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  NHK紅白歌合戦:大泉洋の“大暴走”司会に「割れる」評価…再登板はなし?
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/14889.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2021 年 1 月 06 日 21:50:25: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

   NHK紅白歌合戦:大泉洋の“大暴走”

     司会に「割れる」評価…再登板はなし?

       大泉洋氏のプロフィールとは ?

(www.nikkan-gendai.com:2021年1/6(水) 14:20配信)

■NHK紅白歌合戦 !

史上初の無観客開催となった昨年末の「第71回NHK紅白歌合戦」。総合司会の内村光良(56)、桑子真帆アナ(33)、紅組司会の二階堂ふみ(26)と共に白組司会を務めた大泉洋(47)の評価がネット上で割れている。
二階堂に関しては一度も噛むことなく、落ち着いた進行ぶりを評価する声が大勢を占める中、大泉に関しては、「暴走キャラをあえて引き受けて盛り上げたと思う」と称賛の声が上がる一方で、「うるさすぎる」という書き込みも見られた。

■大泉洋が暴走した !

 大泉は番組冒頭から「この大晦日に好きなだけしゃべっていいという場をいただきまして!(スタッフに目をやり)……もうマキが入ってるってどういうことですか!」とアクセル全開。
その後も、LiSA(33)が昨年大ヒットとなった、「鬼滅の刃」の主題歌を歌うと、自身の主演映画「新解釈・三國志」を引き合いに出し、「おかげで『三國志』っていう映画のヒットが目立たないんです!」とコメントするなど暴走した。
 さらに白組トリの福山雅治(51)のモノマネをしてみせたり、オーケストラをバックに歌ったMISIA(42)のステージでは、曲が終わる前に「ブラボー!!」と絶叫するなどフルスロットル。テンションが高いのが持ち味とはいえ、終始、内村や二階堂のフォローがあってこそ成立する振る舞いだった。コラムニストの桧山珠美氏はこう話す。

■「必要悪だが悪目立ち」

「大泉さんは、若手芸人並みにはしゃいでいましたが、無観客なのであえて観客役を買って出たんだと思います。力が入りすぎていて悪目立ちしてしまいましたが、必要悪だったと思いますね。二階堂さんの爆上げに一役買ったことは間違いなく、爪痕は残したんじゃないですか。でもうるさかったです」

 フタを開けてみれば、視聴率は昨年より上積みされた(第2部の世帯視聴率は一昨年の37・3%から3・0ポイントアップの40・3%=関東地区・ビデオリサーチ調べ)。結果オーライと言いたいところだが、一部ではこんな声も聞こえてくる。

「内村は今回で紅白司会卒業が既定路線。評価を上げた桑子アナや二階堂は、『来年も』という声がある一方で、大泉は、やはり紅白にはそぐわないという声がある。次回はないでしょう。同局の歌番組『SONGS』で司会を務めていたことから司会の座を射止めましたが、ある意味、飛び道具的な起用でしたから」(番組関係者)
 あの“暴走司会”は、今回だけの特例ということになりそうだ。

(参考資料)

俳優・大泉洋のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

大泉 洋(おおいずみ よう、1973年(昭和48年)4月3日生まれ。47歳。 )は日本の俳優、タレント、声優、作家、歌手、コメディアン、ものまねタレント。所属事務所はCREATIVE OFFICE CUE(業務提携先はアミューズ)、演劇ユニットTEAM NACS所属。身長178cm。北海道江別市大麻[1]出身。北海学園大学経済学部卒業。妻はフジテレビドラマプロデューサーの中島久美子。

