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   自公連立の遠因、宗門事件と 創価学会会長・学会員への 弾圧・迫害の仏法的意味は ?
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投稿者 青木吉太郎 日時 2016 年 2 月 29 日 18:16:35: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


自公連立の遠因、宗門事件と創価学会会長・学会員への

弾圧・迫害の仏法的意味は ?

(第4回)

第一次・第二次宗門事件の深層・真相 !

宗門事件の真相、山崎・日顕の黒幕は、自民党体制 !

創価学会への宗教者と国家権力の大弾圧 !

1998年まで、政界で自民党と戦って、政権交代を目指していた、

多数の公明党議員は、自民党の謀略に20年余も気が付かなかったのか?

1999年自公連立以降も気が付かないのか?

常識的に見て、迫害の長期黒幕に従属し、支持者にその迫害の真相

をインペイすることは、 日蓮大聖人・三代の創価学会・会長・創価学会員

への裏切り行為になりませんか?



T 1979年、宗門の圧力(黒幕は自民党)に屈服した、副会長達により、

池田会長は辞任させられた !

その経緯と池田会長の想いは ?

首脳部が、陰謀(黒幕は自民党)に嵌(は)められて、池田会長を辞任させ、実権をなくしたことが、池田構想(1990年までに国民の33%を創価学会員にする、公明党政権で大衆福祉社会建設)頓挫、30数年低迷・自民党追随へ変質の最大原因ではないか?!!


1)「宗教権力に屈した首脳幹部」に対する

池田名誉会長の想い(20年後に漸く公表できた)!

日蓮正宗・宗教権力(その黒幕は自民党=広宣流布を邪魔する僭聖増上漫)からの弾圧に対して、臆病になった最高幹部たちに、池田名誉会長は、どう想い、どう戦ってきたか、会長辞任(1979年)の約20年後、1999年に漸く公表した随筆からその1部を抜粋する。
1979年(昭和54年)の4月24日―。

この日、私は、19年間にわたって務めた、創価学会第3代会長を退き、名誉会長となった。全国の、いや、全世界の同志は、その発表に愕然として声をのんだ。

その背後には、悪辣な宗門の権力があり、その宗門と結託した反逆の退転者たちの、ありとあらゆる学会攻撃(その黒幕は自民党=広宣流布を邪魔する僭聖増上漫)があった。
坊主らは、狂ったように「責任をとれ」と騒ぎ立てた。私は苦悩した。

―中略―ある日、最高幹部たちに、私は聞いた。「私が会長を辞めれば、事態は収まるんだな」。
沈痛な空気が流れた。やがて、誰かが口を開いた。「時の流れは逆らえません」沈黙が凍りついた。わが胸に、痛みが走った。

―たとえ皆が反対しても、自分が頭を下げて混乱が収まるのなら、それでいい。実際、私の会長辞任は避けられないことかもしれない。      
また、激しい攻防戦のなかで、皆が神経をすり減らして、必死に戦ってきたこともわかっている。

しかし、時流とはなんだ!問題は、その奥底の微妙な一念ではないか。
そこには、学会を死守しようという闘魂も、いかなる時代になっても、私とともに戦おうという気概も感じられなかった。

宗門は、学会の宗教法人を解散させるという魂胆をもって、戦いを挑んできた。
それを推進したのは、あの悪名高き元弁護士たちである。

それを知ってか、知らずか、幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略(その黒幕は自民党・米国・CIA=広宣流布を邪魔する僭聖増上漫・仏敵)に、完全に虜になってしまったのである。

情けなく、また、私はあきれ果てた。

戸田会長は、遺言された。「第3代会長を守れ!絶対に一生涯、守れ!そうすれば、必ず広宣流布できる」と。

この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。

なんと哀れな敗北者の姿よ。ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神はどこにあるのか![1]

*補足説明:

宗門事件の黒幕が、自民党・CIAである事を池田名誉会長にも、秋谷執行部・原田執行部は、インペイしているようである。その推定は、以下の理由による。
1999年・自公連立後、黒幕については、機関誌・紙で報道しないだけでなく、会合でもインペイしている。
池田名誉会長の随筆・小説等で宗門事件を記述しても、黒幕の自民党・CIAについては、全く記述されていない。


