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  相模原殺傷事件4年:現場で関係者らが献花 !「19名の命忘れません」
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 7 月 28 日 16:31:13: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 相模原殺傷事件4 年:現場で関係者らが献花 ! 「19 名の命忘れません」

    殺傷事件の深層・真相は ?

(mainichi.jp:2020年7月26日 20時33分)

毎日新聞:神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら19人が殺害され、26人が負傷した事件は、7月26日、発生から4年を迎えた。

やまゆり園の入り口に設置された、献花台には、市民や関係者が訪れ、雨の中、手を合わせて犠牲者の冥福を祈った。

 献花台には、「19名の命を忘れません」と書かれたメッセージカードなどが手向けられた。

事件で重傷を負った、尾野一矢さん(47)の父・剛志(たかし)さん(76)は、「4年たっても、当日から時間が止まっているような感じだ」と振り返る一方で、「裁判が終わって、風化が進むのではないか。事件を伝えていく義務がある」と力を込めた。

 事件を起こした元園職員・植松聖には、障害者に対する差別的な考え方があった。

献花した神奈川県の黒岩祐治知事は、「ともに生きることを否定する、差別の心は、許してはならない」と強調した。

殺傷事件は、2016年7月26日に発生した。横浜地裁は、今年3月、殺人罪などに問われた元園職員の植松聖(さとし)死刑囚(30)に、死刑判決を言い渡した。

弁護人が控訴したものの、植松聖・死刑囚自ら取り下げて、確定した。

新型コロナウイルスの影響から、毎年行われてきた追悼式は、中止となった。【木下翔太郎、池田直】

(参考資料)

○相模原障害者殺傷事件とは ?

(ウイキペディアより抜粋・転載)

◆相模原障害者殺傷事件

2016年7月26日午前2時38分[注釈 3]、相模原市緑区千木良の知的障害者施設「神奈川県立 津久井やまゆり園」[1][2]から神奈川県警察[1]・相模原市消防局にそれぞれ[15]「刃物を持った男が暴れている」との通報があった。

事件に気づいた施設の当直職員が、非番の男性職員にLINEを使って「すぐ来て。やばい」[14]と連絡を取り、連絡を受けた男性職員が電話で確認のうえ警察に通報した[16][14]。現場に駆けつけた医師が19人の死亡を確認し、重傷の20人を含む負傷者26人が6か所の医療機関に搬送された[1]。

死亡したのは、いずれも同施設の入所者の男性9人(年齢はいずれも当時41歳 - 67歳)、女性10人(同19歳 - 70歳)である[17][1][18]。死因は19歳女性が腹部を刺されたことによる脾動脈損傷に基づく腹腔内出血、40歳女性が背中から両肺を刺されたことによる血気胸、残り17人が失血死とされ、遺体の多くは居室のベッドの上で見つかっていたことから、Aが寝ていた入所者の上半身を次々と刺したとみられる[19][6]。

また、負傷したのは施設職員男女各1人を含む男性21人、女性5人で[18]、うち13人は重傷を負った[17]。

入所者24人の負傷内容は全治約9日 - 約6か月間の胸への切り傷や両手の甲への打撲などとされる[6]。被害者の名前について、神奈川県警は同26日、「施設にはさまざまな障害を抱えた方が入所しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」として、公表しない方針を明らかにしている[20]。

これについて「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではなく、優生思想が根強いため」と説明する被害者家族[21]、本人が生きた証として名を公表する遺族[22]、匿名であるため安否が分からず自分なら公表してほしいとする入所者の友人[23]、根底に障害者差別があるとするなどさまざまな意見がある[24]。

午前3時すぎ、現場所轄の津久井警察署に加害者の男A(犯行当時26歳、元施設職員)が「私がやりました」と出頭し、午前4時半前[25]、死亡した19歳の女性入所者に対する殺人未遂[26]・建造物侵入の各容疑で緊急逮捕された[1]。

Aは、正門付近の警備員室を避けて裏口から敷地内に侵入し[14]、午前2時ごろ[27]、ハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割り、そこから施設内に侵入したとみられる[17][28]。

