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戦争の種を埋め込む主犯
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投稿者 小林五郎 日時 2022 年 8 月 17 日 11:02:04: CkieVQgeAvIZw j6yX0YzcmFk
 



戦争の種を埋め込む主犯

植草一秀氏ブログ「知られざる真実」 政治・社会
2022年8月5日 16:30

米国下院のナンシー・ペロシ議長が台湾を訪問した。
目的は米中間の緊張を高めることにある。
米国の最重要課題の1つは「戦争の創出」。
戦争は軍産複合体が存続し続けるための生命線。
平和は天敵である。
10年に一度の中規模以上の戦争が必要不可欠。
このために、常に戦争の火種が絶えぬよう注意を払う。
平和が存在する場には新たに緊張を埋め込むことが必要。
ただし、戦場を米国にしてはならない。
戦場は常に米国本土から遠い場所に設定される。
ペロシ議長の訪台を中国は嫌う。
そのことを知ったうえであえて中国を訪問している。
台湾に関して中国は2つの事項を主張し続けてきている。
第一は、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であること。
第二は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であること。
この2つの事項が中国にとって核心的に重要な事項である。
いまから50年前、1972年9月29日に日中両国政府が日中共同声明に調印して日中国交正常化を実現した。
この声明によって、
1.日本政府が「中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であると認める」
ことが確認された。

同時に、
2.「中華人民共和国政府が、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明し、日本政府が、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」
ことが明記された。
「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」
は、日本が台湾を中華人民共和国の一部であることを認めることとほぼ同じ意味をもつ。
その理由は次の事項にある。
ポツダム宣言第八項は「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定している。
そのカイロ宣言は、「台湾、膨湖諸島が中華民国(当時)に返還されることが対日戦争の目的の1つである」としている。
中華民国を継承した中華人民共和国が中国を代表する唯一の正統政府であることを日本政府が認めるのであるから、日中共同声明の文言は、
「日本政府が、台湾の中華人民共和国への返還を認める立場を堅持する」
との意味をもつことになるからだ。
従って、日中共同声明の文言を踏まえる限り、日本政府は台湾が中華人民共和国の一部であることを認める立場に立つことになる。

これに対して米国の立ち位置はやや異なる。
1978年の「米中共同声明」で、米国は1を「recognize(承認)」し、2についての中国側の立場を「acknowledge(認知する)」とした。
日本政府の立場とは異なり、米国政府の立場にはあいまいさが残された。
これが米国の常套手段である。
将来に備えて、戦争を創作する余地を残したといってもよいだろう。

ジョー・バイデン
ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(英語: Joseph Robinette Biden Jr.、発音:[ˈbaɪdən]、BY-dən; 発音: [dʒoʊ ˈbaɪdən] ( 音声ファイル) 、1942年11月20日 – )は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。同国第46代大統領[1](在任:2021年1月20日 – )。短縮形名はジョー・バイデン(Joe Biden)[注釈 2]。ニューキャッスル郡議会議員、デラウェア州選出連邦上院議員・副大統領を歴任した後、2021年1月20日に78歳で大統領に就任した[注釈 3]。ジョン・F・ケネディ以来2人目のカトリックの大統領であり[4]、ジェームズ・ブキャナン以来2人目のペンシルベニア州出身の大統領でもある[5]。
来歴[編集]
1942年11月20日、ペンシルベニア州スクラントンに誕生し、デラウェア州ニューキャッスル郡で育った。アイルランド系カトリックの中産階級の家庭の生まれである[4]。子供の頃は吃音に悩み鏡の前でアイルランドの詩を朗読するという独自の発声練習で克服したという。高校・大学ではアメフトに夢中になった[4]。
デラウェア大学で学んだ後、シラキュース大学で法務博士号を取得[6]。ロースクールを経て1969年に弁護士となり、1970年にデラウェア州のニューキャッスル郡議会(英語版)議員に選出された[4]。1973年1月に29歳でデラウェア州の上院議員に当選し、アメリカ史上5番目に若い上院議員となった[7]。同年12月にクリスマスの買い物に出かけた妻と娘を交通事故で失った[7]。1977年6月に現在の妻であるジルと再婚している[4]。
1973年1月から2009年1月まで連続6期も連邦上院議員を務め、外交・刑事司法・薬物問題に取り組み、上院司法委員会(英語版)の委員長や上院外交委員会の委員長などを歴任した[4][7]。政策実現を重んじる調整型の政治家として党派を超えた信頼を確立した[4]。
1991年1月の湾岸戦争に上院議員として反対し、東ヨーロッパへのNATOの拡大と1990年代のユーゴスラビア紛争への介入を支持した。2002年のイラク戦争承認決議を支持したが、2007年のアメリカ軍増派には反対した。また、1987年1月から1995年1月まで上院司法委員会の委員長を務め、麻薬政策・犯罪防止・市民の自由に関連する問題を扱っていた。バイデンは暴力犯罪取締法と女性に対する暴力法の成立に向けた取り組みを主導し、ロバート・ボークとクラレンス・トーマスの最高裁判所長官への指名を監督した。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙でバラク・オバマと並んで副大統領に当選した後に上院議員を辞任した。4番目に在職期間の長い上院議員だった[8]。オバマとバイデンは2012年アメリカ合衆国大統領選挙においても再選され、2期8年に渡って務めた。副大統領としてバイデンはリーマンショックの不況に対抗するために2009年にインフラ支出を監督した。バイデンの議会の共和党との交渉は、オバマ政権が税制の行き詰まりを解決した2010年税制救済法、債務上限危機を解決した2011年予算管理法、差し迫った財政の崖に対処した2012年アメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けた。外交政策ではアメリカ合衆国およびロシア連邦との間で新START条約の成立に向けた取り組みを主導し、リビアへの軍事介入を支持し、2011年12月のアメリカ軍の撤兵までイラクに対するアメリカの政策を所管した。2012年12月のサンディフック小学校銃乱射事件の後、バイデンはアメリカにおける銃暴力の原因に対処するために設立された「銃暴力タスクフォース」を率いた[9]。
2015年5月に長男のボー・バイデンを脳腫瘍で亡くし、失意から2016年アメリカ合衆国大統領選挙を見送った[7]。2017年1月にオバマ大統領はバイデンに大統領自由勲章を授与した[10]。