*  鎌倉時代、小松原の法難では、日蓮一行10人に数百人で地頭達が襲撃した。
竜の口の法難では、日蓮大聖人の小さな庵に数百人の武装兵士で襲撃した。

極く小さな教団でも、宗教界有力者と鎌倉幕府の権力者が結託した、大弾圧であった。

800万世帯の大教団、数千名の公明党議員、数千名の秘書・本部職員・公明党職員のいる創価学会への迫害が200名程度の活動家僧侶と山崎弁護士たちだけで、するわけはないし、できるわけがない。

多くの評論家たちが、宗門の後ろに、自民党や米国CIAの支援があったと著書に記述している。

大聖人時代の迫害の構図と同様、現代において、有力宗教者と国家権力との連合による、法華経の行者(池田第3代会長・創価学会員)への迫害の真相・誰が僭称増上慢かの真実を、創価学会員にインペイし、十数年自公連立することは、日蓮大聖人や牧口・戸田・池田の3代の会長や創価学会員への違背・裏切り行為になりませんか?

[1] 前掲『創価学会指導集3』135~136頁。
[2] 前掲書、136頁。


U 末法の法華経の行者へ  の迫害の大罪は ? 与同罪は ?

大阪事件(昭和32年7月勃発)、一次宗門事件・二次宗門事件の黒幕・自民党・米国CIAの法華経の行者(創価学会会長・幹部・学会員)を、長年迫害・弾圧した、大重罪を考慮する参考の文証です。

公明党・創価学会首脳が、その大重罪を隠蔽して、大悪政・僭聖増上慢の自民党を、16年超、全国支援・連立して、憲法違反・民意無視・弱肉強食政策推進等の共犯である事の、政治的・仏法的意味を考える参考にしてください。

法蓮抄(「日蓮大聖人御書講義第20巻上」30~38頁より抜粋)

1) 法華経法師品では、提婆達多のように、一劫(約千六百万年)の間、仏(釈尊)を恨み、罵り、迫害するという重罪も、末法の法華経の行者(出家、在家を問わず)をののしる罪に比べれば、遙かに軽いと説いている。

2) 提婆達多の三逆罪(殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)より、末法の法華経の行者を怨み、誹謗した者の方が、罪が重い。
法華経比喩品の文証によって、無間地獄に堕する事を明らかにされている。

3) 「無間」というのは、倶舎論によれば、楽が苦にまじらないという事で、苦しみが、間断なく続くという、意味で、苦しみの連続・永続を意味するのである。
しかも、その苦しみの一つ一つが、「若し、仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば、人聴いて、血を吐いて、死すべき故に、くわしく、仏説き給わず」(顕謗法抄・447頁)といわれるほどの苦しみとされる。

4) 大品経の経文の心は、法華経の行者を、悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、その後に、懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫(約160億年)・阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ、懺悔せる謗法の罪すら、五逆罪に千倍せり、況んや、懺悔せざらん謗法においては、
阿鼻地獄を出ずる期、かたかるべし。

*五逆罪: @殺母A殺父B殺阿羅漢・・聖者を殺す
C出仏身血・・仏身を傷つけ出血させる。
D破和合僧・・教団を破壊する。

5) ここで、日蓮大聖人は、大品経、法華経の経文を引かれて、誹謗正法の罪の方が、五逆罪より、どれほど重いかを示されている。
なぜなら、正法(南無妙法蓮華経)は、三世十方の諸仏の能生の根源であるから、この正法を誹謗する事は、三世十方の諸仏を破り、従って、三宝(仏・法・僧)を破る事と同じであり、ひいては、世間の正見を破って、無数の衆生を迷わす事になるからである。

6) 法華経・譬喩品の経文を文証とされて、末法の法華経の行者を誹謗する者の罪は、無間地獄に無数劫の間、沈む事になると説かれているのである。

*10万劫:約一兆6千億年。無数劫:永遠に近い。

*与同罪:正法(南無妙法蓮華経)誹謗の人を供養したり、
また、その非を戒める事を怠れば、正法誹謗の人と
同じ罪を受ける事になるとの意味である。


(参考資料)

