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安倍首相が推進のTPPの深層・グローバリズム・新自由主義への批判論は ?
T EU離脱を全マスコミが批判している愚
(blogos.com:2016年6月25日より抜粋・転載)
小林よしのり氏の主張:
予感してはいたが、朝日新聞から、産経新聞から、東京新聞まで、全マスコミが、イギリスのEU離脱に驚き、失望し、危惧を覚え、批判している。
ナショナリズムの台頭はいけないことだと主張している。「一国平和主義」とか「孤立主義」とか「排外主義」とか「トランプと一緒」とか「ルペンと一緒」とか言っている。
ものすごい、「紋切り型の思考」で、今回イギリスで行われた、究極の民主主義「国民投票」で、100万票もの差をつけて勝利した「離脱派」を批判している。
普段は民主主義を絶対の価値としているくせに、都合の悪い結果が出ると「ポピュリズム」と言い出す。EUという理念そのものが、知識人の空想平和主義の産物で、設計主義的なイデオロギーだった可能性を考えようともしない。
☆EUが、崩壊に向かうなら、TPPだって大いに危ういのだが、朝日新聞から
産経新聞まで賛成だから、不安になるのだろう。
☆だが、「自由貿易」による「カネ儲け」にしか興味のない連中は、国柄を重視する国民主義としての「ナショナリズム」を否定して、カネ儲けのための「グローバリズム」を推進したがる。
朝日新聞ら左翼は、市場絶対主義がジョンレノンの「イマジン」のような、国境のない単一世界を実現し、「人類みな兄弟」となって、戦争を防止できると考えている。
一方、産経新聞も市場絶対主義で単一色の世界になった方が、カネ儲けに都合がいいと考える。
ようするに「経済第一」「国柄第二」なのは、朝日も産経も同じ。これが、わしが「全マスコミが左翼」と認定する根拠である。だれも「国柄を守るナショナリズム」を肯定していないのだ。
彼らは、ナショナリズムに「右翼」というレッテルを貼って、トランプやルペンと共に「右翼括り」で一蹴しようとする。
だがこの先、トランプが大統領になったら、彼らはアメリカを「右翼国家」と非難し、ルペンの政権が成立したらフランスを「右翼国家」と詰るのだろうか?
ナショナリズムに「右翼」のレッテル貼りをする短絡性を、考え直した方がいい時期ではないか。
「右翼」とは、フランス革命後の国民議会で、王位を守る側の席が議長から見て右側だったというだけの語源に過ぎない。
☆もう少し、教養を前提にした議論をしてみたらどうだ?
U グローバリズム、市場原理主義、そして米国一極集中主義
(www.e-takahashi.net:2003年4月より抜粋・転載)
はじめに(2003年4月):昨年、大学院のゼミのコンパの時に、アメリカの社会のあり方や外交政策を批判する発言をしたら、ある学生から「高橋先生はアメリカが好きなんじゃないですか?」と言われたことがある。
確かに、私は企業財務論の授業の中では、アメリカ企業と対比する形で最近の日本企業の収益性や資本効率の低下を指摘し、日本企業の経営を株主価値創造の方向に転換する必要性を強調する。このため、私は、どうもアメリカを礼賛する人間と見られているようである。
しかし、私は、企業経営の面でアメリカのやり方から学ぶべき面は多いと思っているが、単純にアメリカのやり方を日本に導入せよと主張しているわけではない。
まして、経済政策、政治体制、さらには国際関係まで含めて考えると、現在のアメリカで主流の考え方が正しいとは決して思っていない。
ここに、グローバリズム、市場原理主義、米国一極集中主義の3つの言葉をキーワードにして、私の最近の考え方をまとめてみたい。
◆グローバリズム
グローバリズムという言葉を聞くと、どうしてもマルクスの「資本主義は世界市場をつくる」という言葉を思い出してしまう。
別にマルクスに従うわけではないが、資本主義のダイナミクスを考えれば、経済のグローバリゼーションは歴史の必然であると私は思っている。
