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俳優・石田純一さん、病床から告白 !
アビガンで解熱、クドカンに続き効果を“立証”
石田純一のプロフィールとは ?
(headlines.yahoo.co.jp:2020年4/22(水) 5:00配信)
新型コロナウイルス感染で入院中の俳優、石田純一(66歳)が、4月21日、本紙の単独インタビューに応じ、猛省した上で現状について語った。
病床から電話で回答し、「発症の自覚がなかったとはいえ、仕事で沖縄に行き、多くの方にご迷惑とご心配をかけ申し訳ない」と真摯(しんし)にわびた。また、一時悪化した症状がインフルエンザ治療薬「アビガン」の服用で好転したと治療内容を初告白した。
14日に肺炎で緊急入院し、15日にコロナ陽性と判明した石田が、入院から1週間たったこの日、電話で心境を打ち明けた。
「症状がなかったとはいえ、外出や県外自粛のご時世。沖縄に行ったことが悔やまれます」
最初に口をついて出たのは自責の念。那覇市で経営する冷麺店のコロナ対策のため、空路現地に行ったことを猛省した。
仕事の延長で10日に沖縄入りした翌11日に関係者とゴルフ場でプレー。そのとき初めて体のだるさを覚えたが、せきや発熱もなく過労と思い、13日に帰京するまで市内のホテルに3泊した。
「結果として飛行機の乗客や沖縄の人たちに多大なご迷惑とご心配をかけ申し訳ありません」と平謝り。ゴルフ場は消毒後に再開したが、ホテルは16日から30日まで休館し、冷麺店は13日から臨時休業中でもあり、謝罪の気持ちがあふれた。
現在は徐々に回復し、世間を騒がせただけに、自身の体験談を話すことで、未知の病と闘う国民に情報を提供したいと決意。レギュラー出演する文化放送のワイド番組で16日に流された肉声(15日に収録)は「38・8度の熱があるぐらい」と声に張りもあったが、その後は頭痛がひどく息苦しくなり、症状は悪化したという。
そんな中、コロナの治療薬としても期待されるアビガンを服用したことを初告白。医療関係者の努力に支えられ、「アビガンなどいろいろな薬を投与していただいた。3日たった頃から平熱に戻り始めて、症状もだいぶ和らぎ、数値が正常に近づいてきた。お医者さまに感謝です」としみじみ吐露した。
臨床試験の始まったアビガンは、ウイルスの増殖を防ぎ、重症化する前に服用すれば熱を下げるなどの効果があるとされる。
コロナに感染した脚本家で俳優、宮藤官九郎(49)もアビガンで高熱が下がり、7日に退院した。石田も身を持って効果を立証した形だが、「私の場合、他の薬の副作用なのか血流が悪くなり、血液をサラサラにする薬を投与されているんです」と付け加えた。
また、石田の感染源の可能性として浮上したのが、5日に北関東のゴルフ場で参加したプライベートのコンペ。一部上場企業の社長ら8人ほどが参加し、ラウンド後の寿司を食べる会に参加した複数の女性を含む数人が、その後コロナ陽性と判明したという。
「私の知っているメンバーは半分ほど。女性とも面識はなく、うち1人が『熱っぽい』と言っていたので、こんな時期に勘弁してほしいなぁと思っていたほどなんです」と振り返りつつ、「ゴルフはたまたま、この時期に重なっただけ。最近は年間10ラウンドぐらいしかしないのになぁ」と自嘲気味に打ち明けた。
退院まではまだ時間はかかるが、確実に快方へ向かい、妻でプロゴルファーの東尾理子(44歳)ら家族や周囲も安心感を取り戻しつつある。
(参考資料)
俳優・石田純一のプロフィールとは ?
(ウィキペディアより抜粋・転載)
石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年(昭和29年)1月14日生まれ、66歳)は日本の男性タレント、俳優。本名、石田太郎(いしだ・たろう)。
東京都目黒区出身。血液型はA型。メロン所属。リクコーポレーション提携。
◆人物・生い立ち
1954年1月14日、NHKアナウンサー・石田武の長男として東京都目黒区で出生。祖父は中外商業新報(現・日本経済新聞)記者で、政治部長や参事などを努めた石田武太郎[1][2]。母親は女学校時代に原爆投下後の広島市に後片付けに入った入市被爆者[3][4]。4歳までアメリカ・ワシントンで育つ。東京都立青山高等学校を経て、早稲田大学商学部中退。
最初の妻となった女性は、作家で翻訳家・星川淳の妹の星川まり(いしだ壱成の実母)であり、1970年代に知り合って結婚[5]。1974年、純一が20歳の頃に長男・壱成が誕生した。役者をやりたい純一に対して父・武は「子どものために安定した仕事を見つけろ」と怒りを爆発させた[2]。
大学在学中、演出家となることを考えた石田は、演劇を学ぶためにアメリカに渡った。東洋哲学に傾倒しており、ヒッピー的な志向であったまりとは、このアメリカ滞在中に離婚。
帰国後の1978年には大学を中退、「演劇集団 円」の演劇研究所研究生となった。
◆3 度目の結婚、政治的言動
2009 年にプロゴルファーの東尾理子と交際している事を公表。同年9月に出演したテレビのトーク番組において、翌春に理子と結婚する事を発表した[9](実際には同年12月12日に結婚)。なお、理子の実父で元プロ野球選手の修は、石田とほぼ同年代で、この結婚によって石田より4歳(学年では3学年)だけ年上の義父となった。
結婚から3年後の2012年11月5日には、二人の間に男児・理汰郎[10]が誕生した[11]。
翌2013年には、理子夫人および理汰郎と共に同年度COTTON USAアワードを受賞している[12]。2015年8月31日には、理子夫人が第2子妊娠を報告し[13]、2016年3月24日に女児が誕生[14]。2017年11月7日、理子夫人が第3子妊娠を報告[15]。自身のコラムでは「手間がかかることもあって、僕は3人目に必ずしも積極的ではなかった」と語っている[16]。
2015年9月17日夜(第189回国会会期中)、国会議事堂前で行われた平和安全法制関連法案に対する抗議活動に参加し、かつての言葉「不倫は文化」に引っ掛け「戦争は文化ではありません。戦後70年間の誇るべき平和を80年、100年と続けていこう」と反対を訴えた[17]。また、集団的自衛権の必要性を否定し、個別的自衛権のみで十分であるとの考えも表明した[18]。
2016 年7 月7 日、舛添要一前東京都知事の辞職に伴う東京都知事選挙に「野党統一候補なら、出馬したい」と表明。
しかし、民進党の松原仁都連会長は「実務経験がある方が必要。都政は極めて大きな舞台なので、一定の経験がないと大きな船を操れない」と擁立を拒否した[19]。一方で、石田は出馬表明したことによる出演番組やCMなどの差し替えによる損害賠償が数千万円単位で発生していることを明かした[20]。7月11日、石田は会見を開き「正式に断念します。いろいろとお騒がせしました」と陳謝した[21]。
その後、所属事務所はCMなどのスポンサー契約やテレビのレギュラー番組がある限り、応援演説など、政治問題に携わることは難しいことを明かした[22]。
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