清和研議員と旧統一協会の金の流れ
植草一秀氏ブログ「知られざる真実」 政治・社会
2022年7月30日 09:51

安倍晋三元首相が銃殺された事件の捜査で山上徹也容疑者に対して奈良地検が4ヵ月間の鑑定留置を求め、7月22日、奈良地検がこれを認めた。
奈良地検は鑑定結果を踏まえて山上徹也容疑者を起訴するかどうかを決める。
この措置は山上徹也容疑者から発せられる声を封じることを目的とするものだと思われる。
山上容疑者は旧統一協会に対する恨みを強く抱いていたと見られる。
その延長線上で攻撃の対象を安倍晋三氏に向けたと見られる。
理由として挙げられているのは安倍晋三氏ならびにその一族の旧統一協会との関わりの深さ。
当初、マスメディアは山上容疑者が両者の関係が深いと「一方的に思い込んでいた」ことを強調して報道した。
しかし、その後に事実関係が明らかになり、両者の関係が深いことは山上容疑者の「一方的な思い込み」でなく、客観的事実であることが浮かび上がっている。
これ以外にも安倍晋三氏を標的とした理由についての山上徹也容疑者供述が当初は報じられた。
それは、旧統一協会の問題が極めて重大であるにもかかわらず、警察が適正な捜査を行わないこと、その理由として安倍内閣の影響があると山上容疑者が認識し、憤慨していたことだ。
この点に関する供述は、当初のメディア報道に含まれたが、その後はまったく報じられていない。
メディア情報の情報源の大半は警察発表情報。
山上容疑者は勾留されており、警察以外に山上容疑者の現在の発言を確認できる者はいない。
安倍晋三氏銃殺事件について当初、「言論を封殺するテロ行為」との位置付けが喧伝されたが、その後の捜査によって、山上容疑者の旧統一協会ならびに安倍晋三氏に対する怨恨が動機の殺人事件との性格が浮き彫りになっている。
実際に、山上容疑者の母が旧統一協会に入信し、1億円を超える寄付を行い、山上家の財産が失われ、母が自己破産に追い込まれた事実も判明している。
山上容疑者は裕福な家庭に生まれながら、経済的困窮に陥り、大学進学も諦めざるを得なくなったことが判明している。
それだけでなく、父や兄が旧統一協会問題を背景に自死に追い込まれた経緯も明らかにされている。
旧統一協会による高額献金強要や霊感商法による高額品販売問題は、重大な社会問題として世間を賑わせた。
しかし、第2次安倍内閣発足後は問題が隠ぺいされる傾向を強めた。
この過程で旧統一協会の名称変更が安倍内閣により突然認められた事実も明らかになった。
参院選における旧統一協会票の取り扱いについて安倍晋三氏が深く関与したとの情報も浮上している。
安倍晋三氏秘書を務めた井上義行氏が統一協会と極めて深い関係を有していることも明らかにされている。
1968年4月に日本で創設された「国際勝共連合」の発起人に安倍晋三氏の祖父である岸信介氏、笹川良一氏、児玉誉士夫氏が名を連ねた。
国際勝共連合は旧統一協会と一体の関係にある組織。
日本における反共活動の拠点とも言える組織である。
1973年には旧統一協会の開祖である文鮮明氏と岸信介氏が写真撮影している。
1974年に旧統一協会の創設者である文鮮明、韓鶴子(現在の同協会総裁)夫妻が来日した際には帝国ホテルで晩さん会が開かれ、当時の福田赳夫蔵相(後に首相)ら国会議員が出席している。
福田赳夫氏は
「アジアに偉大な指導者現る。その名は“文鮮明”である」
と絶賛した。
岸信介氏の流れを汲む自民党派閥「清和政策研究会」を率いたのが福田赳夫氏であり、安倍晋三元首相である。
自民党清和政策研究会と旧統一協会、国際勝共連合の関係は極めて深いと見られる。
敗戦後日本の最重要転換点は1947年。
米国の外交政策路線がトルーマン・ドクトリンによって大転換した。
連動して対日占領政策の基本が民主化から非民主化=反共化=再軍備化に転換した。
この路線転換のなかで米国の指令に沿う日本統治の役割を果たしたのが戦犯釈放者であったと見られる。
その代表が岸信介氏、児玉誉士夫氏、笹川了一氏の各氏である。
この3名が国際勝共連合創設の中心人物であったと言ってよい。
安倍晋三氏銃殺事件は図らずも敗戦後日本史の核心に光を当てるパンドラの箱開示の意味を有していると言える。
 

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