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平野貞夫氏「小沢氏の敗北、これは日本が
健全な民主主義をつくる最後のチャンス。」(第2 回)
(blogos.com:2011年11月22日 10:36より抜粋・転載)
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☆ 池田信夫(いけだのぶお、1953年10月23日 - )は、日本の経済学者、
経済評論家、 ブロガー。元NHK職員。 SBI大学院大学客員教授、
青山学院大学非常勤講師、
株式 会社アゴラ研究所代表取締役社長。
☆ 平野 貞夫(ひらのさだお、1935年(昭和10年)12月1日 ‐ )は、日本の政治家。
元参議院議員(2期)。自由党財務委員長。
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
平野:これは、小沢さんのいいとこでもあるし、また欠陥でもあるんですよ。
池田:ちょっとあのこれ、いきなり昔の話に飛ぶんで説明が必要なんですけれども、1997年の末に、12月27日にか、解党したんですね。
平野:そうそうそう。
池田:みんなビックリしたんですよね。あれは、なんで解党したのか、未だにみんな分からないっていう人が多いんですけど、平野さんの御本を読むと、今おっしゃったように、あれは、法的にいったん解党した上で、もういっぺん、新たに新進党をつくるということだった。
平野:そうです。
池田:だったわけですよね?
平野:さようでございます。
池田:ところがその過程で、ぱらぱらと色々な人が辞めちゃったから…。
平野:もっとも寄せ集めですからね。
池田:それを結果的には、小沢さんが潰した、というふうに見られちゃったと。
平野:誰の責任で潰したかっていうことは、当然言われますからね。その時に、両院議員総会で、(小沢さんは)私の判断で、私の責任で、潰したと。それしか言わないわけですよ。
池田:まぁ男らしいっていえば、男らしい。
平野:まぁ……けどね、それはね、私は、随分文句を言ったんですよ。
池田:笑
平野:ちゃんと説明しとけよと。そしたらやっぱり公明・創価学会に、迷惑をかけると。それはある意味、彼らのエゴイズムで、やったわけですから。
しかし、その旧・民社党とか、自民党から来たグループも2つくらいありましたからね。複雑な内容ですから、ガラス細工ですから、1カ所壊れたら、バッと壊れるわけですよ。
池田:それは、解党して年内に、政党助成金の関係で、3日くらいで、バタバタっといろんな党をつくったんですよね。
平野:そのときには、4つくらい政党できたんじゃないですかね。
池田:ねぇ。笑。
平野:その後、また合併がありますけどね。
池田:それも含めてやっぱり、小沢さんには、いわゆる「壊し屋」というイメージがつきまとっているんですけれども、それは、平野さんから見て、別に壊そうとして、壊したっていう感じではないわけですよね?
平野:ある意味で、その新進党を、解党しなきゃならんっていう事情は、後ろに野中(広務)さんが、その例のビデオ問題なんかで揺さぶっていて、公明・創価学会の中で、そっちに付く人たちがいたもんですから、それが、根っこにあるわけなんですよ。
ただ、小沢さんが、非常に悪い印象をそのときに、悪役をやったのは、まぁ本人は、それでやったわけですけれども、悪役を、さらに悪くしたのは、私の発言でしてね。
池田:ほぉ。
平野:これは、申し訳ないと思っているんですけどね、新進党解党の政治的意義、効果は、何かっていう質問に対して、私が、その政党の純化だと。
池田:あぁ、はいはい。
平野:覚えています?
池田:いやみんなそれが、合理的な説明だと思って聞いたわけですよ。
平野:笑。いや、しかし、それは純化だと思っている人はいい、納得しますけどね。
国会議員で。やられたほうは、怒る。俺たちは、じゃあ純じゃないのかとね。それが、評判を悪くしたんですよ。
池田:あれは、本当にそういう意図をもって、やられたわけじゃなくて、その時に、平野さんが言い訳というか、思いついて、おっしゃった?