小説「新・人間革命」常楽の章

常楽20:

 信心に励むのは、「衆生所遊楽」すなわち、人生を楽しみ、悠々たる幸福境涯を築いていくためである。
 ともすれば人は、富や名声などを得れば幸せになれると考えてしまう。
しかし、心の外に幸せを追い求め、欲望に翻弄されていては、本当の生命の充足も、満足も得られない。望んでいたものを手に入れたとしても、その喜びは束の間であり、すぐに空しさを感じてしまう。
しかも、人間の欲望はますます肥大化し、次に求めるものが得られなければ不満が募り、不安に苛まれることになる。
 ここに、世間的な欲望の充足を求める「欲楽」の限界がある。それに対して仏の悟りを享受する最高絶対の幸福を「法楽」という。
 これは、外から得るものではなく、自らの生命の中から込み上げてくるものである。
 ゆえに、日蓮大聖人は、「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり」(御書一一四三ページ)と言明されている。

 南無妙法蓮華経の唱題のなかにこそ、「法楽」すなわち真の遊楽があるのだ。なかんずく、大聖人が「我もいたし人をも教化候へ」「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同一三六一ページ)と仰せのように、自行化他にわたる信心の実践のなかにこそ、本当の遊楽がある。
 広宣流布に戦う人は、地涌の菩薩である。地涌の菩薩には「常楽我浄」の仏の四徳が具わっていると、大聖人は述べられている。
 「常」とは、仏及び衆生に具わる仏の生命が、三世永遠に常住することをいう。「楽」とは、苦しみのない安らかな境地である。
「我」は、仏の生命こそが真実の我であり、何ものにも壊されない、主体的な強靱さをもっていることだ。
「浄」は、清浄で、どんなに濁りきった世にあっても、滾々と湧き出ずる泉のごとく、清らかな生命活動を行えることをいう。
 この「常楽我浄」の境涯の確立があってこそ、真の「衆生所遊楽」があり、それは、死身弘法の決意と実践から生まれるのだ。

常楽21:

 山本伸一(池田大作)は、学会の発展も、戦後の広宣流布の大伸展も、軍部政府の弾圧と戦って獄死した初代会長・牧口先生の死身弘法の精神を、戸田先生が、そして、同志が受け継いできたからにほかならない≠ニ深く思った。

 彼は、「源に水あれば流かはかず」(御書九〇〇n)の御文をかみ締めるのであった。
   
 十月十一日夜、伸一は、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で行われた、熱原法難七百年を記念する大阪・城東区の総会に出席した。
 席上、彼は熱原法難に触れながら、現代における殉教の精神に言及していった。
 「広布の前進も大河の時代に入った今日においては、一人の犠牲者もなく、一人も残らず、福運と長寿の人生を勝ち取っていくことが大切です。

そして、それが、私の心からの祈りであり、願いであります。
 信心への大確信をもって、何があっても強盛に唱題し抜く。
皆に仏法を教え、励まし、広宣流布のために、生きて、生きて、生き抜いて、幸せの実証を示しきっていく――それが、殉教の精神に通じることを知っていただきたいのであります」
 殉教とは、本来、死を礼讃するヒロイズムなどではない。
広布こそ、わが人生!≠ニ定め、日々、現実社会で格闘しながら、忍耐強く信心に励み、幸福の王者となりゆくなかに、現代における仏法者の大道があるのだ。
 伸一(池田大作)は、大阪、京都と指導旅を続け、静岡へ行き、熱原法難七百年記念の法要に臨んだ。
 十四日夜、塔之原グラウンドで開かれた熱原法難記念の夕べ≠ナは、創作舞踊「熱原三烈士」が披露された。
 三烈士が示した不屈の信仰姿勢を継承しようとする、創価の同志の心意気がほとばしる迫真の舞台であった。皆、仕事に励み、広宣流布の活動に邁進するなかで、懸命に練習を重ね、この日を迎えたのであろう。
 伸一は、こう心で叫び、喝采していた。
 三烈士の大精神は、わが学会にある。学会ある限り、正法正義は、滅びはしない !




[1] 池田大作『随筆・桜の城』聖教新聞社2006年、54〜59頁。

 

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