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米国大統領選では、バイデン候補の当選が限りなく濃厚だ !
トランプ氏・バイデン氏のプロフィールとは ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/11/05より抜粋・転載)
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1)米国大統領選では、バイデン候補の当選が限りなく濃厚だ !
米国大統領選は、集計の最終段階に差し掛かっている。
現時点での開票結果を踏まえると、バイデン候補の当選が限りなく濃厚である。
郵便投票の期限が延長されている州が複数存在し、開票結果の確定には時間がかかるが、その前にバイデン氏が当選に必要な選挙人数270の獲得を確定する可能性が高い。
バイデン氏の選出は、秒読みの状況に移行しつつある。
2)トランプ大統領は、郵便投票に不正があったと主張している !
トランプ大統領は、郵便投票に不正があったとして、郵便投票の開票を止めることを求めているが、正当な主張とは言い難い。
開票状況を見守り、開票結果が公表された段階で、良識ある対応を示すべきである。
しかしながら、これまでのトランプ大統領の行動は、米国の混乱を誘発するものになっている。
選挙での勝利に向けて全力を尽くす。
その上で、結果に対しては謙虚に受け止める必要があるが、現時点のトランプ大統領の行動は紳士的なものと言い難い。
3)トランプ大統領は、良識ある対応を示すべきだ !
後世に残る名誉のためにも、トランプ大統領は、良識ある対応を示すべきである。
郵便投票は、正規に認められた投票手法である。
国会選挙では、とりわけコロナの影響が大きいため、郵便投票に依存するウェイトが高くならざるを得なかった。
郵便投票が多用されたにもかかわらず、投票所での投票には長時間を要するケースも多く存在した。この状況下での郵便投票の活用はやむを得ないものである。
4)不正選挙の疑いがあるなら、具体的に事実を摘示すべきだ !
不正選挙の疑いがあるなら、具体的に事実を摘示することが必要である。
不正選挙が存在することは十分に想定されるが、その不正が結果を左右するものになるのかどうかは、具体的検証が必要不可欠になる。
第1回目のテレビ討論が罵り合いの様相を呈したのは、トランプ氏が相手の発言中に不規則に発言を続けたために生じたものである。
5)1回目の討論でのトランプ大統領の行動は、良識を欠くものだった !
2度目のテレビ討論ではまっとうな討論が行われたが、1回目の討論でのトランプ大統領の行動は良識を欠くものだった。
公正な選挙を実施することが強く求められるなかで、郵便投票の公正さを確保するための論議と工夫を十分にしないまま選挙に突入し、郵便投票を敵対視するのはご都合主義と言うほかない。
今後の開票結果に依存するが、開票結果がトランプ大統領の敗北を明確に示す場合には、トランプは、最終的に敗北を認めるところまで、追いつめられることになるだろう。
6)敗北宣言が遅れれば、トランプ氏が、後世に受けるダメージは大きい !
この場合、敗北宣言が遅れれば遅れるほど、トランプ氏が後世に受けるダメージは大きなものになるだろう。
日本では日本学術会議の会員任命拒否問題が国会で論じられている。
1983年の国会答弁で、日学法第7条に基づく会員任命は「形式的」なものであることが明確にされている。
11月5日の参院予算委員会では、立憲民主党の小西博之参院議員が、白眉の追及を展開した。
―この続きは次回投稿しますー
(参考資料)
○トランプ大統領のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
ドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump、1946年6月14日 - )は、アメリカ合衆国の実業家・政治家である。第45代アメリカ合衆国大統領を務めている(在任期間: 2017年1月20日 - )。政界入りする前はテレビのパーソナリティを務めていた。
アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市のクイーンズ区で生まれ育ち、ウォートン・スクールで経済学の学士号を取得。1971年に父親の不動産事業を引き継いでトランプ・オーガナイゼーションと改名し、クイーンズとブルックリンからマンハッタンに事業を拡大した。
同社は高層ビル・ホテル・カジノ・ゴルフコースなどを建設、改装したりしていた。トランプはその後、主に彼の名前をライセンスすることによって様々なサイドベンチャーを開始した。彼は1996年にミス・コンテストのミス・ユニバース・ブランドを購入し、2015年に売却した。2003年から2015年までリアリティ番組「アプレンティス」をプロデュースし、司会を務めた。2020年現在フォーブスは彼の純資産を21億ドルと推定している[3]。
トランプは共和党員として2016年アメリカ合衆国大統領選挙に進出し、16人の他の候補者を予備選挙で破った。彼の政治的立場は、ポピュリスト 、 保護主義者、そしてナショナリストと表現されてきた。民主党候補のヒラリー・クリントンを破ってサプライズ当選したが、一般投票では敗れた[注釈 1]。
彼は最高齢の米国大統領となり、軍や政府の役職に就いたことのない初の大統領となった。彼の選挙と政策は、多くの抗議を巻き起こした。トランプは選挙運動や大統領在任中、多くの 虚偽または誤解を招くような発言 をしてきた。これらの発言はファクトチェッカーによって文書化されており、メディアはこの現象をアメリカの政治では前例の無いものと広く表現している。彼の発言や行動の多くは、人種差別や人種差別主義者として特徴付けられている[4][5][6]。
トランプは、より厳格な移民政策を提唱している[7]。彼は様々な国への渡航禁止令を課し、移民法の執行を強化し、移民の拘留や家族分離を増加させた[8]。