皮肉なことに、グローバリゼーションがソ連型共産主義体制を崩壊させる原因の一つになったともいえるのである。
ただし、急激なグローバリゼーションには、これまでのローカルな共同体や社会習慣の破壊につながるという副作用がある。また、発展途上国が経済活動や金融取引を対外的に完全に自由化してしまえば、当然のことながら先進国の資本に全面的に支配されてしまうことになる。したがって、発展途上国には、自発的な経済発展のために、自国の経済・金融をオープンにしない権利が存在すると私は考える。
戦後の日本をとってみても、長い間、貿易、資本投資、金融取引などの面で閉鎖的な体制をとってきたことこそが、経済発展をもたらしたといえる。
したがって、IMFが途上国の経済活動や金融市場の自由化を進める姿勢をとっているのは理解できない。
自由貿易とか金融自由化という言葉は、響きはよく、一般的には経済の効率化をもたらすように聞こえるが、実際には先進国による発展途上国の経済支配につながるような、きわめてイデオロギー的な言葉だと思って間違いない。
ただし、現在の日本経済にとっては、グローバリゼーションはすでに現実のものとなっており、これに反対する理由はない。日本の社会や市場を対外的にオープンにして、日本の社会や経済の発展に役立てるようにする姿勢をとるべきである。
◆市場原理主義
どうも最近、市場原理主義という言葉は悪い意味で使われているようである。
しかし、資本主義経済のもとで、基本的に資源配分は市場メカニズムにゆだねるべきだという意味では、私も市場原理主義者である。
市場原理主義に対する批判の対象や内容は様々である。例えば、発展途上国の金融市場の自由化を行ったことが、ヘッジファンド主導によるアジア各国の通貨危機を招いたという批判がある。
私は、これについては、前述のように市場メカニズムをむやみに発展途上国に押しつけることは、これらの国々の経済発展を阻害するものであると考える。
次に、現在の日本政府の経済政策が市場原理主義に基づくために、今日の経済の混迷をもたらしているという批判がある。しかし、私はこの批判には同意できない。
というのは、現在の日本政府やそれを支える主流経済学者は、決して真の意味での市場原理主義ではないからである。
例えば、これまで政府(特に旧大蔵省と現財務省)は自己の経済政策を正当化するために、ある時はフリードマン流のマネタリズムを持ち出したかと思えば、ある時はレーガン顔負けのサプライサイダーになり、そしてある時は市場メカニズムを重視する姿勢を打ち出すなど変幻自在である。
☆しかし、大蔵省−財務省と続くエスタブリッシュメントの本質は古典的な財政均衡主義でしかない。彼らは、その立場を正当化するために、状況に応じて様々な経済理論をつまみ食いするご都合主義者でしかないのである。
私は、少なくとも日本国内に関しては、これまでは市場メカニズムが行きすぎて起きた問題よりも、これまでの政府主導型の資本主義のもとで市場メカニズムが十分働かない状態が続いてきたために引き起こされた問題の方が多いと思っている。
ただし、日本の金融ビッグバンについての実施時期については、私は疑問を感じている。
金融ビッグバン自体は世界最大の債権国になった日本がオープンな金融市場をつくるために必要だと思う。
しかし、バブル崩壊後の不良債権問題で金融機関の体力が弱り、金融システムの不安を抱えている時期にビッグバンを行うと、ウィンブルドン現象(外資系企業の参入に押され、国内企業が淘汰されてしまう状況)を招く懸念がある。
なぜこれまで金融機関に対して箸の上げ下ろしまでうるさく指導してきた旧大蔵省が、不良債権問題が解決していない状況で金融ビッグバンを行ったのかが、私にはわからないのである。
もっとも、最近の日本経済や株式市場の不振のもとで、多くの外資系金融機関、特に証券会社が日本市場からどんどん撤退している状況を見ると、テニスの聖地ウィンブルドンと違って芝生どころかぺんぺん草も生えないのが今の日本の現状であり、このような状況のもとではウィンブルドン現象など起こりえないのかもしれない。
