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菅首相:最後のインタビュー「もう一度一からやり直さないと」
菅政治への識者の見解・詳報は ?
(bunshun.jp:2021年9/10(金) 6:12)
9月3日に総裁選不出馬を表明する直前、菅義偉首相は「文藝春秋」の単独インタビューに応じていた。聞き手は船橋洋一氏(アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長)。
船橋氏が最初に問うたのは、総理の言葉の問題だった。
――総理の記者会見については、「言葉が響かない」「聞かれたことに答えていない」などの声も聞かれ、評判は必ずしも芳しいものではありませんが、どのように受け止めていますか。
「これには本当にいろんな方々から電話が来て、厳しいことも含めていろんなことをご指摘いただきました。それら全てを謙虚に受け止めるべきだと思っています。私自身、もともと能弁ではないし、そもそも政治家は『弁舌よりも結果だ』と。結果を残せば、わかってもらえるという政治姿勢で今までずっと来たので、そういう考えが会見の姿勢に出てしまっているのかもしれません」
そして菅首相は、反省の言葉を口にした。
「しかし正直な話をすれば、総理の立場になったので、どうしたら国民に言葉が届くのか、もう一度一からやり直さないといけないと感じています」
インタビューが行われたのは8月末日。総選挙の行方にも注目が集まっており、与野党とも菅首相の決断に警戒している状況だった。インタビューで、そのタイミングや争点について問うと、菅首相はこう語った。
「解散は、自分の手でやってみたいとはずっと思っています。新型コロナの状況が厳しく、解散を打つタイミングはどんどん狭まっている。いろんな報道がありますが、新型コロナ対策を最優先で進め、総選挙についてもきちんと考えていきます」
コロナ対応、五輪、解散から安保戦略見直しまで、厳しく問うた 菅首相最後のインタビュー は、「文藝春秋」10月号(9月10日発売)に14頁にわたって掲載される。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2021年10月号
(参考資料)
○8月28日の日本のコロナ感染者の人数とは ?
(www3.nhk.or.jp:2021年8月28日)
日本全国のコロナ感染者:1440008人
○コロナ対策:「連絡会議」が菅政権で
1度も開かれず…政策決定の過程さらに不透明
(www.tokyo-np.co.jp:2021/4/18)
◆閣僚らの「連絡会議:廃止状態 !
第2次安倍政権時代に、新型コロナウイルス感染症対策を実質的に決定していたとされる首相、関係閣僚らの「連絡会議」が菅政権では、1度も開催されず、廃止状態になっていることが分かった。
連絡会議を巡っては、発言を記録するための議事録や議事概要が作成されず、政府の意思決定過程を明確にするよう求める公文書管理法の趣旨に反すると批判を浴びた。
菅政権では、政策決定の場面が一段と見えにくい状態になっている。(中根政人)
◆安倍首相の時代の連絡会議:209回開催された !
連絡会議は、当時の安倍晋三首相や菅義偉官房長官、コロナ対策の関係閣僚、安倍氏側近の今井尚哉首相補佐官らが出席し、昨年1月26日から9月11日まで計209回開催された。
会議の役割について、官邸幹部は「作戦会議」と指摘。安倍氏も昨年3月2日の参院予算委員会で、小中高校などへの一斉休校要請に関し「(連絡会議で)判断を固めていった」と答弁し、重要性を認めていた。
コロナ対応を巡り、政府は、昨年3月10日、行政文書管理のガイドライン(指針)に基づく「歴史的緊急事態」に初めて指定し、後世の検証などに生かすため公文書管理を強化した。
菅首相が本部長を務め、方針を最終決定する場の対策本部は、議事録・議事概要の作成義務が生じた。だが、連絡会議は、作成義務がない「政策の決定・了解を行わない会議」に分類された。
出席者や進捗しんちょく状況などを記載した「活動記録」を作れば、問題ないとされた。
◆安倍首相や閣僚らの発言は一切書かれていなかった !
実際、政府が立憲民主党に公開した計209回分の活動記録には、出席者名や各府省庁の報告事項などは記載されていたものの、安倍首相や閣僚らの発言は一切書かれていなかった。
◆菅政権:連絡会議の開催はゼロ !
一方、昨年9月16日に発足した菅政権では、菅首相が関係閣僚や府省庁幹部との非公式の会合や打ち合わせを不定期に行い、実質的な政策決定の場になっているとみられる。
連絡会議の開催はゼロで、活動記録すら作成されていない。
コロナ対策を巡る公文書管理問題を追及してきた立憲民主党の蓮舫代表代行は「連絡会議について議事概要さえも残していないのは脱法行為に近いが、菅政権ではさらにブラックボックス化している」と指摘。「例えば昨年、コロナの第3波が来ていたのに『Go To キャンペーン』を継続するという判断を一体、どこで行ったのか。そうした政策決定の過程が分からず、検証するすべも残っていない」と話す。
○「強すぎる官邸」:ゆがむ官僚との関係、コロナで表面化 !
