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上皇さまの危機感を無視し、「女性宮家」
創設をタナ上げした、安倍政権の現実離れ !
幕末・明治天皇の深層・真相は ?
(www.nikkan-gendai.com:2021年8/29(日) 9:06)
【皇室のトリビア】
女性皇族を宮家の当主にする「女性宮家」の創設。それは、もともと上皇さまの強いご意思であり、皇室存続のためには急がねばならないテーマであることを前回は書いた。
※トリビア:(「くだらないこと、瑣末なこと、雑学的な事柄や知識、豆知識」を指す)
小室圭さんは一度は「婚約辞退」を考えた 内定会見後のお食事会から“異変”が…
ところが、この10年近く議論は進んでいない。女性宮家を創設すれば、いずれ女性天皇や女系天皇につながりかねないという反対論が強く、結局、野田民主党政権では、内親王による1代限りの女性宮家が議論されたようだが、いつの間にかウヤムヤになってしまった。
もっとも、1代限りの女性宮家なんてほとんど意味をなさない。仮に50年、60年経って女性宮家の当主である内親王がいなくなれば、やはり天皇家を支える皇族は悠仁さまたった1人となるわけだから、現在の皇室が抱えている危機を半世紀先に引き延ばすだけで、何の解決にもならないからだ。
現在の皇室が崖っぷちに立っているのは、将来、公務を担える皇族がいなくなるだけでなく、皇位を継承する皇族が悠仁さましかいないことだ。確率からすれば、血の継承が途絶える可能性がきわめて高いということである。これも、現在の皇室典範が、皇位継承者を「男系の男子」に限定しているからである。
自民党内では、女性皇族が結婚によって皇籍を離れても、「皇女」という特別職の公務員になっていただいて公務を継承する案が検討されたようだが、これも問題を先送りするだけで、何の解決にもならない。
結論を先にいえば、「女性宮家」を創設したうえで、皇位継承の範囲を拡大して安定化させるしかないのである。
上皇さまがビデオメッセージで生前退位のお気持ちを表明されたのは2016年8月のことだった。そして、退位実現のための皇室典範特例法が国会で成立したのは翌年6月。その付帯決議に〈安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、皇族方の御年齢からしても先延ばしすることはできない重要な課題である〉と記している。
このままでは皇位継承が絶えるかもしれないから女性宮家の創設を検討してほしいという、上皇さまの危機感を反映したものだろう。
ところが、法律で定めたうえ、上皇さまの強いご意思だったにもかかわらず、当時の安倍政権は議論を先送りしてしまった。というより無視したのだ。要は、「将来、悠仁さまに男子が生まれなかった時に改めて考えればいい」ということらしい。
そうはいえ、悠仁さまが結婚されて子供ができる頃には、愛子さまや眞子さまら、今の内親王は結婚されて皇籍を離れている。たとえ悠仁さまに男子が生まれたとしても、支える皇族が誰もいないのでは皇室は成り立たない。もしも生まれたのが女子だけなら、そこで皇位が途絶えてしまうのだ。
では、安倍政権はどうするつもりだったのか。
戦後に皇籍を離れた伏見宮家ら11宮家の男子に皇位を与えれば、すべて解決できると考えたのである。「万世一系の血がつながるんだからいいんじゃない」と。これで納得する方も多いらしいが、そううまくいくだろうか。
戦前と違い、現在の天皇に権力はない。その天皇を支えているのは国民であるというのが象徴天皇の姿だ。たしかに旧宮家は現在の天皇と男系でつながっているが、分かれたのは、実に約600年前の室町時代である。現在の天皇家とはかなり遠い。それに11宮家は今の国民に馴染みがない。
国民が彼らを皇族として畏敬するだろうか。
ちょっと現実離れした話というしかない。
ところが、菅政権の考え方は、安倍政権とは大きく違うようだ。
(参考資料)
T 幕末・維新の革命の真相は ? (欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には、睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎 !
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視
や木戸、伊藤、山縣、大久保の
日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は、私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
V 幕末・維新の革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には、睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。 そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。 ・・・・ 大室寅之祐((おおむろとらのすけ:南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
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