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「ドラマ・真田丸」、豊臣方が 徳川方に敗北した、深層は ?
だまされた責任・罪は、だます側の罪で消せない !
T 大坂冬・夏の陣、真田信繁の最期 !
(真田丸.netより抜粋・転載)
慶長16年(1611)に父・真田昌幸が死去。
それから3年後、徳川氏と豊臣氏の関係が悪化し戦が始まった。
豊臣氏は、浪人を集め、九度山の信繁にも召集の声がかかる。
豊臣家への恩義を感じていた信繁は参戦を決意。九度山を脱出して大坂城に入った。
やがて迎えた大坂冬の陣。
信繁たち浪人衆の野戦案が却下され、大坂城での籠城策が決定した。
そこで信繁は、守りの手薄な城の南側に「真田丸」と呼ばれる出城を築いた。
信繁は鉄砲隊を用いて敵兵に大打撃をあたえ、徳川勢を撤退させる活躍を見せる。
☆和睦交渉で、豊臣方・大藏郷局(おおくらきょうのつぼね)は、
徳川方・阿茶局・家康の謀略に騙されて、不利な条件を承認した。
結局、大坂冬の陣は、和睦によって一旦終了を迎えた。
☆真田丸は、大阪城・堀の埋め立て工事にともない、取り壊しとなった。
そして、和睦から半年後、大坂夏の陣が勃発する。
豊臣方の戦況は苦しい。
しかし、真田信繁は、家康の首だけに狙いを定め、真正面から家康本陣へ突撃を敢行、死に物狂いの奮戦で活躍する。
信繁は、死を覚悟させるほど家康を追い詰めたが、兵力で勝る徳川勢に挽回され、四天王寺近くの安居神社の境内にいるところを討ち取られた。
享年49歳であった。
信繁の死の翌日、大坂城は陥落し、豊臣秀頼や淀殿たちは自害する。
こうして信繁の奮戦むなしく、豊臣家は滅亡したのだった。
U 真田丸 最終回のあらすじ !
(真田丸.net > 真田丸ネタバレ情報館 TOPより抜粋・転載)
真田丸 最終回のあらすじネタバレ:大阪夏の陣:
慶長二十年五月七日早朝。ついに迎えた、徳川との最終決戦を前に軍議が開かれた。
幸村、治長、勝永、全登、治房らは、それぞれの布陣を確認していく。
真田勢、毛利勢は、天王寺に陣取り敵を引き付ける役目だ。陣容が整ったら、秀頼も出馬する。
合図は豊臣家の馬印。それが掲げられたら、全軍一丸となり、攻撃を仕掛ける手筈となっている。
幸村「必ずや家康の首、取ってご覧に入れまする」気合がみなぎっている幸村。
軍議を終え、幸村は茶々の元へ行き挨拶をした。そしてある頼みごとをした。
万が一家康を打ち損じた時は、残されたものを救うため、千姫を和睦の使者とし、秀忠の元へ向かわせてほしい。茶々は快諾してくれた。これで心残りはない。
自室に戻り、鎧をつけながら今までの人生を振り返る。何かこの世に生きた証は残せただろうか。
横で見守る内記にそう問いかけた。内記「人の値打ちは時が決めるものでございます」
遠くで早蝉が鳴いていた。
予期せぬ開戦、家康は自陣から豊臣の陣を眺めていた。
秀頼が出陣して来れば、今は徳川に従っている、豊臣恩顧の大名たちはどうなるであろうか。
家康の思い:やはり、士気は下がるだろう。秀頼を、出陣させてはならぬ。
☆そこで正純は、秀頼が出陣を躊躇する謀略を考えついた。
幸村がこちらに寝返ったという噂を流すのだ。
その幸村の陣では、幸村、勝永、治長が秀頼の出馬を待っていた。
しかし秀頼は、中々現れない。治長は出馬を促す使いを出すために陣を出て行った。
待っている間、幸村と勝永は勝つための策を語り合っていた。
徳川の兵は実戦経験に乏しい。
それは、陣を構える時の要領の悪さを見ても明らかだ。
各大名のまとまりも悪い。そこに隙がある。
真田・毛利両軍で家康の本陣に突入すれば必ず勝てる !
そう踏んだ直後、銃声が響いた。徳川の部隊が毛利軍を銃撃したのだ。
毛利軍もすぐさま打ち返した。
一斉攻撃を仕掛けるつもりであったが、予定外の早さで戦闘は始まってしまった。
日の本一の兵、真田幸村 !
大坂城の秀頼は、すぐに出陣すると言っているが、茶々の乳母・大蔵卿局(おおくらきょうのつぼね)がそれを必死で止める。
☆大蔵卿局は、正純が流した、幸村が徳川と通じている
という噂を真に受けていたのだ。
→大阪冬の陣でも、徳川の謀略に騙された !
