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史上最大の戦艦大和、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3千人が戦死した !
大東亜戦争の真相は ?
1945年4月6日最後の出撃で、沈没 !
T 戦艦大和:総員死ニ方用意 !
(mainichi.jp/shimen/:2015年4月6日(月)より抜粋・転載)
「総員死ニ方用意」。そう書かれた黒板が、砲塔に掲げられると、乗組員たちはざわめいた。死の準備をせよ、という命令だ。
戦艦大和は、2日後の1945年4月7日、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3千人が戦死した。
18歳で水兵長として乗り組んでいた名古屋市在住の畦地哲さん(あぜち・さとし、88)は、今も自問する。
「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか」【川上晃弘】
4月6日、沖縄に向け山口県を出港した。仲間たちは艦上で「覚悟を決めた」「いざとなれば自決する」と言い合ったが、ぴんとこない。
「戦死は当然と考えていたが、実際に自分が死ぬのだとは毛頭思えなかった」
25ミリ3連装機銃の射手だった。敵機に照準を定め引き金を引く。
照準器は最新鋭で、敵機の速度や進入角度を入力すると発射角度が自動的に計算される。
艦首を0度とし時計回りに160〜180度(右舷最後部)が受け持ち範囲だった。
◇「大編隊発見」、100機以上の敵機 (米軍)が来襲 !
運命の7日昼過ぎ、見張りの声が響いた。「大編隊発見」。
見上げると100機以上の敵機が近づき、高度2500メートルから1機ずつ急降下を始めていた。
日本の戦闘機より急角度でスピードも速い。照準を合わせ、射程1500メートル前後で引き金を引く。
全機を狙う余裕はなく、1番機の次は3番機と一つおきに狙うのが鉄則だった。
次々に照準を合わせるため命中の確認はできない。
畦地さんの右手人さし指に、引き金を引く感触が今も残る。
「とても軽い。ちょっと引くとババババッと。敵機が多い時は引きっぱなしだった」
恐ろしいのは、直撃弾だ。「爆弾が向かってくるのは何となく分かる。
これは死ぬ、と何度か思った」。それて海中に落ちると艦橋を超す水柱が上がる。
びしょぬれになり、そのたびに「俺は、生きている」と実感した。
◇敵機の攻撃がやんだ頃、大和の船体が 大きく傾いていた !
攻撃は、どれほど続いたか。ある時点でぴたりとやんだ。
「また来ると身構えていたが、もう現れなかった。気づいたら、船体が大きく傾いていた」。
戦闘終了を意味する「総員退去」の声を聞いた。
持ち場を離れて、最上甲板に出ると、遺体の一部が転がっていた。
砲声はなく、静けさが広がっていた。仲間が何人か寄り添うように座っている。
「いよいよだ」「思い残すことはない」。
みなさばさばした表情だった。
船がゆっくり傾いていく。傾斜がきつくなると、一人で船の横っ腹を歩いた。
黒色から赤色に変わる、喫水線まで行き、そこで靴を脱いで息を吸い、頭から海へ飛び込んだ。
何秒間潜ったか。顔を上げると数十メートル先に大和が見えた。
直後に火柱が上がり、黒煙に変わった。大和の姿はもう見えなかった。
同僚と浮遊物につかまり漂流を続け、そこで歌ったのが、敵艦隊を沈没させた時の軍歌「轟沈(ごうちん)」だった。
「自艦が沈められ『轟沈』は、おかしいけれど、元気が出ればどんな歌でも良かった」。
数時間後、味方の駆逐艦に救助された。
「結局、運だった」。生死の境目について、畦地さんは言う。
敵の攻撃も予想され、駆逐艦の救助活動は、日没で終わった。
海面には、まだ複数の乗組員が漂っている。
「彼らは、救助直前に望みを断たれた。
助かった私と彼らの間に何の違いもない」
戦後は、名古屋で親族の運送業を手伝うなどして生計を立てた。
戦艦大和は、今も海に沈む。
遺骨や船体を引き揚げる話もあったが、畦地さんは、反対する。
「彼らは、戦艦大和と共に逝った。
大和を枕に休ませてあげることが一番の供養と思う」
◇戦前、史上最大の戦艦大和
全長263メートル、基準排水量6万5000トン、46センチ砲3連装砲塔3基を搭載した、史上最大の戦艦だった。
1941年12月に就役し連合艦隊の旗艦を務めたが、海戦の主体は、既に航空機に移行。
威力を発揮できぬまま、米軍の沖縄上陸を阻止する「水上特攻部隊」として、航空機の護衛なしに出撃し、1945年4月7日に屋久島沖で、米軍機に攻撃され、沈没した。
乗組員は、約3300人で、生還者は、276人だった。
U 戦前の日本が、無謀な戦争をおこした理由 ?
明治の元勲・帝国権力者・自民党、売国者が支配していた百数十年の実態 !!
(Martin Island 〜空と森と水と〜martin310.exblog.jpより抜粋・転載)
(2013年12月19日 (木) 真実の近現代概略史より抜粋・転載)
1)英米・巨大財閥の「策略」大戦争のワナにはめられた !
