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元公明党書記長の市川雄一さん死去 ! 82歳、
自公連立前の公明党のスタンス: 政権交代で改革実現 !
自民党権力に迎合・屈服した公明党の理由は ?
元公明党幹部・識者の自民党従属・公明党への批判は ?
(www.asahi.com:2017年12月14日13時34分より抜粋・転載)
公明党の書記長を務めた元衆院議員の市川雄一(いちかわ・ゆういち)さんが死去したことが、12月14日、わかった。82歳だった。
1935年、横浜市生まれ。早稲田大第二商学部卒。聖教新聞記者、公明新聞記者などを経て、1976年総選挙で、旧神奈川2区から初当選し、当選9回。公明新聞の編集局長時代には、共産党との憲法論争を指揮した。1989年5月から1994年12月まで、石田幸四郎委員長の下で書記長を務めた。
1992年6月、自民、公明、民社3党による「自公民路線」で、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、平和を掲げる公明党にとって安全保障政策分野で「現実路線」への転換点となった。自民党幹事長だった小沢一郎氏との盟友関係は「一・一ライン」と呼ばれ、PKO法成立以降も選挙制度改革を通じた政界再編の流れを主導した。
1993年8月には、「非自民」の細川連立政権への公明党参画を導いた。1994年6月に「自社さ政権」誕生で、野党に転落後、1994年12月には、小沢一郎氏と、「一・一ライン」で、新進党結成に動き、党政務会長などを歴任した。1997年の新進党解党後は、新党平和常任顧問、公明党常任顧問に就いた。2003年11月の総選挙を前に政界から身を引いた。
(参考資料)
T 自公連立前の公明党のスタンス: 政権交代で改革実現 !
(1) 自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す !
(石田委員長)公明党の基本路線:
1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田委員長は「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる 改革が実現しない 選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。
この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。
1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」と主張しました。
(1998年まで、この政権交代を目指す路線を続け、自民党・マスコミから昭和32年の大阪事件以来、迫害・誹謗中傷をうけていました。公明新聞1993年7月6日号3面)。
(2)政権を選択できる、二大政党制をつくりたい !
(浜四津敏子代表):
日本が構造改革のできない行き詰ったシステムになったのは、自民党一党支配の政治できたからです。これを脱却し、健全で成熟した民主主義を発展させるには、一党だけが長期に政権を握り続ける体制は好ましくありません。
つまり、国民が政策・政治姿勢を判断し、「今回は、こちらの政権に日本の政治を任せてみよう」という、政権を選択できる二大政権政党もしくは二大政権勢力が日本に存在することが、中長期的に好ましいと思います
(浜四津敏子代表「公明新聞1998年8月16日号1面」)。
U 自民党の「反公明党・創価学会キャンペーン」
1998年以前、政権交代を目指していた、公明党・創価学会攻撃のため、
自民党がつくった主な組織 :1979年4月、池田第三代会長は、辞任させられた。
次第に自民党への戦う精神が弱くなり、1999年自民党と連立した。
自民党・CIAは、一次・二次宗門事件(日蓮正宗と創価学会の内紛・自民党・CIAによる分断工作)の黒幕であった !
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」(死学会):代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達
(評論家)
V 自民党権力に迎合・屈服した公明党の理由は ?
魚住昭氏の主張:
(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている
公明党は改革派から真逆の悪徳派・自民党従属に大変質した。
W 大悪政・大失政の自民・強力支援・公明党の超ど級共同責任 !
「公明党が野党共闘して、公明党の支援がなかったら
落選していた自民党議員、本当は、175人 !
自民党の獲得議席は、119議席、野党へ転落 !
今週の『週刊ポスト』(2014年 6月6日号)に、「公明党の支援がなかったら落選していた自民党代議士77人リスト」という記事がありました。
このリストは今後の参考になると思いタイピングしてみました。
仮に、公明党が野党共闘して、自民党候補に投票されていた公明票が、そっくり次点のライバル候補に流れた場合、得票差が、5万4000票以下の議員175人が逆転されることになる。自民党の獲得議席は、なんと119議席と壊滅的な結果となるのだ。
―以下、省略―
X 公明党元幹部が、安保法案強行採決に
「公明党の行動は万死に値する」と怒り
元公明党副委員長の二見伸明氏が批判 !