◆経歴

北海道時代:北海道江別市大麻[1] 出身。父は北海道高等盲学校や北海道七飯養護学校などの校長を歴任した教員だった[4]。母は中学校教師で旭川市出身[5]。1980年、江別市立大麻東小学校に入学[6]。小学5年生の時、札幌市南区に引っ越し、札幌市立真駒内南小学校に転校。その後、札幌市立真駒内中学校、北海道札幌藻岩高等学校を卒業後、1994年に2浪して北海学園大学経済学部経済学科に入学。本来志望していた大学ではなく、母親から「もう死ぬんじゃないか」と心配されるほど滅入っていており、当初は本人もかなり落ち込んでいたという。しかし、「このまま腐った気持ちでいるのはまずい」と奮起し、演劇研究会に入る[7]。そこで森崎博之、安田顕、佐藤重幸、音尾琢真の4人と仲良くなった。初舞台は同年夏、演劇研究会の道内地方公演での大林先生役。公演当時より独特のキャラクターが際立っていた5人だったので、演劇部内で浮いており、その際、「お前らTEAM NACSだ」と命名され今に至る。演劇研究会及び森崎の薦めで入団した劇団イナダ組の舞台が評判となり、大学在学中に当時鈴井貴之が主宰する劇団OOPARTSの劇団員に認められ、CREATIVE OFFICE CUEに所属することになった。

大学在学中の1995年10月、鈴井の斡旋下でHTB北海道テレビの深夜番組『モザイクな夜V3』に出演し、芸能活動を開始。翌1996年10月には同局の深夜番組『水曜どうでしょう』に出演開始し、北海道内でのタレント活動が活発化した。『水曜どうでしょう』は深夜枠での放送にもかかわらず高視聴率(最高18.6%)を得て全国に番販され、それに伴い大泉の知名度も全国的に広がっていった。

1999年からは『パパパパパフィー』(テレビ朝日)に不定期出演するようになり、全国ネットのバラエティ番組に登場することとなった。
また、歌手として『ドラバラ鈴井の巣』のドラマ企画毎に作詞・作曲を手掛ける。2004年には作詞・大泉洋、作曲・根本要で、スターダストレビューとのコラボレーションシングル「本日のスープ」(全国版オリコン最高10位)を「北海道限定版」と「全国版」で発売し、『ミュージックステーション』(2004年2月放送)や『うたばん』(2004年5月放送)に出演した。

同年には、『おにぎりあたためますか』の企画内で戸次重幸とのユニット『FAN TAN』で「起きないあいつ」(オリコン最高7位)を発売。台湾デビューを果たす。
俳優として、2003年には『river』で映画初主演。声優としても『千と千尋の神隠し』など、複数のスタジオジブリ作品に参加。2003年には、高坂希太郎監督の『茄子 アンダルシアの夏』にて主人公のペペ・ベネンヘリを務めた。

東京進出後:2004年に、31歳で本格的に東京進出。2002年に『水曜どうでしょう』のレギュラー放送終了したことで、仕事を続けていけるのかと不安になり、北海道での仕事に閉塞感を覚えていたことに加え、北海道ロケの映画で東京から来た俳優よりも格下の扱いを受けたことにショックを感じたのが一因だった[8][9]。同年12月には、アミューズと業務提携を行い、その後は、道内の仕事はOFFICE CUE、道外の仕事はアミューズが手掛けている[10]。

2005年に『救命病棟24時』(フジテレビ)にて、全国ネットの連続ドラマ初出演。以後、『小早川伸木の恋』(フジテレビ)、『ハケンの品格』(日本テレビ)など、数多くのドラマに出演。特に『ハケンの品格』では準主役ということで注目度が高まり、北海道(札幌テレビ)での視聴率が関東地区や関西地区よりも高く、平均で25%を超える視聴率を獲得した(関東地区での平均視聴率は20.1%だった)。

2009年5月2日、フジテレビドラマプロデューサーの中島久美子との結婚を発表。2人は2005年の『救命病棟24時』がきっかけで知り合い、2008年の『ロス:タイム:ライフ』出演時の再会以降交際していた。2010年8月29日、挙式。参加者は親族および友人、事務所関係者や番組関係者などで、司会は「1×8いこうよ!」で共演する札幌テレビアナウンサー木村洋二が行った。

2011年5月、第一子となる長女が誕生[11]。
2012年、第35回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(探偵はBARにいる)を受賞。
2014年、北海道特別"福"知事に任命される[12]。第6回TAMA映画賞 最優秀男優賞(青天の霹靂)を受賞。
2016年、第39回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(駆込み女と駆出し男)、第58回ブルーリボン賞 主演男優賞(駆込み女と駆出し男)を受賞。