世界大恐慌から抜け出して、経済成長するために、英米は、大戦争を計画し、謀略を仕掛けた。
ドイツ・イタリア・日本を経済制裁して、暴発させ、弱い国に侵略するように、ワナをかけていた。日本は、そのワナにはめられたのである。
「一年くらいは持つ。勝った、勝ったと言うだろう。だけど後はもう知らん」。
そしたら、昭和天皇は、それでもいいからやれと言う訳ですよ。
やらないと自分の身が危ない。
スキャンダル(幕末の孝明天皇親子暗殺、ニセ明治天皇、大正・昭和、ニセ天皇継続等)を皆バラされて、全部失う。スイスに貯めた巨額のウラ金も失うと。
結局ですね、最初から日本は、英米・巨大財閥の謀略で、戦争をするように仕組まれていたと考えると、すべて矛盾がなく納得できるんです。
英米・巨大財閥の「策略」どおり、大戦争を始めるように、仕組まれていた !
部下には、特攻隊で出撃し、死んで来いと命令し、捕虜になるより、自決せよと命令した、指導者が、自分たちは、戦犯として入獄しても、自決しないどころか、米国隷属を約束させられて、出獄・復活して、平然と、売国奴となって、国民を収奪する特権階級として、居座っている。
その売国奴が、世襲されている、自民党・官僚・大マスコミの源流・正体である。
特攻隊による戦死者は、1万4000人超、沖縄戦だけでも、
住民死者:9万4000人超、自決者:1000人超である。
日本人死者:400万人超、アジア諸国死者:3千万人超。
あの無謀な大東亜戦争を計画・実行した指導者が、A級戦犯達
であり、復活した売国奴が、自民党・官僚・大マスコミの源流・正体である―
V 旧日本軍部の中枢=A級戦犯等が売国者
=米国の子分では勝てる訳がない !
「大本営陸海軍発表。帝国陸海軍は本日未明、西大平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり」
――昭和16年(1941年)12月8日、早朝ラジオの臨時ニュースは日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入したことを報じた。
日本はこの日より国家滅亡への道をひた走りに進んでいくのである。
日本が米英を相手に戦いを始めたことは、大局的かつ戦略的な失敗であった。
だが、はたして当時の日本に他の選択肢があったかと言えば、それはなかったとしか言いようがない。
明治以来、日本はアジア諸国を決して友邦として扱ってこなかったのみならず、アジア人を一段低いものとして「蔑視」すらしてきた。
中国や朝鮮と連帯するどころか、植民地支配を続け、抗日、侮日のナショナリズムを高揚させたのである。
“日本はアジアの中で孤立し、ABCD(米・英・中・蘭)包囲網によって経済的に追いつめられ”ていった。
日本が描いた「大東亜共栄圈」の夢もアジア諸国の理解を得られたものではなく、「日本が西欧植民地にとって代わる」というスローガンでしかなかった。
満州事変を正当化した「王道楽土」の建設も、結局中国人には通用しなかったのである。太平洋戦争はまさに「清水の舞台から飛び降りた」(東条英機)ものであった。
だが、太平洋戦争が勃発せざるを得なかったのは、英米等による、日本を戦争にひきずり込む、「数々の歴史の罠」と歯車が存在したからである。
“太平洋戦争は海軍が主体の戦争”であった。
アメリカを相手に戦って日本が勝つ見込みはほとんどなかったが、日本側にもし本来の高度な戦略とそれを実行する優秀かつ愛国心に燃えた将官がいれば、戦局は大いに違ったものとなっていただろう。
“日本帝国海軍の中枢は「欧米派」で色どられ、その内の主要な人物は
ユダヤ・フリーメーソン”ですらあった。
このため日本の海軍はあらゆる太平洋上の戦闘で不可思議な動きをする。
“それは、敵に手ごころを加え、まるで負けることを目的としたかの如き戦いぶり”であった。
また陸軍についても同様のことが言えた。大本営参謀本部の高級参謀たちはつねに「無謀極まる作戦計画」を立てては日本軍に多大な損害を与え、多くの将兵を失う結果を招来した。
陸軍参謀本部といえば陸軍大学を優秀な成績で卒業したエリート中のエリートである。その彼らが、まるで痴呆のように拙劣な作戦を立案してはそれを強行し、日本軍に取り返しのつかない打撃を与え続けたのである。
“参謀本部のエリートたちもやはり日本を敗北に導くために「世界支配層」によって操られた者たち”であったのだ。
彼らの一部は“ユダヤ・フリーメーソンであり、またその一部はソ連と通謀した共産分子”であった。
国家としてあろうことか、日本はこのような「売国的戦争指導者たち」(その子孫が自民党体制の権力者によって太平洋戦争を戦わなければならなかったのである。
太平洋戦争は大きく分けると4つの局面で展開していく。それは「開戦・進攻」、「戦局反転」、「特攻・玉砕」、「斜陽・終戦」である。そしてそれぞれの局面で日本軍はいつも決定的な失策を犯し、戦局は暗転していくが、その失策を犯す人間は「ある特定の人物」であり、その人物の指導により日本軍は決まって壊滅的な打撃を受けるのである。
戦略や作戦に携った司令官や参謀たちの多くが無能であったという以上に、
「敵と密通」し、日本が敗北することを望んだ、奸たちがいた”からに他ならない。
日本は、戦う前にすでに敗れていたのである。
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