起訴状によればAは、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、通用口の門扉を開けて敷地内に侵入し、結束バンドを使って職員らを拘束し、一部を結束バンドで縛り、その目の前で入居者の殺傷に及んでいたが、直接刃物で切りつけられた職員はいなかった[29]。

Aは職員らを拘束したうえで、所持した包丁・ナイフを使用して犯行に及んだとされ[17]、また凶器として自宅から持ち込んだ柳刃包丁5本などを持っており[6]、切れ味が鈍るなどするたびに取り換えながら使用していた[30]。事件後に施設内で刃物2本が発見され、Aは別の刃物3本を持って津久井署へ出頭した[30]。

Aは侵入時にスポーツバッグを所持しており、刃物やハンマー、職員を縛った結束バンドなどをバッグに収納し、行動しやすくしていたとみられる[30]。Aは犯行時、鉢合わせした職員らに「障害者を殺しにきた。邪魔をするな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ返事がない入居者らを狙って次々と刺していった[29]。

前述のように、Aが裏口から施設に侵入したことから、Aは施設の構造・防犯態勢を熟知していたとみられる[14]。取り調べに対し、Aは「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めたうえで、「障害者なんていなくなってしまえ」と確信犯である持論を供述もした[31]。

同警察署の捜査本部は翌27日、殺人未遂の容疑を殺人に切り替え、Aを横浜地方検察庁に送検した[32][27]。

事件で負傷して意識不明となった4人が入院していた病院は、翌27日の記者会見で、4人全員の意識が回復したと発表した[33]。

そのうち、20代の男性は首を深く刺されたため全血液量の3分の2を失い、搬送直後には脈をとれないほどの危険な状態だった[33]。この男性は、意識を取り戻して人工呼吸器を外されると、看護師に何度も「助けて」と繰り返し、容疑者としてAが逮捕されたことを知ると「生き返った」と答えた[33]。

入所者のうち、被害を免れた比較的軽度の入所者が、Aが殺傷前に職員に縛りつけた結束バンドをはさみで切断して職員を解放していたことが判明し、捜査本部はこの行為が被害を抑えた可能性もあるとみている[34]。

Aはさらに多数の入居者を襲う計画だったが、西棟2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもり、そのまま出てこなかったことから、この職員が警察に通報するのを恐れて襲撃を中断し、施設から逃走した[35]。

○相模原障害者殺傷事件・植松聖被告が 初めて語った事件の核心 !

(news.yahoo.co.jp:2017/9/5(火) 21:42より抜粋・転載)

篠田博之 | 月刊『創』編集長:

 2017年9月5日、約1年前に津久井やまゆり園で19人もの障害者を殺害した植松聖被告に2度目の面会を行った。この記事は帰社して夕方から書いている。障害者に死を強制した彼が自らの死、つまり死刑になることを覚悟しているのかどうか。

今回はそういう話を彼と約30分行った。当然、彼はその覚悟を持って昨年7月26日未明に事件を起こしているのだが、その話の前に、植松被告とこの1カ月ほど、私がどういうやりとりを行ってきたか書いていこう。彼があの日本中を震撼させた事件をどういう思いで引き起こしたのか、今それについてどう考えているのかという核心的な話だ。

 本人がそれについて詳細に語るのはもちろんこれが初めてだ。彼は現在、マスコミとの面会は基本的に断っているのだが、私とはこの1カ月以上、かなり頻繁に手紙のやりとりを重ね、面会も行ってきた。手紙も含めたこの1カ月ほどの彼とのやりとりは、9月7日発売の月刊『創』10月号に詳細に掲載した。

その発売前に今回、彼の話の主要部分をこのヤフーニュースで公開することにしたのは、この事件が大変深刻で、決して風化させてはいけないと思っており、少しでも多くの人に読んでほしいからだ。ただ同時にこの事件については報道のしかたもまた難しいものがある。

 例えば、植松被告からは手紙だけでなく、この間、彼が獄中でしたためたノートも送られてきている。この記事の冒頭の写真がその青色の獄中ノートだが、中身は彼の主張の集大成といったものだ。

