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絶望の山に分け入り、希望の石を切り出すべきだ !
1999 年以降、公明党が自民党と連立した深層・真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/09/18より抜粋・転載)
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1)〜9)は前2 回投稿済みです。以下はその続きです。
10 )改革的な市民が求めるのは、改革的政策の野党である !
改革的な市民が求めるのは、改革的政策であって、政党間の駆け引きなど、市民には関係のないことである。
政策を明確にする。その上で党派の壁を超える。
政権を刷新する主役は主権者である国民だ。
「政策基軸・超党派・主権者主導」を唱えてきた。
基本政策として、壊憲阻止・原発ゼロ・共生の経済政策を掲げている。
11 )改革政策を明確にして、すべての
小選挙区で、候補者を一本化すべきだ !
この改革的基本政策を明確にして、すべての小選挙区で、候補者を一本化する。
この一本化した候補者の勝利を主権者が主導する。「政策連合」を提唱してきた。
基本政策を共有できるのは、旧民進党のなかの「革新勢力」、日本共産党、社会民主党、れいわ新選組である。
旧民進党のなかの「隠れ自公勢力」が革新勢力の結集を妨げる害悪として作用し続けてきた。
この意味で、壊憲と原発推進を主張する御用組合の離脱は喜ばしいことだ。
CIAを軸とする既得権勢力はいまになって、懸命に「6産別の離脱が問題」、「合流新党は6産別を取り戻せるか」などの主張を展開しているが、「6産別の離脱は願ってもないこと」、「合流新党に6産別はいらない」と公言すればよいだけのことである。
12 )新・国民民主党は、「民社党」の名称を用いるべきだ !
玉木氏の新・国民民主党は「民主党」ではなく、「民社党」の名称を用いるべきである。
CIAが創設した「革新勢力の大同団結を妨害するための政党」という「民社党」の役割をそのまま担う政党であるから、「民主党」ではなく「民社党」の名がふさわしい。
衆議院の内閣総理大臣指名選挙では、日本共産党とれいわ新選組が枝野幸男氏に投票した。
自公に対峙し、自公を打倒するには、共産党を含む共闘を構築することが必要不可欠だ。
「共産党と共闘するのか」と問われれば、堂々と「共産党と共闘する」と答えれば良い。
敵陣営には「公明党と共闘するのか」と言い返せばよい。
13 )自民党は、公明党の支援なしには、政権を確保できない !
自民党も公明党の支援なしには、政権を確保できないのである。
維新も完全に自公サイドの政党だ。敵方の政党が増えるが問題はない。
小選挙区が中心だから、一つの選挙区に自公系の候補者が複数立候補すれば革新勢力にとって有利な状況が生まれるからだ。絶望の山に分け入り、希望の石を切り出すことが何よりも大切なことだ。
(参考資料)
T 自公連立前の公明党のスタンス:政権交代で改革実現 !
◆自民党の一党支配を打破し、新政権軸を目指す !
(石田委員長)公明党の基本路線:
1993年7月、総選挙に臨む基本姿勢について、石田幸四郎・委員長は「自民党の一党支配の下で、『政治腐敗が起こる 改革が叫ばれる 改革が実現しない 選挙で政権が動かない また腐敗が起こる』というような“悪循環”が何度となく繰り返され、今まさに政治不信はその極に達している。
この『“悪循環”を繰り返してきた最大の原因』は、“自民党に代わる政権の受け皿がなかった”ということであると思う」と日本プレスセンターで発言しました。
さらに、「政治を刷新して、緊張感を持たせる、また、政・官・財の癒着を断ち切るには、どうしても二つの問題が重要になってくる。
1つは“政権交代のシステム”であり、もう1つは“抜本的政治改革”だ」と主張しました。
自民党政権を打倒して、細川政権は、1993年(平成5年)8月に発足した。 非自民・非共産8党派の連立政権であり、公明党も連立した。
(1998年まで、この政権交代を目指す路線を続け、自民党・マスコミから昭和32年の大阪事件以来、迫害・誹謗中傷をうけていました。公明新聞1993年7月6日号3面)。
U 自民党の「反公明党・創価学会キャンペーン」
★1998年以前、政権交代を目指していた、公明党・創価学会攻撃のため、
自民党がつくった主な組織 :
☆池田第三代会長は、1990 年までに日本人口の3分の1を創価学会員にする事、公明党政権で大衆福祉社会建設する事を目指していた。1970年(昭和45年)750万世帯達成した。昭和32年、戸田代二代会長が達成した75万世帯を、10倍に拡大した。
自民党は、1990年までに池田会長が目標を達成すれば、自民党が野党に転落すると心配し、
池田会長の長期構想を破壊する、謀略を考えた。
池田会長を辞任させる事、創価学会と日蓮正宗を対立させ、分裂させる事をすれば、
創価学会のイメージが新興宗教となり、大構想が破壊できると考えた。
池田会長の大構想破壊のため、一次・二次・宗門事件を構想し、実行した。
1979年4月、池田第三代会長は、辞任させられた。以後、39年間、創価学会員
の拡大は低迷し、自民党のワナにはまり続けてきた。
交代した、公明党・創価学会首脳陣は、次第に自民党への戦う精神が弱くなり、
改革路線から大変質して、1999年自民党と連立した。
★自民党・米国CIAは、一次・二次宗門事件(日蓮正宗と創価学会の内紛・実は、
自民党・CIAによる分断工作)の黒幕であった !