平野:思いついてって、私たちは、元自民党でね、健全な保守政党というか、これをつくろうという狙いがあったもんですから、あの時、自由党をつくったわけですね、だから、自由党がその純粋な新進党を継承する政党だという意味で、いったわけなんです。
で、新進党の純化っていう。それで他の連中は、「何を」っちゅうわけで怒って。
でそれは、平野がいうんだから、小沢もそう思っとるんだろうということになったんです。
池田:それは、小沢さんの意思じゃなかったんですか。
平野:まったく意思じゃない。
池田:それは、もうまったくアクシデントで、そういう結果になっちゃったっていう。
平野:さっき言ったような。
池田:ははははは(笑)。
平野:手続きの、その政党助成金とか、分けて、その規定になっとるわけですね。
池田:はいはいはい。そのへんがね、小沢神話っていうのが、生まれる原因になっちゃうわけですよね。
そういうのも、後々から結果としてみると、小沢さんが、いわばもう、面倒臭いほかのヤツらを蹴りだして、自分たちのね、コアのグループだけでもっとこう、楽にやっていこうと思ったら、実は当初より、小さくなっちゃって、計算ちがったっていうふうなね、解説のされ方を、するじゃないですか。
それは、後からつけた話なんですね?
平野:まぁそれはけど、余計なことをいった、私の責任もあるんですよ。
これね、もう一つ面白い話が、あるんですよ、いいですか。ちょっと飛びますけどね、その後いろいろあって、小渕さんのときに、自民党と自由党の連立ありましたね。
池田:はいはい。
平野:ところがその、公明党が後から入ってきて、いわゆる、最初の基本的な政党改革ができなくなったんですね。
それで、これじゃあ自由党をつくっている意味が、自由党で活動できないということで、自由党が連立政権から離れますね。平成12年の4月ら辺に。
この時にですね、50人いた自由党の国会議員の26人が連立派で、扇千景さん、野田さんなんかを中心に、保守党をつくりますね。
この時に、元の自由党のお金をどうするかという問題があったんですよ。
これがその、小沢さんは、しかるべき金額は、保守党に分けるべきだと。
こういうことを考えて、藤井幹事長と小沢党首は、これくらい分けようと。
僕は、金額を知りませんけれども、決定をなさった。
ところが、2人だけでそれで出すのは、まずいと。
うるさい平野にだけに、理解してもらおうと、私呼ばれましてね。二人のところに。保守党に金をあげるからよろしいな、と言うから。
私はどの金を分けるのかと言ったんです。そしたら、政党助成金を、まずあげる。半分に分けるということですよ。
それで、それは、憲法に違反しますよと。
政党助成金というのは、あの時は、直近の参議院の比例の票、当時は、制度は政党中心ですから、自由党が520万票あった。かける250円ですね。
その多少使ったと思いますけど、それを分けると言うから、それは、国民主権に反すると。
自由党に入れてくれた人、自由党への反党行為として、自民党に守旧派に手を突っ込まれて、出て行く人たちに渡すのは、筋が通りませんと私は言いました。
小沢さんは、それは分かる、と。
それでは、献金したものを分けると言うんですよ。保守党に。
それなら、文句ないだろと言いますから、私は、言わなきゃいいのに、余計なことを言いましてね。
民主主義の国で、野党から与党に寄付する国があるかと言ったら、怒りましてね。
あんたは、これで何回目だ。理屈を言って、僕の評判を落すのは、ということになりましてね。
池田:笑
平野:私もちょっと気の毒になって、それでは、残っている人の意見を聞いて、大勢がそうなら私は文句言いませんから、というので達増拓也という、岩手県の知事をしているのに調べさせたら、みんな私の意見なんですよ。同じ意見。
それで藤井さんが、解党できなくなりましてね。
池田:えっ…。
平野:私がついて行って、私が、扇さんと野田さんに怒られたことあるんですけど、それからなんですよ。
小沢さんが、お金に強欲だとか(言われるようになったのは)、政党助成金とか。
池田:いまだにそんな風に言われますよね。
平野:そうですよ。私が作ったんですよ。
池田:ははははは(笑)
