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小池百合子氏を殺害すると書き込み !
「脅迫容疑」で、ツイッター に書き込み男を逮捕 !
政党を渡り歩く、小池百合子氏のプロフィールは ?
(news.yahoo.co.jp: 毎日新聞 7月21日(木)11時31分配信より抜粋・転載)
◇警視庁池袋署が愛知県在住の40代の男を逮捕 !
東京都知事選に立候補している小池百合子氏(64)を殺害するとツイッターに書き込んだとして、警視庁池袋署が愛知県在住の40代の男を脅迫容疑で逮捕していたことが21日、同署への取材でわかった。容疑を認めているといい、責任能力の有無を慎重に調べている。
逮捕容疑は19日午後11時25分ごろ、ツイッターに「明日(20日)の朝7時52分、俺は散弾銃で小池百合子をもう殺す」と投稿し、脅迫したとしている。
小池氏は20日午前8時ごろ、JR新橋駅付近で街頭演説をしたが、トラブルはなかったという。小池氏の事務所が、同日午後に同署に被害届を出し、池袋署が、同日夜、愛知県内で男の身柄を確保した。
【深津誠】
(参考資料)
政党を渡り歩く、小池百合子氏のプロフィール
(ウイキペディアより抜粋・転載)
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日本の旗 日本の政治家:小池 百合子(こいけ ゆりこ)Yuriko Koike, Aug. 17, 2007.jpg
生年月日 1952年7月15日(64歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県芦屋市
出身校 関西学院大学社会学部中退
カイロ大学文学部社会学科卒業
前職 ニュースキャスター:アラビア語通訳
☆所属政党 :(日本新党→)(新進党→)(自由党→)
(保守党→)(保守クラブ→)自由民主党
(町村派→無派閥)
称号 社会学士
公式サイト 小池ゆりこ オフィシャルサイト
日本の旗 第2代 防衛大臣:内閣 第1次安倍内閣:在任期間 2007年7月4日 - 2007年8月27日
日本の旗 内閣府特命担当大臣:(沖縄及び北方対策):内閣 第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣、第3次小泉改造内閣:在任期間 2004年9月24日 - 2006年9月26日
日本の旗 第5-7代 環境大臣:内閣 第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣、第3次小泉内閣、第3次小泉改造内閣
在任期間 2003年9月22日 - 2006年9月26日
日本の旗 衆議院議員:選挙区 (旧兵庫2区→)(兵庫6区→)(比例近畿ブロ
ック→)
(東京10区→)(比例東京ブロック→)東京10区
当選回数 8回:在任期間 1993年7月19日 - 2016年7月14日
日本の旗 参議院議員:選挙区 比例区:当選回数 1回
在任期間 1992年7月26日 - 1993年
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小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年〈昭和27年〉7月15日 ‐ )は、日本の政治家、ニュースキャスター。日本ウエイトリフティング協会会長。所属政党は自由民主党。
参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣・第2次森内閣)、環境大臣(第5・6・7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)などを歴任した。
◆参議院議員[編集]
1992年の第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」[7]との理由で、前熊本県知事の細川護熙が結党した日本新党に入党し、比例区から出馬して参議院議員に初当選した。
◆衆議院議員[編集]
1993年、参院議員を任期途中で辞職。第40回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から日本新党公認で出馬し、当選した。同年、細川内閣で総務政務次官に就任。
1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫6区(伊丹市・宝塚市・川西市)から出馬し、再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近であり、1997年の新進党解党後は、小沢が党首を務める自由党の結党に参加。
1999年、小渕第2次改造内閣で経済企画政務次官に任命され、第1次森内閣まで務める。
2000年の自由党分裂に際して小沢と決別し、保守党結党に参加した。2002年、民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に保守党を離党し、保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。清和政策研究会に入会した。
◆小泉政権[編集]:環境大臣[編集]
2003年、第1次小泉第2次改造内閣で環境大臣に任命され、初入閣した。同年の第43回衆議院議員総選挙では、比例近畿ブロック単独で立候補し、4選。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。
◆2005年衆議院議員総選挙[編集]
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政国会で郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起の当選を阻止するため、東京10区に刺客として国替えする意向を表明。この総選挙では、小泉純一郎の意向で女性候補が比例区の名簿で上位に優遇される措置が取られ、小池もその対象であった。
