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沖縄戦から72年「戦争はもう嫌だ」 ! 慰霊の日、島を包む平和の祈り
自公政治家・NHK等が隠蔽・誤魔化す、深層・真相は ?
日米同盟の真実=米国のやり放題、NHK等が報道しない、属国日本の証拠 !
米国の支援をバックに対米隷属・国民洗脳
自民党一党支配体制が構築されてきた !
第二次大戦・日中・日米戦争の真相は、
英国・米国の大謀略であった !
(www.okinawatimes.co.jp:2017年6月23日 12:00より抜粋・転載)
◆沖縄県内では、犠牲者を追悼し、
恒久平和を希求する祈りに包まれた !
沖縄戦慰霊の日: 戦後72年の「慰霊の日」を迎えた6月23日、沖縄県内では沖縄戦で亡くなった20万人を超える犠牲者を追悼し、恒久平和を希求する祈りに包まれた。
壕の中で手を合わせ、戦没者の冥福を祈る家族連れ=23日午前8時すぎ、糸満市摩文仁・沖縄師範健児之塔
糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある「平和の礎(いしじ)」や、同市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」などには、朝早くから多くの戦争体験者や遺族らが訪れ、亡き肉親や友人らの魂を慰めた。子や孫らと一緒に線香や花を手向け、祈りをささげる姿もみられた。
同公園では、午前11時50分から、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が執り行われた。安倍晋三首相や衆参両院議長のほか外務、防衛、厚生労働、沖縄担当の関係閣僚らが出席。
正午の時報に合わせて黙とうした。
◆沖縄戦では一般県民・日米軍人・軍属など、
合計20万人超が死亡 !
沖縄戦では一般県民約9万4千人と、日米軍人・軍属などを合わせて20万人余が亡くなった。敵味方を問わず、沖縄戦の戦没者らの名を刻む平和の礎には、今年新たに54人(県内31人、県外8人、海外15人)が加わり、計24万1468人が刻銘されている。
「多くの死を見た。戦争はもう嫌だ」
◆仲村渠ヨシ子さん(79)=南城市
南風原町宮城に暮らしていたが、ここは家族全滅したところが多かった。だから戦死した父の名前を探すのも一苦労。父は沖縄のどこかで戦っていたらしいけど、詳しくは何もわからない。最後はけがして南風原の軍病院にいたらしいとだけ聞いていて、お骨もなくかわいそうね。
私は当時国民学校1年生。米軍が上陸したというから、母と弟とやんばるを目指したが、どうやって逃げたか覚えていない。母は食料や布団など背負って、私は弟をおぶっていた。今の大宜味村あたりで空襲があり、弟は私の背中で死んでしまった。
むごかったのは那覇にいた時の10・10空襲。もう死体で足の踏み場もない。その時避難していた壕(ごう)の中から、たくさんの若い人がおじいやおばあを背負って、一緒に撃たれて死んでいくのを見ていた。戦争はもう二度と嫌だ。
基地は全く無いのも困るけど、やはり戦争の時に狙われるのではと怖い。どっちがいいのかわからない。「兄が生きていたら…何度も願った」
◆大城盛助さん(85)=豊見城市
毎年、兄の大城成教(せいきょう)の冥福を祈るため「平和の礎」を訪れている。兄が今生きていたら92歳。先日亡くなった大田昌秀元知事と同じ年齢だ。大田元知事が平和の礎を建ててくれたことにとても感謝している。今年は大田元知事の冥福も一緒にお祈りしたいと思って来た。
兄がいつ、どこで亡くなったかは今も分からない。沖縄戦のとき、兄は20歳、私は13歳だった。兄は小禄の飛行場で航空整備兵として働いていた。戦争が始まる前はよく遊んでくれた。戦争で行方がわからなくなり、戦後もどこかで生きていたらと思い続けてきた。だが何年たっても便りがない。仕方なく、飛行場近くで祈祷(きとう)師に小石を拾ってもらい、骨の代わりとして墓におさめた。
兄は生前、小学生だった私に「勉強しなさい」と手紙をくれたことがあった。私はそれを遺言だと思い、一生懸命勉強し、小学校の教員になった。豊見城小学校の校長をして退職した。私の人生は兄のおかげでやってこれたと思っている。
「いっそ死んだ方が楽とさえ思った」
◆當山キク子さん(83)=豊見城市
戦時中はどこにいたのか分からない。ただ、昼夜問わず砲弾が降り注ぐ中、葉っぱをかさ代わりにして身を隠しながら、叔父に手を引かれ、泣きながら必死に走り回ったことを覚えている。
とにかくひもじくて、水や食べ物を求めてさまよった。辺りは歩く場所もないほどの死体が転がり、その上を歩くしかなかった。そしてまた、爆撃機の音が近づく。「また来る」と恐怖し、両手で耳をふさいで地面にしゃがみ込んだ。
夜はヤギ小屋で寝た。臭いもあったが、雨さえしのげればよかった。だが、衣服にはシラミが沸き、かゆくてたまらない。こんな毎日の繰り返し。いっそ死んだ方が楽とさえ思えた。
平和の礎には、戦争で亡くした兄といとこの名が刻まれており、毎年食べ物や花を手向けに来る。元気なうちは、ここで手を合わせ続けたい。
今の世の中、食べ物もあるし、生きているだけでありがたいと思う。あの戦争を二度と繰り返してはいけない。「吹き飛ばされた女性の首、今も…」
◆新里トヨ子さん(80)=八重瀬町
今日は夫の祖母、新里ウトさんに会いに来た。面識もないし、顔も知らないけど、夫がかわいがってもらったので感謝し、毎年参拝に来ている。
沖縄戦当時、私は8歳だった。家族4人で逃げていたが、どうせ死ぬなら浜で死のうと話し、暗闇の中、八重瀬町の新城から糸満市の大渡海岸まで歩いた。途中、道ばたで負傷した日本兵に足をつかまれ、「助けてくれ」と言われたのを覚えている。
忘れられない光景がある。とてもきれいなお姉さんが、爆撃で首が吹き飛ばされ、笑顔のままで顔が塀にくっついていた。私はそれを指さして、母親に「おっかー、見て」と言うと怒られた。
平和で豊かな世の中になったが、殺人など凶悪な事件が起きている。戦争を体験していたら、そんなことできるはずがない。戦争の話はあまりしたくないけど、若い人たちには相手を思いやり、物を大切にする気持ちを学んでほしい。
(参考資料)
T 日米同盟の真実=米国のやり放題、
NHK等が報道しない、属国日本の証拠 !
