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520人死亡・日航機墜落事故から31年遺族ら慰霊の登山実施 !
JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている ?
(www3.nhk.or.jp:2016年8月12日 6時28分より抜粋・転載)
◆520人が犠牲になった日航機墜落事故から31年、遺族ら慰霊の登山 !
520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から、8月12日で31年となり、墜落現場となった群馬県上野村では、朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた、日本航空のジャンボ機が、群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては、最も多い520人が犠牲になりました。
事故から31年となる12日、上野村では、朝早くから遺族や関係者が墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して慰霊の登山を始めています。
☆遺族たちは、亡くなった家族の墓標に手向ける花束など
を持ちながら登山道を登っていました。
そして、墜落現場にある慰霊碑、「昇魂之碑」の前に到着すると、手を合わせたり花を手向けたりして犠牲者を悼んでいました。夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて黙とうをして、空の安全を祈ります。
◆おじを亡くした男性「感謝の気持ち伝えに」!
事故でおじの石倉六郎さんを亡くした茨城県の磯寿人さん(46)は「1年間、家族が無事過ごせてありがとうという感謝の気持ちを伝えに来ました。子どもも大きくなったので事故のことを少しずつ伝えていきたいです」と話していました。
また、磯さんのおいにあたる高校1年生の磯天成さん(16)は「事故が再び起こらないようにと祈りました。同級生で事故を知っている人は少ないので、事故を知ってほしいです」と話していました。
◆「体力続くかぎり慰霊登山続ける」と遺族は話す !
事故で妹の吉田仁美さん(当時28歳)の一家3人を亡くした奈良県御所市の田仲威幸さん(66)は、「妹の家族は事故でみんな死んでしまいました。妹の夫の両親も亡くなったので、私は体力が続くかぎり慰霊の登山を続けたいと思います」と話していました。機長の妻「昇魂之碑」に線香供える
事故機の機長で、高濱雅己さん(当時49歳)の妻、淑子さん(72)も慰霊の登山を行い、慰霊碑の「昇魂之碑」に到着すると、線香を供えて手を合わせていました。そして、地元の関係者と言葉を交わし、「こちらを訪れるたびに登山道がよくなっていますね。守っていただいてありがとうございます」と話していました。
◆妹亡くした男性:「毎年登る意義ある」!
事故で妹の淳子さん(当時20)を亡くした大阪府の泉谷透さん(57)は、「見守ってくれていると思うので、元気にことしも来ることができたよと報告しました。事故のことを忘れない人が航空の現場にいれば、事故を防いでいくことができると思っています」と話していました。
また透さんの息子の諒さん(28)は、「小学生の頃からここにきています。520人が死亡した事故を風化させないためにも毎年登る意義があると感じています」と話していました。
(参考資料)
1985年・日航機・JAL123便 墜落事故の真相は ?
(blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/4121599.htmlより抜粋・転載)
★JAL123便墜落事故、超国家権力によって隠蔽され続けている !
あの日1985年(昭和60年)8月12日JAL123便に、一体何が起こったのか?
事件の背景は?真実は、当初から超国家権力によって隠蔽され続け、20数年間深い闇の中にあった。
しかし、近年になってようやく、新たな証言者が現れ、この問題を長年追い続けて来た人達と結びつき、遂に闇の核心部分に光が当たるようになった。
日航機墜落は、単なる事故ではなく、驚天動地、世界規模の大事件だった !
★日航機墜落事件をうまく隠ぺいした人は異例の
昇進をし、追及した人は、辞職を強要された !
日本国民は、高度にマインドコントロールされ、
慣れ親しんだ現実は、全て幻想だったのだ !
★この世界から争いが消え、真の平和を築くには
どうすれば良いのか?
★『自身の殻を打ち破る大きな努力』の後、
本当に幸福な人生とは?
★墜落現場の「ミスリード」が始まり、救助隊
の到着は、大幅に遅れる !
★生存者4人は、報道直後突然失踪 !
彼らは、一体どこへ消えたのか !?
★墜落現場では多くの人達が助けを呼んでいたと証言 !
★JAL123便が炎をあげて墜ちてきた、光るもの
が飛んできたと証言 !
☆日航123便墜落事故群馬県医師会記録 救助がもっと早ければ……空白の15時間。
☆元日航職員佐宗邦皇(さそう・くにお)氏の証言(動画開始後2分10秒辺りから):
JAL123は、「小型中性子核ミサイル」によって、「撃墜」された。
★元日航職員佐宗邦皇氏は、用意されたお茶を
飲んで倒れ、翌日急死した !
貝のように口を閉ざす日航関係者の中にあって、佐宗氏は、自らこのJAL123便墜落事故の調査を行い真実を発信する大変貴重な存在だった。
2009年8月9日午前11時突然帰らぬ人となるまで、その活動は続いた。
享年59歳。亡くなる前日のワールド・フォーラム(前述の動画はその開始部分)で「天皇の金塊」著者高橋五郎氏の講演に続き自身が登壇、用意された「おーいお茶」500mlボトルに口をつけて1分以内に椅子から崩れ落ちる。
最前列の聴講者が、機転を利かし、素早くそのボトルを確保し、後で遺族に提出した。不審な数人の男達が飛び出し、同じくそのボトルを確保しようとしたが得られず、凄い形相で、その聴講者を睨みつけたという。(コメント38参照)
★日航機は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんです !
ビデオ佐宗邦皇氏発言書き起こし、解説 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。
僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、「中性子爆弾の空対空ミサイル」だった可能性があるんですね。
一回ぽきっと折れて、後部は、グライダー状態に落ちて行った。
空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。
“内部隔壁が原因というのは嘘”なんですね。
★尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって
着陸体勢に入っていたが、着陸を拒否された !
尾翼に無人標的機が、突き刺さった状態で、横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。
ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。
それで、横田基地への着陸を認めないから、飛行機は、ずっと御巣鷹山まで追い込まれた。
目的は、アメリカが、プラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」
★元日航職員・佐宗邦皇氏は、世界の真実
を発信する活動をしていた !
元日航職員・佐宗邦皇(さそう・くにお)氏が、立ち上げたワールド・フォーラムでは、各界の優れた講師を招き、或いは自らが講師として、世界の真実を発信する活動をしていた。
その内容は、万人が知るべき大変重要な情報であったが、世界支配者層にとっては、絶対に知られてはならないものばかりだった。以下の動画は、佐宗邦皇氏が、9・11事件の真相を伝えるもの。
軍事専門家談:これは、大型機撃墜のため開発されたファルコンミサイル。
1985年当時における、空対空ミサイルの起爆タイミングは、命中直撃を無理に狙わず、敵機近傍で爆発し、確実にダメージを与える「近接爆発方式」が主流。
ただし、ファルコン系列ミサイルは、「直撃」が可能なら自律的にそちらを選択する。
(「ミサイルは近接信管(きんせつしんかん)だから123便に命中する前に爆発するはずだ。
★墜落現場123便第3エンジン付近に散乱する、
米国レイセオン社製空対空ミサイルの部品 !
―以下省略―
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