しかし、小池は対立候補から事実上当選が確実な状態であることを指摘され、選挙区での戦いが不利になることを懸念。優遇の措置を辞退して選挙に臨んでいる。選挙の結果、民主党の鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。
◆第1次安倍政権[編集]:防衛大臣[編集]
国務長官コンドリーザ・ライスと会談後に握手(2007年8月9日)
アメリカ統合参謀本部議長ピーター・ペースと(2007年8月17日)
2006年に発足した第1次安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。その後、2007年7月3日、防衛大臣久間章生の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。
防衛大臣就任後、 テロ対策特別措置法の延長問題に関して、民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した[8]。
2007年8月には、米下院慰安婦決議問題で内閣総理大臣安倍晋三、外務大臣麻生太郎、駐米大使加藤良三が日米関係に与えていたマイナス・イメージを払拭すべく、第167回国会を欠席してアメリカを電撃訪問し、国防長官ロバート・ゲーツや副大統領ディック・チェイニーと会談する。
野党がテロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは米(こめ)になります。
よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などと英語でジョークを飛ばした[9]。なお、訪米のための国会欠席について8月9日に行われた自民党国防部会などの合同会議で、山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判されている[10]。
8月24日、訪問先のインド・ニューデリーにて、同行した記者団に対しイージス艦機密情報漏洩事件に言及。「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」と述べた上で、3日後に行われる内閣改造で自身の再任を固辞し、防衛大臣を離任する意向を表明した[11]。
◆2008年自由民主党総裁選挙[編集]
2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された自由民主党総裁選挙に20人の推薦人を確保し、立候補した。自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初である。
「霞が関をぶっ壊す」をスローガンに構造改革路線の継承を掲げた[要出典]が、麻生太郎、与謝野馨に次ぐ3位の得票数で、地方票は0票であった。ただし、党員票では麻生に次ぐ2位に付けており与謝野を大きく引き離している。これは多くの都道府県が地方票の1位総取り方式を採用したためである。
◆2009年衆議院議員総選挙[編集]
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、公明党の推薦を受け[12]、再び東京10区から出馬。また、同じ東京10区に候補者を擁立していた幸福実現党に選挙協力を打診し、幸福実現党は候補擁立を取り止めて小池を支援した[13]。
「風車のお百合」をキャッチフレーズに、自身が所有する電気自動車を使用して環境を前面に押し出した選挙運動を展開し、選挙協力を得た幸福実現党と共に演説を行ったが、民主党新人の江端貴子(105,512票取得)に敗れ、重複立候補していた比例東京ブロックで復活した。
小池が獲得した96,739票は、比例東京ブロックで復活した自民党候補の得票数では下から2番目に低く、惜敗率の低さから比例東京ブロックで復活できなかった石原宏高や佐藤ゆかり、伊藤公介の得票数を下回っている(ただし、東京10区は東京都で2番目に有権者数が少ない選挙区である)。9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった[14]。
麻生総裁退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙には立候補せず、谷垣禎一の推薦人に名を連ね、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。2010年6月9日の自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。
◆自由民主党総務会長[編集]
英国エネルギー・気候変動大臣エド・デイヴィ(英語版)と(2013年6月13日)
2010年9月の党役員人事で、谷垣総裁の下、第49代自由民主党総務会長に就任した。党三役に女性が就任するのは結党以来初めてだった。2011年9月、自民党総務会長を退任した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。2014年の第47回衆議院議員総選挙では、東京10区で8選。
◆2016年東京都知事選挙[編集]
2016年6月29日に記者会見を開き、舛添要一の辞任に伴う同年7月の東京都知事選挙に立候補する意向を表明する[15]。自民党東京都連会長石原伸晃に推薦を依頼するも、「7月10日の参院選の投開票後に結論を出したい」と返答された[16]。
7月6日、「このままでは(自民党東京都連の)推薦が得られない中での立候補になるが、東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として正式に立候補を表明した[17]。
その後、自民党では増田寛也の推薦を正式に決定し、都連では石原と東京都連幹事長内田茂らの連名で、自民党が推薦していない候補者を応援した場合は「除名などの処分対象になる」との文書を自民党所属の国会議員や地方議員に配布した[18]。
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