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小山田氏のいじめは、殺人事件に発展する可能性大だ !
小山田氏のプロフィールとは ?
植草一秀氏ブログ「知られざる真実」
(第2898号:2021年7月19日)
1)〜5)は前回投稿済みです。以下はその続きです。
6)小山田氏が、いじめた同級生の1人は、自殺を考えた !
「マットの上から、ジャンピング・ニーパットやったりとかさ――。
あれはヤバいよね、きっとね」
小山田氏が、いじめた同級生の1人は、自殺を考えたともいう。
「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビュー記事は、1994年1月号に掲載されたもので2万字にのぼるロングインタビュ――。
この当時、重大刑事事件が、発生している。
7)1993年5月に発生したのは、「山形マット死事件」だ !
1993年5月に発生した、「山形マット死事件」である。
1993年1月13日夕方、新庄市立明倫中学校1年生の男子生徒が、同中学校の体育館用具室内で遺体となって発見された事件である。
生徒の遺体は、巻かれて、縦に置かれた体育用マットのなかに、逆さの状態で入っており、死因は窒息死だった。
山形県警察は傷害および監禁致死の容疑で、死亡した生徒をいじめていた当時14歳の上級生3人を逮捕、当時13歳の同級生4人を補導した。
8)小山田氏のいじめは、殺人事件に発展する可能性大だ !
一歩間違えば、小山田氏のいじめは、殺人事件に発展していたとも考えられる。
この事案について、太田光氏は、延々と「時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい」との自説を主張し続けた。
太田光氏の頭のなかには、政権に媚びを売ることしか、ないのだろう。
自分の政治的利益のためだけに、五輪開催を強行する、菅義偉首相の姿勢とだぶる。
太田光氏は、ただ政治権力に、媚びを売ることしか考えていない。
あまりにも醜い生きざまである。
9)サンデー・ジャポンは、直ちに司会進行者を差し替えるべきだ !
犯罪的ないじめ行為を、是とする時代の価値観など、存在したことはない。
サンデー・ジャポンは、直ちに司会進行者を差し替えるべきである。
女性蔑視発言で、引責辞任に追い込まれたのは、森喜朗氏(東京オリンピック組織委員会の元会長・元総理大臣)である。
五輪組織委は緊急事態宣言が発出され不要不急の外出自粛が要請され、多人数の集会自粛が呼びかけられているなかでパーティー開催を強行した。
10)欲ボケIOCのバッハ会長は、歓迎パーティー開催を、強行した !
国民の誰も歓迎していない、欲ボケIOCのバッハ会長歓迎パーティー開催を、強行した。
そのパーティーに、森喜朗氏が招かれ、スピーチを行ったと報じられている。
狂気の五輪組織委員会である。
組織委員会は、オリパラの楽曲提供担当に、小山田氏を起用したことを発表した。
オリパラに、障害者に対する、殺人にも近い加害行為を行い、その行為を得意になって公表してきた人物を起用した。
カズレーザー氏が指摘するように、小山田氏は、雑誌でのいじめ事実公表後に、その事実に対する謝罪、贖罪行為を一切示してきていない。
―この続きは次回投稿しますー
(参考資料)
小山田圭吾氏のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
小山田 圭吾(おやまだ・けいご、1969年1月27日生まれ。52歳。)は、日本のミュージシャンである。1989年にフリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビュー。1991年の解散後、約2年のブランクを経て、1994年よりソロユニットCornelius(コーネリアス)として活動。
◆経歴:
Mœrs festivalでのライブ(2007年)
和田弘とマヒナスターズの三原さと志の長男として、東京に生まれる。
版画家の中林忠良は義理の叔父(父方の叔母の夫)[3]。田辺靖雄は母方の叔父。ベンチャーキャピタリストである伊藤穰一とは、はとこに当たる[4]。また、イギリスのロックバンドのLushのヴォーカル、ミキ・ベレーニとも、はとこに当たるほか、ミキは永積崇ともいとこであることから小山田と永積もまた親戚に当たる[3]。(「父母が離婚していたため、2006年に父が他界するまで父方親族との交流はなかったが、父の死をきっかけに小山田家のことをいろいろ知るようになった」と語っている[3]。)
学校法人和光学園 和光小学校、和光中学校・高等学校卒業[5]。
セツ・モードセミナーに通う傍ら、中学校の同級生であった小沢健二らと共にフリッパーズ・ギターを結成しメジャーデビュー。解散後、しばしの期間を経て小山田圭吾によるソロプロジェクトCorneliusとして音楽活動を再開する。
活動初期から中期かけての楽曲においては、手法としてサンプリングの採用、テルミンを用いる演奏、HDDによる多重録音、ヘヴィメタルへの傾倒と新解釈、シンセサイザーを前に出した演奏、ハーモニー効果の模索、サウンド・エンジニアリングの創意工夫等が施された作品を発表している。また音楽プロデューサーとしても多くのミュージシャンの活動に貢献している。
さらに1992年よりレコードレーベル「トラットリア (Trattoria Records)」を主宰する。その活動は、作品発表の場を求めるミュージシャンと新たな音楽を求める聴衆の掛け橋として機能した。
小規模のレーベルによる作品の頒布はそれまでにも存在したが、このレーベルは新しい潮流の軽音楽を、単に一部の熱狂的な聴衆に提供するにとどまらず、全国の一般的な聴衆に広く頒布することを可能にした。2002年にこのレーベルは終了したが、その活動期間は10年にわたり、250の作品をリリースした。