(www.asahi.com:2021/3/5 )
2014年5月、内閣人事局発足式が行われ看板かけをする、(左から)加藤勝信内閣人事局長、稲田朋美内閣人事局担当大臣、安倍晋三首相、菅義偉官房長官。看板の文字を書いたのは稲田氏。本人は「字の上手下手は別として、勢いがあったかなと」と自ら評した。
◆記者解説:蔵前勝久(政治部)
建物は完成したと同時に崩壊が始まる、と言われる。それは政治にもあてはまるようだ。
「安倍1強」と呼ばれた第2次安倍政権は、安倍晋三首相と、現首相の菅義偉官房長官が強い力を持った。その政権運営は「強い官邸」が主導する政治をめざした平成の改革の完成型と呼ばれた。ところが、新型コロナウイルス対策をめぐって政策が二転三転。菅氏の長男が勤める会社に総務省幹部らが接待された問題は、官邸主導政治が政と官の関係をいびつにしていることを露呈させた。
◆未完の最長政権:安倍政権から菅政権へ
「官邸に行くのは嫌だ。コロナ対策もうまくいかず、菅さんのイライラが募っている」。今年1月、事務次官同士でこんな会話が交わされたという。官邸と官僚との意思疎通の不全を象徴するような会話だ。7年8カ月続いた第2次安倍政権で、菅氏は官僚人事の大部分を任された。異論を唱える官僚を露骨に更迭し、官僚にとって菅氏は恐怖の対象になった。官僚らは新たな政策を次第に出さなくなったという。
そこにコロナ禍が襲った。「アベノマスク」と言われた布マスクの全戸配布のようにコロナ対策は迷走。「官邸が指示すれば政策は実現する」という官邸主導政治の成功パターンはいとも簡単に崩れ、世論の不満が噴出した。
優れた官僚が支えた戦後日本の政治は、平成に入った1989年前後から立ちゆかなくなる。米国に付き従えば良かった冷戦は終結。湾岸戦争では130億ドルを負担したが、米国から「資金提供だけか」と批判が噴出した。経済成長は望めず、少子高齢化という厳しい現実に直面した。国内外の問題は官僚主導の前例踏襲では解決不能で、政治の役割がより強く求められた。過剰接待など官僚の不祥事も続いた。一方、95年の阪神・淡路大震災は、首相官邸が官僚たちを動かす力を持たず、日本の権力の中心が空洞であることを浮き彫りにした。
こうした状況のもとで「強い官邸」をめざす改革が進行する。それには四つの要因がある。
◆1994年:小選挙区導入 !
「政権交代可能な二大政党制」をめざし、衆院選は首相を選ぶ政権選択選挙の色が強まった。
小泉純一郎首相が郵政選挙で見せたように党首が絶大な力を持つようになり、派閥の力は衰え、官邸が強くなる契機となった。
○菅首相の悲劇、見渡せば茶坊主と無能な側近ばかり !
(jbpress.ismedia.jp:2020/12/12 )
(舛添要一:国際政治学者)
◆養鶏業者からの資金提供、「桜を見る会」
前夜祭費用の記載漏れ
両者とも、安倍内閣の農林水産大臣であり、吉川議員は総裁選に菅義偉官房長官を擁立した中心人物、また西川前議員は安倍内閣に引き続いて菅内閣でも参与を務めていた。それだけに、菅首相に対する打撃は大きい。
しかも、他にも農林関係の複数の議員に金銭が渡っていると言われており、今後の検察の捜査が進めば、菅政権にとっては逆風となる。
そもそも、自民党岸田派の現職の溝手顕正議員がいながら、参議院選挙で広島選挙区に河井案里を立てたのは、安倍晋三嫌いの溝手を落とすための官邸の意向であり、溝手に対する安倍官邸の意趣返しと言ってもよい。もちろん官房長官として菅も関与している。皮肉なことに、河井→吉川→西川→と、菅首相にとっては負の連鎖が続いているのである。
○ 米国から上級奴隷・自民党へ密かに長年、資金提供され、
米国の支援をバックに対米隷属・国民洗脳・
自民党一党支配体制が構築されてきた !
(T) 右翼・米国の支援で、対米隷属・保守政党の結成 !
戦後・ソ連が原爆を開発し、冷戦の始まりとともに、昭和23年以降、対日占領政策・民主化の変更・「逆コース」により、アメリカは、裏から日本を支配するため、日本の戦時体制を維持し、戦時中のエリート(戦犯たち)に、権力を握らせようと決めていた。
そのため、対米隷属を約束させられた、戦争犯罪人(自民党議員の先祖)を監獄から出してやった。
1948年12月24日、釈放された、A級戦犯容疑者は、岸信介(安倍首相・加計理事長の祖父)、児玉誉士夫、笹川良一、正力松太郎など70名以上存在し、戦後の政界・経済界・政界の黒幕など多方面の有力者になった。
講和後の1958年4月、禁固刑のA級戦犯(賀屋興宣、白鳥敏夫、重光葵、橋本欣五郎などは後に衆議院議員となる)は、全員赦免になった。
1945年11月、保守政党の結成、再編が行われた。
日本自由党(自民党の前身)の資金は、戦時中に右翼の児玉誉士夫が海軍の「児玉機関」の長として中国で物資調達にあたった時の資産(侵略戦争で強奪した、財産を横領した、裏金・時価4千億円)の一部をもらった。
(2)米国の資金提供等で長期政権を実現 !
岸信介は日本に台頭する保守派の指導者になった。国会議員に選出されて4年も経たないうちに、国会内での最大勢力を支配するようになる。
そしていったん権力を握ると、半世紀近く続く、対米隷属・国民収奪・政権党を築いていった。
このようにして、アメリカの政策に従順な日本政府の体質は、敗戦直後から着実に形成されていた。
そして、CIAが1950~70年代に日本の保守政権の安定化を図り、自民党や「左派穏健勢力」に繰り返し資金提供していた(違法資金)ことが、米国務省の機密文書公開で明らかにされている。
3)大マスコミと自民党とCIAの深い秘密の関係
日本を反共の防波堤に、米国による日本人「愚民化政策」・
「3R」「5D」「3S」で巧妙に支配 !
★独裁・首相官邸は、内閣人事局を通じて、検察・裁判所
・省庁幹部・日銀・NHK等の人事権を握って、支配している !
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