(投稿者:松代理一郎 投稿日:2013年 4月 8日(月)23時32分45秒より抜粋・転載)
IWJ地位協定スペシャル」の録画を見て、本書を購入、読み途中ですが、”眼から鱗”の話の連続で、「戦後史の正体」(孫崎亨著)の続編として必読です。 戦後、アメリカの直接軍事占領から、「サンフランシスコ講和条約」と対にして、「日米安保条約」が結ばれたが、その肝となるのが「日米地位協定(日米行政協定)」。
「日米地位協定」こそ、ダレスが言う「われわれが望む数の兵力を、(日本国内の)望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」の具体的根拠です。 同時に「日米地位協定」は、日本の主権(憲法を頂点とする国内法体系)を完全に無視した、「宗主国やりたい放題」の「植民地支配」を保証した“命令”となっています。
特に、「日米地位協定」に基づき、刑事特別法・民事特別法(条約国内法)が新たに制定され、日本国民に対する「植民地支配」を国内法でも保障する手立てが図られています。
かつて、どこからの法的制約も受けない“グアンタナモ基地”でのイラク「捕虜」に対する非人間的な扱いが発覚し、世界中から米国が非難されました。今の「日米地位協定」に守られた米軍兵士、軍属関係者、家族も、日本国内では、どこからの法的な制約を受けない状況にあります。
日本への入出国(米軍基地を介すれば)も、ノーチェック、完全フリーだし、日本国内での“振る舞い”は“日本の国内法の適用外”で、“やりたい放題”が実質保証されている状態なのです。
日本に駐留する米軍は、「日米地位協定」によって、米国法にも日本国内法にも縛られず、やりたい放題の“グアンタナモ基地“なみの無法行為が、合法的に許される仕組みになっています。
その事例は、沖縄の“米兵の少女レイプ殺人事件”で米兵を逮捕できなかった話など、枚挙にいとまがありません。「日米地位協定入門」には、実際、“えっつ!まさか”と驚く事件が、沢山載っています。詳しくは、「山崎淑子の生き抜くジャーナル」にあります。
U 米国から上級奴隷・自民党へ密かに 長年、資金提供され、
米国の 支援をバックに対米隷属・国民洗脳
自民党一党支配体制が構築されてきた !
(T) 右翼・米国の支援で、対米隷属・保守政党の結成 !
冷戦の始まりとともに、対日占領政策の変更・「逆コース」により、アメリカは、日本の戦時体制を維持し、戦時中のエリート(戦犯たち)に、権力を握らせようと決めていた。
そのため、対米隷属を約束させられた、戦争犯罪人を監獄から出してやった。
1948年12月24日、釈放された、A級戦犯容疑者は、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎など70名以上存在し、戦後の政界・経済界・政界の黒幕など多方面の有力者になった。
講和後の1958年4月、禁固刑のA級戦犯(賀屋興宣、白鳥敏夫、重光葵、橋本欣五郎などは後に衆議院議員となる)は、全員赦免になった。
1945年11月、保守政党の結成、再編が行われた。
日本自由党(自民党の前身)の資金は、戦時中に右翼の児玉誉士夫が海軍の「児玉機関」の長として中国で物資調達にあたった時の資産(侵略戦争で強奪した、財産を横領した、裏金・時価4千億円)の一部をもらった。
(2)米国の資金提供等で長期政権を実現 !
岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出されて4年も経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。
そしていったん権力を握ると、半世紀近く続く政権党を築いていった。
このようにして、アメリカの政策に従順な日本政府の体質は、敗戦直後から着実に形成されていた。
そして、CIAが1950~70年代に日本の保守政権の安定化を図り、自民党や「左派穏健勢力」に繰り返し資金提供していた(違法資金)ことが、米国務省の機密文書公開で明らかにされている。
V 第二次大戦・日中・日米戦争の真相は、英国・米国の大謀略であった !
副島隆彦・船井幸雄の主張:
国民党と中国共産党を和解させて、抗日統一戦線をつくらせ、日本を敗北させようとしたことは、1929年・世界大恐慌後、景気大回復(世界的巨大財閥は、さらに、世界支配を狙う)のため、世界大戦誘導を狙う、英国と米国の裏の戦略でもあった。
特に、米国は、英国を追い抜いて、世界覇権国になるという、英国に内密の戦略のため、大戦後・対ソ連との戦いのため、1930年代から、日本占領・支配・収奪を狙って、長期的に準備(その結果、世界覇権国になれた )していた。
つまり、日本政府・陸海軍首脳は、英国・米国・ソ連・中国共産の「仕掛けたワナ」に嵌められて、無謀な大戦に突入したのだ。
マッカーサー元帥は、こ日本首脳を、12歳並と言った。自民党体制(官僚機構・財界・マスコミ・御用学者・御用評論家も含む)は、アメリカが裏から思い通りに支配するために、強力なアメリカ主導で作ったものである(『昭和史からの警告』。
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