午後3時30分に報告が上がっていて、これは報道よりも遅かったことになる。
また、古川官房副長官、伊藤内閣危機管理監が官邸に入ったのが午後4時30分で、その後、菅首相、仙谷官房長官が官邸に入っているが、連絡室が設置されてからの70分間は、官邸に危機管理の責任者が誰もいなかったことになる。
(11/26 00:10)
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