1995年、森永のチョコレート「小枝」のCMに女装して「森の中の少女」として出演。
1997年、『FANTASMA』リリース後、アメリカのマタドール・レコードと契約。それを機に『FANTASMA』『POINT』(2001年作)の2作を世界21カ国で発表。この時期から現在まで、ツアーなどを含む海外での活動も盛んに行われることとなる。
2000年にミュージシャンの嶺川貴子と結婚、同年11月2日に長男(小山田米呂)が誕生。
なお、嶺川とは2012年に離婚している。
それ以外にもBeck、Blur、Sting、Moby、Kings of Convenience、Yellow Magic Orchestra、Sketch Show、ピチカート・ファイヴ、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、テイ・トウワ、スチャダラパー、電気グルーヴ、石野卓球、砂原良徳、EYE、OOIOO、Buffalo Daughter、坂本慎太郎、hide、Tahiti 80、Bloc Party、Manic Street Preachers、The Go!Team、MGMT、Gotye、Arto Lindsay、k.d.lang、Prefuse 73、Merzbow、高木正勝、UNKLE、Coldcut、The High Llamas、The Pastels、The Books、Petra Hadenなど、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックスを行っている(#参加作品項を参照)。
また、1999年にはThe Flaming Lipsとコーチェラ・フェスティバルやレディング・フェスティバルなどを含むアメリカ・ヨーロッパツアー、2002年にはAirとグラストンベリー・フェスティバルなどを含むヨーロッパツアーを行っている。
Webster Hallでのライブ(2008年)
2003年よりNHK-FMにおいて『小山田圭吾の中目黒ラジオ』を放送。夏と冬(元旦)の年2回のレギュラー番組で、毎回このために製作されたDJミックスが1時間弱放送される。
2003年 - 2005年に、V&A(ヴィクトリア&アルバート博物館/ロンドン)で行われた展覧会「Shhh…」への楽曲提供や、バービカン・アートギャラリー(ロンドン)で行われたJAM展などへの映像作品の出展、世界最大の映像の祭典「RESFest」にノミネートされたミュージッククリップ「DROP (DO IT AGAIN)」が、ベストオーディエンス賞を受賞するなど、音楽はもとより映像作品の制作など、幅広い活動を展開している。
また、福井で開催された新フェス「ONE PARK FESTIVAL」[31]のヘッドライナーとして出演した。同月、1stアルバム『THE FIRST QUESTION AWARD』、4thアルバム『POINT』をリマスターしてリイシュー、映像作品『Mellow Waves Visuals』をリリース[32]した。
8月に韓国で開催された「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL 2019」のヘッドライナーとして出演[33]、また青森で開催された「ワールドハピネス2019」に出演、また大阪と東京で、9月にアメリカとカナダで『POINT』再発記念のライブ『Cornelius Performs Point』[34]が開催された。帰国後、10月に朝霧JAM2019に出演予定だったが台風により中止[35]。
2020年1月、ORIGINAL LOVE presents『Love Jam vol.5』に出演した[36]。4月に「SYNCHRONICITY 2020」に出演予定だったが、2019新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止[37]。
7月にMETAFIVEとして約4年ぶりのリリース『環境と心理』で初のリードヴォーカルを務めた。[38]11月に渋谷パルコのオープン記念のために作られたBGM集『MUSIC FOR PARCO』をLPでリリースした。12月31日にフジロック2021年の開催に向けてのオールナイトイベント「KEEP ON FUJI ROCKIN’ II〜On The Road To Naeba 2021〜」に出演[39]。
◆いじめ・暴行発言による騒動
1995年7月1日発売の音楽雑誌に掲載されている小山田のインタビューにて、小山田が小学生から高校時代の長年に渡り、複数の障がい者生徒に対していじめ・暴行行為に関与していたことを取材時に語っていた。これを受け、小山田と被害者の対談が企画されるが、被害者全員から対面を拒否された。小山田本人は「けっこう今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」と語っている[40][41]。
さらに、ROCKIN'ON JAPAN1996年1月号では「障がい者の生徒たちを跳び箱の中に閉じ込める」「マットレスでぐるぐる巻きにした上に飛び蹴りする」「排泄物を食べさせる」「服を脱がせ裸で歩かせる」「自慰行為を強要する」「殴る・蹴る等の傷害」[42]等のいじめ・暴行行為に及んたことを回想していたという[43]。
2021年7月、“多様性と調和を基本理念としている「東京オリンピック・パラリンピック」の開開式・閉会式の制作メンバーとしては不適格ではないか”との声が、インターネット上のSNSにおいて広がっているという[43]。
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