話を市場の役割に戻せば、結局、経済先進国では、政府による計画によって効率的な資源配分をすることは不可能であり、基本的に市場メカニズムに頼らざるを得ないのである。
ソ連の崩壊や日本のバブルが明らかにしたことは、市場を恒常的にコントロールすることは、結局、非効率な資源配分をもたらすということであった。
金融資本市場でしばしばバブルやパニックによる価格形成が行われるように、市場は決して完全ではなく、それによる弊害もある。
しかし、人間の能力は市場を凌駕するほど万能ではない。それゆえに資源配分の面では、市場に頼らざるを得ないのである。
◆米国一極集中主義
私は、これまで取り上げてきたグローバリズムも、市場原理主義も(原理をつけずに市場重視主義と呼んだほうがよいと思うが)、少なくとも経済先進国では、当然のことと考えている。
ただし、その受容の仕方は国によって異なるであろうし、経済活動のあり方や経済政策、経済制度などのすべての面で、アングロサクソン的な制度が普遍的なものとは思わない。
発展途上国となると、さらに事情は異なる。前述のように、どのような国も自発的な経済発展を追求する権利があり、そのためにはグローバリゼーション(経済活動や金融取引のオープン化)を拒否し、市場メカニズムの発動を制限することが必要になる。
まさに、これこそが戦後の日本経済が発展した要因だったのである。
結局、グローバリズムなどが批判されるのは、発展途上国の立場や西欧キリスト教文明以外の文明を理解しないで、アングロサクソン的な秩序をすべて正しいと考えるアメリカの指導者の知的傲慢によるものである。
特に、冷戦勝利のあとでは、武力を使用してでも世界各国にアメリカ流の民主主義を広めることが、アメリカの使命であるとする新保守主義が政治の分野では力を得ているそうである。
☆しかし、それは、経済の分野では、市場メカニズムを絶対化し、経済発展の状況や国情を考えずにそれを押しつけるIMFの方針になって現れている。
私は、マルクスが言うような資本のダイナミズムを考えると、世界的に資本主義経済が基本的な経済体制としてこれからも続くと思う。しかし、資本主義の受容の仕方は各国で異なり、さまざまなタイプの経済体制がこれからも併存すると思う。
現在、世界には様々な文明が併存していることを考えると、政治体制の面では、経済体制以上に各国間の大きな違いが残ると思われる。
西欧流の民主主義を発展途上国に押しつけるのは西欧先進国の知的エリートの傲慢であり、たとえ、それが西欧流には遅れて見えようとも、各地域の文明に対応した政治制度(独裁政治も含む)が存在し続けることになろう。
◆まとめ
1. 経済的にはグローバリズムは歴史の必然であるが、発展途上国は、自国の経済をクローズして、経済発展を追求する権利があり、自由化をすべて受け入れる必要はない。
2. ソ連型共産主義体制が崩壊した現在、人間は基本的には資本主義市場経済のもとで生きざるを得ない。市場は決して完璧ではないが、人間の知力は限られており、基本的には市場メカニズムに頼らざるを得ない。
3. これからの世界では、経済的には資本主義市場経済が基調となるであろうが、各国の文化や宗教や社会習慣などの違いを反映して、資本主義の枠内でさまざまなタイプの経済体制が併存するであろう。
4. 現在、世界には様々な文明が併存していることを考えると、西欧的民主主義は発展途上国で必ずしも受容されるとは限らないであろう。
5. 現在のアメリカの指導者のように、西欧的な民主主義や市場メカニズムを絶対的な善として、これらの全面的な採用を発展途上国に押しつけることは、各国の固有の文明とぶつかり、また各国の自発的発展を損なうことになる。
☆唯一の覇権国であるアメリカがこのような傲慢な姿勢を改めない限り、これからも世界各地で政治的対立と経済的な混乱が起こることになろう。
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