2019年、TEAM NACSメンバー及び鈴井貴之と共に北海道の民放5局とNHK札幌放送局による共同キャンペーン『One Hokkaido Project』のキャンペーンソングに参加[13]。また大泉は同キャンペーンの特別番組『みんなで道フェス!2019〜どさんこの夢 応援するべさ〜』のフェス長も務めた[14]。
2020年、『第71回NHK紅白歌合戦』で白組司会を担当[15]。

人物:

小学生時代に両親が車でかけていた落語のテープを、暗記するまでに聴き込んでいたことがトーク力を養った[16]。小学校では同級生2人との一緒にしたコントがウケたことから、人気者だったという[17]。

大学時代に高等学校地理歴史の教育職員免許状を取得しており、大学卒業後は教師になる予定だった[18]。当時のテレビ出演はあくまでアルバイトであり、「テレビは思い出作り」と公言していた[18]。このため、大泉の母親は未だに「今からでも先生になってくれないか」と言っている[18]。実際のところは、大学卒業当時、不況で就職難だったため「とりあえず目の前にあるテレビの仕事や劇団の活動をしっかりやっていこう」という意識も強かったとのこと[7]。

テレビ初出演は大学一年生の頃の1994年にHBCで放送された夕方のニュース番組での特集インタビュー。この時HBCが自身の大学の取材に来ることを事前に把握しており、テレビに出演したいが故にスタッフの目の前を何往復もウロつき、最終的にスタッフに呼び止められる型で取材に応じたという。

ドラマ初出演は、エリアコードドラマシリーズでHTBが制作し、1995年7月から9月に放送された『テレビ局物語 今にみてろ!』である。ヒロミ扮するテレビディレクターがオーディションで素人のつまらない一発芸に閉口するというシーンの素人役で、完全なエキストラだった(森崎博之も、このときに一緒に出演した)。裸になって「乳首が喋る」という芸を全力でやった結果、白けねばならないところをヒロミがうっかり噴き出してしまい、そのことがバラエティ番組出演にあたっての自信になった[19]。

大泉自身はリスクを背負ってでも人に笑ってほしいと考えており、以前のポルトガル映画祭でウケる必要はないのに「こんにちは、クリスティアーノ・ロナウドです」とボケた。大泉がそのように考えるのは「世界中から好かれたい」「嫌われたくない」という気持ちからでもあり、それについてさらに「僕にとっては“マグロが泳いでないと死んでしまう”みたいなもので、笑いがないとつらくて仕方がなくて。さすがに家では違いますけどね」と表現している[20]。

大の動物嫌いであり[21]、大学時代の音尾琢真、結婚後の戸次重幸らは猫を飼っているが、メンバーであってもペットのいる家には呼ばれても行かない。ただし、自身のファンのことを『子猫ちゃん』と呼んでいる[22]。
甲殻類や白身魚のアレルギーがある。嫌いな食べ物はカボチャ[23]。また、痔持ちである。

実兄は函館市役所職員であり、2019年5月より市保健福祉部長を務めている。『ハナタレナックス』でGLAYのTAKUROは、函館での野外ライブを成功させたのは実兄である、と語っている[24][25][26]。

自他ともに認める大のお爺ちゃん子で、自分の番組で度々祖父の話題を出すなど強く慕っていた。祖父は1999年に亡くなっており、大泉は水曜どうでしょう「四国八十八ヵ所」のロケ中に母親から祖父が亡くなったとの連絡を受ける。母親からは仕事を優先するよう言われ大泉自身もロケの続行を希望したが、藤村忠寿・嬉野雅道両ディレクターから北海道に戻るよう説得され、番組でも珍しいロケの中断、再収録となった。
草間彌生は妻の遠縁である[27]。

演劇を始めたばかりの大学1年生の時に、三谷幸喜主宰の劇団東京サンシャインボーイズの『ショー・マスト・ゴー・オン』をテレビで観たことで、演劇の面白さを知ったことから、三谷は憧れの人物である[28]。三谷の作品には多数出演しており、三谷は「彼が十年早く、もしくは僕が十年遅く生まれていれば、一緒に劇団を作っていたような気がして仕方ない」と語っている[29]。

 

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