『創』10月号にはそれも一部掲載したが、ヤフーニュースのような極めて多くの人が見る媒体ではそのまま掲載するのは無理がある。報道する側もそういうことを考えねばならないほど、この事件の提起した障害者差別などの問題は、深刻だということだ。

 6月頃から植松被告は多くのマスコミの依頼に応じて手紙を書いたのだが、事件について全く反省していない内容だっため、新聞やテレビは「身勝手な主張」と紹介しただけで、その内容を公開しなかった。

被害者感情を考えれば、私もそれはひとつの見識だと思う。しかし、一方で彼が何を考えてあの事件を起こし、今何を考えているのかという事実をできるだけ詳細に伝えることも、事件解明のためには必要だ。

それは事件の犠牲者19人がいまだに匿名であることとも関わっているのだが、この事件についてどう報道すべきかという問題も、実はなかなか難しい。

その問題については機会あるごとに述べたいと思っているが、まずは植松被告が事件についてどう語っているのか。ここで8月22日に面会した時のやりとりを紹介しよう。

◆面会室で植松被告は深々と頭を下げた !

「わざわざおいでいただきありがとうございます」

 8月22日、植松聖被告はそう言って、面会室で立ったまま深々と頭を下げた。あの凶悪な事件を起こした犯人と思えないような丁寧な対応をするというのは聞いていた通りだ。

 グレーのTシャツを着てさっぱりした印象なのだが、報道されてきたイメージと印象が異なるのは、髪の色が違うからだろう。

逮捕後の植松被告については、彼が送検時に車の中で不敵な笑いを浮かべた映像が何度も公開されたが、あの金髪が強い印象を与えているようだ。髪の色が黒くなった植松被告は、ごく普通の若者という感じで、街中に現れても周囲の人は彼だと気づかないだろう。

質問:「髪を染めていたのを黒に戻したの?」そう尋ねると彼はこう答えた。

☆回答:「いや、伸ばしたままにしているだけです。だから後ろの髪の先のほうは、まだ前のままなんです」

 そう言って首をひねると、後ろで束ねられた髪の先が確かに金髪だった。

質問:ヒトラーの思想についてどう思っているのか ?

 植松被告とは、この1カ月以上、かなり多くの手紙のやりとりをしてきた。面会で尋ねたのは、そこで前から彼と議論してきたことだ。

《――君はヒトラーの思想と同じだとよく言われているけれど、君自身は手紙で、それは違うと言っている。だからヒトラーと君の考えのどこがどう違うのか確かめたい。君は昨年2月に津久井やまゆり園で職員らと話をした時に、「それじゃヒトラーと同じじゃないのか」と言われ、それを覚えていたので、措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と語ったという。それで間違いない?

☆植松: その通りです。もともとヒトラーがユダヤ人を殺害したのは知っていましたが、障害者をも殺害していたことは知らなかったんです。その時、職員から初めて聞きました。

質問:――措置入院の時に「ヒトラーの思想が降りてきた」と言ったのはどういう意味だったの?

☆植松: それほど深い意味を考えて言ったわけではありません。

 今ちょうど『アンネの日記』を読んでいるのですが、ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っていたと思っていますから。

質問:――じゃあナチスが障害者を殺害したことについてはどう思うの?

☆植松: それはよいと思います。ただ、よく自分のことを障害者差別と言われるのですが、差別とは違うと思うんですね。

質問:――君は、津久井やまゆり園で起こした事件については、今も間違っていたと思っていないわけね。

☆植松: 安楽死という形にならなかったことは、反省しています。

質問:――つまり死を強制してしまったことね。でも殺されるほうは同意するがわけないじゃないか。今『アンネの日記』を読んでいると言ったけど、他にはどんな本を読んでいるの。

☆植松: 鑑定のために一時立川署にいたのですが、その時はいろいろな本を読みました。医療関係の本とかですね。

質問:――精神医療ということ?

☆植松: 延命治療とか安楽死とかについてです。


 

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