★「創価学会等の社会的不正を糾す議員連盟」:中心者:三塚博元大蔵大臣
★「民主政治研究会」:代表:島村宜伸(しまむら・よしのぶ)元文部・農林大臣
★「憲法二十条を考える会」:代表:亀井静香・元運輸・建設大臣
★「四月会」(死学会):代表幹事:俵孝太郎(評論家)
顧問:勝部真長(お茶の水女子大学名誉教授)、秦野章(元法務大臣)、藤原弘達
(評論家)
V 自民党権力に迎合・屈服した公明党の理由は ?
魚住昭氏の主張:(魚住昭『差別と権力』講談社2004年、295〜296頁より抜粋・転載)
後に、野中広務元幹事長が、自公政権作りを成し遂げた後、有力支持者の1人が「どうやって学会・公明党とのパイプをつくったんですか」と野中に聞いた。すると野中はこう答えたという。
「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」と著書にしるしている
☆公明党は改革派から真逆の悪徳派・右翼・自民党従属に大変質した。
W 【怒】元公明副委員長・二見伸明氏 「公明党は完全にいかれている。
平和と福祉の公明党は薄汚れた 乞食のような右翼に変身してしまった」
(http://xn--nyqy26a13k.jp: 2017/06/16より抜粋・転載)
公開日: 2017/06/16 : 政治経済 公明党, 共謀罪, 都議選
二見伸明・元副委員長(=元副代表) @futaminobuaki
公明は完全にいかれている。与党委員長の下での中間報告・本会議採決というやり方は徹底的に議論する議会政治の原理を否定するもので、典型的なファッショそのもの。平和と福祉の公明は薄汚れた乞食のような右翼に変身してしまった。明日の聖教新聞を注目している。真っ向から批判できれば救いはある。
X 大悪政・大失政の自民・強力支援 ・公明党の超ど級共同責任 !
「公明党が野党共闘して、公明党の支援がなかったら
落選していた自民党議員、本当は、175人 !
自民党の獲得議席は、119 議席、野党へ転落 !
今週の『週刊ポスト』(2014 年 6月6日号)に、「公明党の支援がなかったら落選していた自民党代議士77人リスト」という記事がありました。
このリストは今後の参考になると思いタイピングしてみました。
仮に、自民党候補に投票されていた公明票が、そっくり次点のライバル候補に流れた場合、得票差が、5万4000票以下の議員175人が逆転されることになる。自民党の獲得議席は、なんと119議席と壊滅的な結果となるのだ。―以下、抜粋。
Y 「公明党に失望」平和学の世界的権威・ガルトゥング博士が批判 !
―公開書簡で池田氏に安保法制反対呼びかけ !
(bylines.news.yahoo.co.jp/:2015年9月4日より抜粋・転載)
「正直なところ、公明党にはがっかりしている。
『平和の党』を名乗っていた公明党は、
今や『戦争の党』に成り下がってしまった…」
先月、来日したヨハン・ガルトゥング博士は、自民党と共に安保法制の成立を目指す公明党を厳しく批判した。
☆安保法制は、日本を安全にするどころか、危険にさらす !
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