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自民党政権下、日航ジャンボ機事故は、多くの疑惑はあるが、
公式な再調査は、されていない !
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された説 !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2016/09/13より抜粋・転載)
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1)1985年8月の日航ジャンボ機事故の深層・真相は ?
9月11日付メルマガ記事:「911、日航ジャンボ、北朝鮮の真相」:http://foomii.com/00050
の反響が大きかったので、ブログ記事にも、日航ジャンボ機事故についての記述を掲載する。
事故が起きたのは、今から31年以上も前のことである。
1985年8月12日、羽田空港1800発大阪伊丹空港行き日本航空123便が18時56分に、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。
乗員乗客524名のうち520名が死亡した。生存者(負傷者)は、4名だった。
夕刻の便であり、お盆の帰省ラッシュとも重なっていた。
2)520名死亡、生存者は4名のみで、死亡数は、世界最多であった !
死者数は、墜落事故および単独機の航空事故で世界最多となった。
1987年6月19日に航空事故調査委員会は、同機が1978年6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故後のボーイング社修理が不適切であったために圧力隔壁が破損したことが事故原因であるとの報告書を公表した。
これによって公式な原因調査は、終了しているが、航空関係者や遺族などの一部から再調査を求める声がある。しかし、再調査は行われていない。
911の「同時多発テロ」についても、多くの疑惑が指摘されているが、公式な再調査は行われていない。
3)自民党政権下、日航ジャンボ機事故は、多くの
疑惑はあるが、公式な再調査は、されていない !
日航ジャンボ123便は8月12日18時12分に羽田を離陸した。
離陸後順調に飛行を続け、18時24分には大島上空を通過し、相模湾上空に
差し掛かっていた。
このとき、大きな衝撃音がして機体に異常が発生した。
このときの模様を123便の生存者で日本航空CAを務めていた落合由美氏は、次のように証言している。
「そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ−ン」という、かなり大きい音がしました。
テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。
「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。
急減圧がなくても、耳を押さえたくなるような、すごく響く音。
前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。」
「「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前の方が、うっすらとしか見えないほどです。」
「その霧のようなものは、数秒で消えました。酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。すっと消えた、という感じだったのです。」「このときも、荷物などが飛ぶということもなく、機体の揺れはほとんど感じませんでした。
しかし、何が起きたのだろうと、私は、酸素マスクをしながら、きょろきょろあたりを見まわしていました。あとになって、8月14日に公表された、いわゆる『落合証言』では、客室乗務員席下のベントホール(気圧調節孔)が開いた、とありますが、私の座席からは、ベントホールは見えない位置にあります。ですから、開いたのかどうか、私は確認できませんでした。」
18時24分に衝撃があり、機体に異常が発生して、結局、18時56分、123便は、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落した。
4)捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過後だった !
捜索隊が、墜落現場を確認したのは、墜落から10時間が経過した、13日午前8時半ころとされている。救難活動が遅れて、乗員乗客524名のうち、520名が死亡したとされている。
上記落合氏の証言によると、「墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
「おかあさーん」と呼ぶ男の子の声もしました。」という状況であった。
5)日航ジャンボ機墜落直後は、多数の乗員、乗客が生存していた !
つまり、多数の乗員、乗客が生存していたのである。
当初は、現場の発見が遅れ、救難活動が、翌朝8時半以降にずれ込んだことが、犠牲者を多くした原因と考えられたが、その後に衝撃の事実が明らかになった。
また、18時24分に大きな衝撃音が発生した直後に、コックピットから発生された言葉が、重大な真相を示唆していることも明らかになっている。
その言葉とは、「オレンジエア」である。
自衛隊では、軍事演習用の機器は、オレンジ色に塗ってある。
「ファイア・ビー」、「チャカ2」、「SSM−1」のいずれかが、123便に接触して、123便の尾翼が、喪われた疑いがある。
−この続きは次回投稿します−
(参考資料)
1985年・日航機・JAL123便 墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
★日航機墜落は、単なる事故ではなく、 驚天動地、世界規模の大事件だった !
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くにはどうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !
彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
JAL 123 Saso Kunio 01
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくそのボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、
横田基地に向かって着陸体勢に入っていたが、
着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。
私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実
を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げた、ワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。
【全編】佐宗邦皇氏「米国で起こった2度の軍事クーデター」http://www.youtube.com/watch?v=Abq_bIFGwFA
1985年当時における、空対空ミサイルの起爆タイミングは、命中直撃を無理に狙わず、敵機近傍で爆発し、確実にダメージを与える「近接爆発方式」が主流。
ただし、ファルコン系列ミサイルは、「直撃」が可能なら自律的にそちらを選択する。
(「ミサイルは近接信管(きんせつしんかん)だから123便に命中する前に爆発するはずだ。
このサイトの筆者はそんなことも知らないのか!?」等という馬鹿にしたような書き込みが時々ある。この方は自衛隊関係者なのかもしれないが、ファルコンミサイルの実際を知らないようだ。
軍事専門家によれば、ミサイルは、センサーが敏感過ぎてちょっとの振動で爆発しても危険なので、敏感すぎないよう調整されており、その理由から、およそ50%は、不発弾になってしまうという。)
★墜落現場123便第3エンジン付近に散乱する、
米国レイセオン社製空対空ミサイルの部品 !
―以下省略―
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