(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/:2015年7月23日より抜粋・転載)
公明党元幹部 安保強行採決に「公明党の行動は万死に値する」と怒り〈週刊朝日〉
※イメージ
安保法制をめぐって国会前や全国各地で広がるデモ。政治と縁遠い若い世代が声を上げているのが印象的だ。強行採決を受け、元公明党副委員長の二見伸明さん(80)は公明党の罪を指摘する。
* * *
公明党から「平和の党」という看板は完全に失われました。山口那津男代表をはじめとする執行部は、総退陣すべきです。
山口代表が1990年に初当選したあと、私の議員事務所に来て、集団的自衛権について議論したことがあります。そのとき彼は、「集団的自衛権の行使は、長い間にわたって政府が違憲と判断してきた。それを解釈改憲で認めることはできない」
と話していました。弁護士らしく、筋の通った話でしたよ。それがなぜ、安倍政権の解釈改憲に賛成するのか。いつ変節してしまったのか。まったく理解できません。
今でも私と付き合いのある公明党の党員や支持者は、本心では全員が反対です。法案の意味を理解しようと思っても、意味がわからないからです。今こそ党員や支持者は、昨年7月の集団的自衛権の行使を認めた閣議決定から強行採決に至るまでの経緯を検証して、公明党執行部がどういう役割を果たしたかを総括すべきです。
今回の安保法案は、審議に116時間もかけたのに、安倍首相からはまともな回答は一つもなかった。それに協力した公明党の行動は、万死に値します。
※週刊朝日 2015年7月31日号
Y 1999年、自公連立後、なぜこれほど
公明党はダメになってしまったのか ?
−島田裕巳教授−
(agora-web.jp:2014年06月16日 18:46より抜粋・転載)
公明党は、集団的自衛権の問題で、安倍首相の強硬な姿勢の前に、なすすべもなく抵抗できず、結局、その行使を容認する方向にむかっている。公明党の幹部は、連立を維持するためには、こうするしかないと判断したのかもしれないが、支持母体である創価学会は、早々と集団的自衛権の行使容認に慎重な姿勢をとるよう見解を発表していた。この見解を、公明党は裏切ってしまったことになる。
私は、新聞からコメントを求められ、今回は公明党に自民党に対する妥協の余地はないのではないかと答えたが、事態はそれからまったく予想外な方向に進んだ。公明党が、これほど簡単に抵抗を止めてしまうとは想像もできなかった。というのも、今回のことは、公明党と創価学会の今後に甚大な影響、間違いなく悪い影響を与えることになるからだ。
公明党が妥協したことに対して、創価学会が見解以外抵抗しなかったのは、何より池田大作名誉会長の「不在」が大きい。池田氏の近影は、機関紙である『聖教新聞』にたまに掲載されるが、生の声はまったく伝わってこない。
池田氏が書いたとされる小説や往復書簡、激励のことばは掲載されるが、本当に本人のものなのか、外部からは確かめようがない。少なくとも、池田氏の肉声とおぼしきものが、集団的自衛権の問題についてはまったく公表されてこなかった。
そこには、池田氏の健康上の問題が影響している。池田氏が発言しない(あるいは、できない)ために、創価学会のほかの幹部が、組織を代表して発言できないし、また、公明党の方針に対して注文をつけることもできない。そこには、もちろん政教一致への批判に配慮するということも関係しているが、それよりも、池田氏の意志が誰にもわからないということが決定的な影響を与えている。
公明党の側も、池田氏の意志がわからないので、どこまで妥協が許されるのか、創価学会が納得する線を見極められない。近年、公明党と創価学会は、自分たちの意志を明確にしなければならない問題に直面してこなかったため、池田不在の影響が直接に表に出なかったが、今回のような事態が起こると、それがてき面に表面化する。
創価学会は、組織としての意志を明確にできない集団に成り下がり、公明党もその影響を受けて、判断力を失ってしまった。そのため、安倍首相に強く出られると、ただただ後退するしかなくなってしまったのだ。
そこには、公明党議員の変質ということも関係している。−以下省略−
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