◆アメリカ合衆国大統領
大統領就任式
2017年1月20日をもって第45代アメリカ合衆国大統領に就任した。就任時の年齢は70歳220日で、第40代大統領ロナルド・レーガンの69歳349日を上回り、歴代最高齢の大統領となった[111]。
就任演説では、「アメリカ第一主義(アメリカ・ファースト)」を掲げた。
詳細は「2017年ドナルド・トランプ大統領就任式」を参照
○バイデン前副大統領のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
ジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(Joseph Robinette Biden, Jr.、1942年11月20日 - 、発音/'dʒoʊsəf rɒbɪ'nɛt 'baɪdən/)は、アメリカ合衆国の政治家。民主党員。1973年から2009年までアメリカ合衆国上院でデラウェア州の代表を務め、2009年1月20日から2017年1月20日までバラク・オバマ政権で第47代アメリカ合衆国副大統領を務めた。2020年アメリカ合衆国大統領選挙での民主党の大統領候補で、現職のドナルド・トランプに対抗して出馬している[1]。
バイデンはペンシルバニア州スクラントンとデラウェア州ニューキャッスル郡で育った。デラウェア大学で学んだ後、シラキューズ大学で法学士号を取得[2]。1969年に弁護士となり、1970年にニューキャッスル郡議会議員に選出された。
1972年にデラウェア州の上院議員に当選し、アメリカ史上6番目に若い上院議員となった。バイデンは長年上院外交委員会のメンバーであり、最終的には委員長を務めた。1991年の湾岸戦争には反対したが、東ヨーロッパへのNATOの拡大と1990年代のユーゴスラビア紛争への介入を支持した。
2002年のイラク戦争承認決議を支持したが、2007年のアメリカ軍増派には反対した。また、1987年から1995年まで上院司法委員会の委員長を務め、麻薬政策・犯罪防止・市民の自由に関連する問題を扱っていた。バイデンは暴力犯罪取締法と女性に対する暴力法の成立に向けた取り組みを主導し、ロバート・ボークとクラレンス・トーマスの最高裁判所長官への指名を監督した。
バイデンはアメリカ上院に6回再選され、2008年アメリカ合衆国大統領選挙でバラク・オバマと並んで副大統領に当選した後に上院議員を辞任した時には、4番目に在職期間の長い上院議員の地位にあった[3]。オバマとバイデンは2012年アメリカ合衆国大統領選挙において再選された。
副大統領としてバイデンは大不況に対抗するために2009年にインフラ支出を監督した。彼の議会の共和党との交渉は、オバマ政権が税制の行き詰まりを解決した2010年税制救済法、債務上限危機を解決した2011年予算管理法、差し迫った財政の崖に対処した2012年アメリカ納税者救済法などの法案を通過させるのを助けた。
外交政策では、バイデン氏は米ロ新START条約の成立に向けた取り組みを主導し、リビアへの軍事介入を支持し、2011年のアメリカ軍撤退を通じてイラクに対するアメリカの政策の策定を支援した。サンディフック小学校銃乱射事件の後、バイデンはアメリカにおける銃暴力の原因に対処するために設立された「銃暴力タスクフォース」を率いた[4]。
2015年10月、バイデンは2016年の選挙で大統領選挙に出馬しないことを発表した。2017年1月、オバマ大統領はバイデンに大統領自由勲章を授与した[5]。
バイデンは2019年4月25日に2020年アメリカ合衆国大統領選挙への立候補を発表し、2020年6月には党の指名を確保するために必要な1,991人の代議員数の閾(しきい)値を満たした。2020年8月11日、バイデンは2020年アメリカ合衆国大統領選挙の副大統領候補としてカマラ・ハリス上院議員を発表した[6]。
◆2度目の大統領選挑戦・副大統領へ
2008年には、自身2度目の大統領選挙となる2008年アメリカ合衆国大統領選挙に挑戦するが、バラク・オバマ候補とヒラリー・クリントン候補の二強が他を突き放す形勢となり、1月3日に撤退。
しかし、8月23日に大統領候補の指名を確実にしたオバマから副大統領候補指名の意向が発表され、これを受諾、その後8月27日にコロラド州デンバーで開催された民主党全国大会で、オバマと共に正式に、民主党の正副大統領候補に指名された。
◆副大統領候補指名内定後の初集会にて (8月23日)
オバマの副大統領候補としてメディアから有力視されていたのは、オバマの最大の対抗馬であったヒラリー・クリントンであった。激しい予備選の過程でオバマとクリントンの支持者同士の感情が険悪化しており、党内融和のためにもオバマ-クリントンの「ドリームチケット」が期待されていた。
そのため、バイデンが選ばれた事に関しては、少なからず驚きの声があった。この選択理由としては、次のような点が評価されたためと言われている。
オバマが弱いとされている有権者層である白人(特に白人労働者)、カトリックに強いこと。
民主党中道派の重鎮であり、政治的・思想的に偏りが少ないという点。当時クリントンはオバマ同様に民主党でもリベラル寄りとみなされており、リベラル同士のチケットでは本選挙の鍵を握る中道層の取りこぼしが懸念された。
オバマに関して指摘されていた経験、特に外交経験の不足を補う上で、外交経験豊富であり、国民にも“外交通”として認知されているバイデンは、オバマの弱点をうまく補完できるという点。
議会対策の上でも、上院民主党の重鎮であったバイデンの影響力が期待できること。
一般庶民層の出身という経歴であること。
しかし、共和党のジョン・マケイン候補がサラ・ペイリンを副大統領候補に抜擢したことと比較され、地味な選択とみられた。また、バイデンは予備選でオバマ候補の経験不足を指摘していたため、指名受諾後にはその点を共和党側より批判された。
―以下省略―
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