平野:「平野が悪いと言え」と言うんですけど、絶対言わない。自分の責任だと言って。その点は偉いですよ。
池田:なるほどねえ。なんかこう昔気質というかね。
池田:もう一度現在の話に戻しますけれど、ちょっと誤解があるにしても、壊し屋というお話がついてまわるんですけど、今後の小沢さんの見通しとして、常識的には、党を割るとか新党を作るというのは難しい話だと。
平野:それは全く想定、最初からありません。何のために民主党と自由党合流して、政権交代をしたかと。
政権交代をするについては、国民の生活第一という理念のもとに、いろいろな問題があったかもわからないけど、マニフェストの原点を、具体論を、そらあ100%守れというんじゃないですよ。
原点を大事にして、それをやっぱり、実現する努力を、もっとしなければならないのではないかと、こういう考え方ですから。
党を割るとか、出るという想定は、はじめからありません。
池田:あ、そうですか。
平野:で、もともとですね。
その、鳩山さんの沖縄問題、鳩山さんと小沢幹事長の政治とカネの問題で5月に入って、これでは、新聞社のやる世論調査に影響されて、参議院選挙勝てないということになりましたよね。
で、小沢さんの物の考え方は、衆議院で多数取っても、政権とっても政権交代は終わっていないという考えなんです。
池田:ほお……
平野:参議院で多数をとって、両院で多数をとって、初めて政権交代は完成すると。
何が何でも、あらゆるものに優先して、参議院選挙に勝たなければダメだという考え。
そこで5月の終わり頃、28日でしたかな。私が電車に乗っていたら、電話があって、これ何としても早急に自分が辞めるけど、鳩山さんも辞めねばな、と。
菅さんで、挙党体制を作って、そうすれば、選挙に勝てるわな。
池田:へえええ。
平野:そしたら、9月の代表選挙は、しゃんしゃんでいくからと。
ということで、会期末です。政治空白を作れません。
瞬間的に、政権交代させるには、憲法上、国会法上、選挙法上いろいろ枠がありますから、私に色々考えろということになったんです。
池田:それは、世間では鳩山さんのほうから辞めて、小沢さんよ抱き合い心中みたいなことが言われていますけど、逆だったということですか?
平野:それは、小沢さんがそういうシナリオを作って、自分を悪者にしなさい、と。
鳩山さんは辞めるについては、少しはその六方を踏める場所を花道で。
池田:へえええ。
平野:いや、政治っちゅうのはそういうもんなんですよ。
池田:それは、でも記者クラブ報道には全く出てない話しですね。
平野:小沢一郎を美化することになるから。記者クラブ報道というのは分かっていても…。いつも小沢さんはそういうことをやるんですよ、大きな政変の時には。
池田:だったら、そのときに自ら、身を引かれた小沢さんがなんで今度はこういう形に?
平野:そこで、結局鳩山さんを説得するのに時間がかかって最終的に6月2日に分かった、辞めますということになって、6月2日の11時に両院議員総会をセットしましたですね。
で、小沢さんが「鳩山さんから返事があった」と私のところに電話をくれて、いわゆる憲法上のさまざまな手続き的なことを私は説明して、それで小沢さんは2日の両院議員総会で鳩山さんの辞意表明、それから一日おいて4日の午前中、両院議員総会で菅さんを選ぶ、と。
すんなり、選ぶと。午後首班指名をやって、夕方内閣を作ると。こういうシミュレーションを作った。これでうまくいくと思っていたんですよ。
そしたら、事実上菅さんが勝つという雰囲気がありましたからね。
そしたら2日の2時頃、小沢さんの周辺、側近から私に電話があって、小沢さんでない人たちは8日に首班指名をすると言い出した。
要するに、2日に辞めるといって8日の指名ですから、一週間政治空白作るわけですよね。
で、ヨーロッパの経済はギリシャ問題で混乱していますし、北朝鮮も非常に危ない問題があって、災害も起こりそう、そんなバカなことがあるかと言っているうちに、挙党体制は破れたと思ったんですよ。
そしたら、菅さんは記者会見で立候補するについて、脱小沢でいくと。
池田:あ、はいはい……。
―この続きは次回投稿します―
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