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皇室情報:小室眞子さん報道は「視聴者の興味ある事をやっただけ」
フジ「バイキング」坂上忍氏の呆れた開き直り
幕末・明治天皇の深層・真相は ?
(www.nikkan-gendai.com:2021年10月28日)
森暢平教授:いわゆる「眞子さま問題」も、10月26日の婚姻届提出と記者会見でひと区切りついた。
私はこの問題について、興味本位の放送をしてきたテレビ局の情報番組の責任は大きいと思っている。ところが、フジテレビ「バイキングMORE」MCの坂上忍氏は同日の放送で、「報じる側からしたら興味あることやっているだけなんだよね」と発言した。
視聴率が取れる放送をすることが「罪ですか」と、開き直りとも取れる発言をした。
「バイキング」はこれまで、各局の情報番組の中で小室圭さんに最も厳しいコメンテーターを揃えて、辛辣な批評をしてきた。
例えば、今年4月28日、お笑いコンビ「おぎやはぎ」の小木博明氏は、もし自分の娘の交際相手が小室さんだった場合、結婚を許さないと述べる文脈で、次のようにコメントしている。
「お金もねえ、これから留学して弁護士の資格も取ってねえ奴が『結婚してください』って俺に言ってくる時点でおかしいんだよ」、「これから留学して、資格も持ってない、お金も借りている状態でしょ?
借りてるというか金銭トラブルがある状態で、何も成しえていない人間が(娘を)幸せにできるわけないと思わない?」
小室さんの人格否定につながりかねない発言である。これは一例に過ぎない。
「バイキング」は小室さんをこのように揶揄し、金銭トラブルが解決しないことの責を小室さん母子に一方的に負わせてきた。
■眞子さん発言への批判 !
本来はおめでたいはずの結婚の日に、眞子さんの発言について坂上氏は、「それ言うんだったら、結構なマスコミ批判ですよ」「結構な衝撃でしたけど」
「結構な鬱憤が溜まってたっていうのはちょっと伝わってきたけどね」
「周りに、もうちょっとアドバイスできる方とか、代弁してくださる方とかっていうのが、もしも、いらっしゃったら……」「お2人だけの世界に埋没してる感が、改めて見たらより感じる」
と、批判的なコメントを繰り返した。
坂上氏の発言で聞き捨てならなかったのは、テレビが「眞子さま問題」を扱ってきたのは、番組に関心を寄せる人がいたからだと述べた次のくだりだ。
「(解決を長引かせてしまった小室さん側の対応は)一番引っ張られるやり方なわけ。そうすると、メディアは離さないですよ。じゃあ、離さないメディアが罪なんですかって言ったら、俺は何かテレビの回し者的なような聞こえ方になっちゃうかもしれないけど、国民の関心事ね。
じゃ、それが視聴率っていうのに換算するとするじゃない。『視聴率がいいからあの番組、あのネタばっかりやりやがって』っていう人いるんだけれども、国民の関心あるものをメディアが取り上げるって、罪ですかって僕は思うんです。いち視聴者としてもね。だから、いち視聴者として見たら、『またやってるよ』とたぶん思っている。ただ、報じる側からしたら、興味あることやっているだけなんだよね。そこもやっぱり議論あると思います。メディアを叩くのは簡単だよ」
あきれた開き直りにしか聞こえない。例えば、小室さんの髪型は、視聴者が下世話な関心を抱きがちな話題である。
しかし、NHKと民放連がつくった放送倫理基本綱領には、「放送は、いまや国民にとって最も身近なメディアであり、その社会的影響力はきわめて大きい。われわれはこのことを自覚し、放送が国民生活、とりわけ児童・青少年および、家庭に与える影響を考慮して(略)国民の生活を豊かにするようにつとめる」とある。
関心があるから何でも報じてよいわけではなく、社会的な影響力を考慮して、品位や常識が求められているのである。
■幸せを思うからこその余計なお世話か ?
例えば、見た目を基準に人を判断するような放送をしてはいけないことは当然である。しかし、「バイキング」は小室さんの「チョンマゲ」をさんざんに揶揄してきた。
「バイキング」は、小室さんの母親という私人のトラブルを延々と報じてきた。結婚直前という段階においても、なお解決しなかったことの責が小室さんだけにあるかのようなコメントを流している。
民放連の放送基準には、「個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように注意する」とある。小室さん母子のプライバシーや名誉を侵害することを正当化する、公共性・公益性がある放送であったのだろうか。
金銭トラブルのような微妙な問題に対して、事情に詳しくないタレントが好き勝手なおしゃべりをするワイドショーの形が相応しかったかも疑問が残る。
(参考資料)
T 幕末・維新の革命の真相は ? (欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には、睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎 !
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保の
日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は、私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
V 幕末・維新の革命の真相は ? (欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には、睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。 そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。 ・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
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