*補足説明:
豊臣秀頼は、「秀頼の母・茶々と大蔵卿局」の家康の謀略に騙されやすい、
かつ、臆病で、真田幸村や浪人を疑いやすい、愚かな女性に、支配され、
真田幸村の戦略をあまり実行しなかった。
◆最高指導者とその取り巻きの愚劣・臆病が、
敗北の最大の原因だった。
その頃、勝永率いる毛利軍は、快進撃を続けていた。
本多隊、真田隊を打ち破り、家康の本陣へまっしぐら。
幸村は共に戦うという大助を制し、城に戻って秀頼へ出陣要請をするよう命じた。
そしていよいよ幸村が出陣した。怒涛の如く進撃する、幸村と真田軍。
戦慣れしていない徳川軍は、大混乱に陥った。
幸村は家康の本陣を目指して馬を走らせる。「目指すは家康の首、ただひとつ !」
四十九年の歳月が刻まれた幸村の精悍な顔。
その眼差しは、燃えるように輝いていた。真田左衛門佐幸村。
戦国の世に生き、義を貫き通し、徳川家康と渡り合った幸村の名は、のちの世に「日の本一の兵」として語り継がれていくのであった・・・
(参考資料)
1 隠れ自民党とは ?
安保法案に賛成、安倍内閣不信任案に反対、「日本収奪の最終兵器」・TPPに賛成の
日本維新の会(元・おおさか維新)・新党改革・日本のこころを大切にする党(元・次世代の党)・日本を元気にする会は、看板だけの野党で、正体は、隠れ自民党で〜す !
国民騙し上手は、安倍首相並みです。
故に、党首討論・国会等で、自民党批判はせず、野党共闘批判等をして、
安倍首相を助けています。
建前、平和・中道主義・大衆福祉・公明党の正体は、戦争・右翼・弱肉強食・ペテン師・売国奴・金権腐敗自民党の山口派、自民党政治家と同類で〜す !
悪徳ペンタゴンに従属・公明党・隠れ自民は、自民党の悪政・人物破戒工作・格差拡大等
は隠蔽、支持者騙しは、ダントツ上手、安倍首相並みで〜す。
自公維新の支持者の大部分は、騙されて、
悪徳政治屋・ペテン師に利用されている !
U だまされた責任・罪は、だます側の罪で消せない !
間接的な加害者性を自覚していないことが
国畜の「最大の罪」なのだ[1]。
(1)権力者の願望
メディアや「大企業によるプロパガンダ」と「主流の学問」によって、「形式上多くの人々が選挙権を持つという事実を克服することができる・・・・・。
その事実は合意を作り出すことによって無効にすることができ、たとえ形式的な参加ができても人々の選択や態度を自分たちの言った通りにしてしまうことが可能となる。
かくして適正に機能する民主主義が作り出されるのであり、それはプロパガンダ産業の教訓を適用した結果なのである。
このような社会における「馴致教育」の勝利は、アドルフ・ヒットラーの次の言葉を念頭に置いたものであろう。
「権力者にとって民衆が何も考えないことほどありがたいことはない」[2]。
民主主義の妙味は、人びとをたがいに孤立させ、関係を持てなくすることで民主主義的形式になんらかの実体を付与する恐れのある情報ややりとりを得られなくしてしまうことにある[3]。
(2)国家に飼いならされる人間の「騙される罪悪」
佐高信氏は、騙されることの罪について、次のような、厳しい主張をしている。
会社に飼いならされた人間が社畜であるならば、解釈を広げれば国家に飼い慣らされる人間もいる。それが国畜だ。国畜もまた「あなたたちは国畜である」と指摘されることを嫌う。
というより、自分が、そもそも国畜であることに気づいていない。
国畜は、ひたすらに自分だけが安穏に暮らせることを求めている。
国家を信じて、国家に判断を任せて、いわば飼い主に自分の判断を委ねている人間である[4]。
映画監督の伊丹万作(1900−1946)は、1946年に『戦争責任者の問題』という文章を書き、当時、戦争では、みんなが騙されていたという声が一般的な中、騙されたという日本人を痛烈に批判している。伊丹はこう書いている。
「多くの人はだましたものとだまされたものとの区別ははっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚」なのではないか、と。
つまり「騙しの専門家」と「騙される専門家」とは、はっきり分かれていたのではなく、「日本人全体が夢中になって互にだましたりだまされたりしていた」のである。
そのうえで伊丹は、“騙されることの悪”に言及する。
騙されたとさえ言えば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、騙されたこと自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
伊丹は、『騙されていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるろう」とも書いている。
つまり、「主体性がないこと、暴走する国家を止めることができないこと、自分のなかの間接的な加害者性を自覚していないことが国畜の「最大の罪」なのだ[5]。
映画監督・伊丹万作は、次のように書いています(佐高信『石原慎太郎の老残』毎日新聞社、2007年、78~79頁)。
「だまされた者は正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてない」、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と断定している。
そして、伊丹は、「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう、と喝破したのです。
伊丹:「だまされるということは、もちろん知識の不足からもくるが、半分は、信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。
我々は、昔から『不明を謝す』という一つの表現を持っている。これは、明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。
つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである」
伊丹:「そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになってしまっていた、国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」
だまされた責任を、だます側の罪で消すことはできません。
結局、簡単にだまされるほど愚かだったということなのです。
[1] 前掲書『国畜』、7〜9頁。
[2] ノーム・チョムスキー前掲書、17頁。
[3] 前掲書、19〜20頁。
[4] 佐高信『国畜』KKベストセラーズ2008年、2頁。
[5] 前掲書『国畜』、7〜9頁。
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