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  2021年の東京五輪への安直な血税投入は、許されない !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 4 月 21 日 15:57:55: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

 2021 年の東京五輪への安直な血税投入は、許されない !

    小池都知事のプロフィールの深層・真相は ?

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2020/04/19より抜粋・転載)
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1)〜11 )は前2 回投稿済みです。以下はその続きです。

12 )PCR検査を抑制したら、感染者が減るわけがない !

新型コロナウイルスの感染者が多数になれば、医療崩壊が起こることを理由とするが、安倍内閣のように、PCR検査を抑制したら感染者が減るわけではない。

検査を抑制すれば感染を確認されない感染者が感染を拡大させる可能性が圧倒的に高い。

検査を妨害して感染を確認できない感染者を放置するのか、

感染を確認して感染者に適切な対応を取るのか、という問題だ

問題をすり替えてはいけない。

13 )軽症感染者が、感染を拡大しないように対応するべきだ !

PCR検査を拡大して、軽症の感染者を特定し、軽症感染者が感染を拡大しないように対応することが求められている。

検査抑制は軽症感染者の感染を確認できない事態をもたらす。

病床が足りなくなるのを防ぐには、感染者を重症、中等症、軽症に分けるとともに重篤化しやすい患者を選別して対応するしかない。検査を拡充しても、病床数に応じた選別的対応を取れば、医療崩壊を防ぐことは可能になる。

14 )感染者を、すべて入院隔離する運用が、過ちの本質である !

感染者を、すべて入院隔離する運用が過ちの本質で、この運用を変えようとせずに、感染確認者数が増えたら、医療崩壊と主張するのは、頭が悪すぎる。

重症、中等症、軽症と、感染者を区別して、対応格差をつければよいだけである。

現にこれが始動している。

本ブログ・メルマガでは、初めからこれを提言している。

3月24日に東京五輪の延期が決定されるまで、安倍首相も小池知事も7月東京五輪開催強行論を唱えていた。

15 )安倍首相・小池都知事の7月東京五輪開催強行論は、誤りだった !

安倍首相・小池都知事による、この判断も誤りだった。

安倍首相達は、東京五輪を脇に置き、感染拡大阻止を最優先にして、対応すべきだった。

3月1日の東京マラソン強行、3月8日のびわ湖毎日マラソン、名古屋ウイメンズマラソン強行が誤りだったことを明確にすべきだ。

「一生懸命やっているのだから批判するな」は、権力に媚びる、茶坊主の発言である。

このような茶坊主を、日本のマスメディアの中心に、居座らせるべきではない。

16 )首相・知事等は、現実を冷静に見つめ、的確に判断するべきだ !

現実を冷静に見つめ、的確に判断することが為政者、リーダーに求められる。

有効なワクチンが開発されて全世界の人類に供給されなければ、早期感染収束の見通しが立たない。

日本のコロナウイルス死者が少ないと指摘する者がいるが、肺炎死亡者の多数がコロナウイルス死者である疑いが存在し、公表死者数の信ぴょう性は低い。

17 )検査が少ない日本では、公表感染者

    数が、実際の感染者のごく一部である !

公表感染者数が実際の感染者のごく一部であることは、軽症感染者には検査しない方針が明言されていることから明らかである。

検査が徐々に拡充されるに連れて、感染者数が急増することは、間違いない。

東京五輪を延期して、実施するには、巨額の血税が必要になる。

東京五輪を開催できる、可能性が低いなら、巨額の血税は、コロナ対策に充当するべきである。

本来、政権には、冷静な状況判断、適正な方針決定が求められるのである。

(参考資料)

   ○小池都知事のプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋)

小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952 年〈昭和27 年〉7月15日生まれ、67 歳 )は、日本の政治家[4]。東京都知事(第20代)。

アラビア語通訳者[5]、ニュースキャスター[5][6]を経て、1992年に政界へ転身した。

テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)[5]、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)、環境大臣(第5代・第6代・第7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)、防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)、自由民主党国際人材議員連盟会長、都民ファーストの会代表、希望の党代表(初代)などを歴任した。

◆履歴・生い立ち

兵庫県芦屋市生まれ。芦屋市立岩園小学校、甲南女子中学校を経て、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部、ソフトボール部、ESS部に所属。高校在学中、神戸市で貿易商を営んでいた実父の小池勇二郎が石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、1969年12月に実施された第32回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選している[7]。実母は赤穂(赤穂市)の塩田地主であった小川家の出身。

甲南女子高校卒業後に関西学院大学社会学部に入学するものの、父親の会社の都合で家族が東京都、六本木に引っ越す[7]。「国際連合の公用語にアラビア語が加わる[注釈 1]」旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を目指すことにし、1971年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。

“朝堂院大覚”こと松浦良右の資金援助で両親もカイロ市で日本食レストランを経営した[7]。カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修め、カイロ大学に移って1976年10月に卒業した[1][8]。エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたこともある[9][注釈 2]。

なお、自身の著書においてカイロ大学を「首席で卒業」としているが、真偽は定かでない[10]。ジャーナリストの山田敏弘がカイロ大学のアーデル・アミン・サーレ教授に取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレ教授は「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。

これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。相当に大変だったのではないか」と話していたという[11]。

◆政界入り、反自民勢力として

1992年の第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」[16]との理由で、前熊本県知事の細川護熙が結党した日本新党に、野田佳彦、前原誠司らとともに入党した。

細川とは、同年5月に「ワールドビジネスサテライト」に細川がゲスト出演した際が初対面であり、番組出演をきっかけに細川が参議院議員候補として小池に白羽の矢を立てたという[14]。当時の参議院比例区は拘束名簿式であったが、小池は党代表の細川に次ぐ2位に記載され、日本新党が比例区で4議席を獲得したため初当選した。

翌1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で鞍替え立候補し、旧兵庫2区(定数5)において日本社会党元委員長の土井たか子に次ぐ得票数2位で当選した。自由民主党は選挙前の党分裂により減少した議席数を回復できなかったのに対して、日本新党は躍進し、非自民非共産の連立による細川内閣が成立した。小池は総務政務次官に就任するが、連立政権は1年足らずで崩壊する。

1994年、日本新党を含む旧連立派各党を糾合した野党第一党となる新進党の結党に参加する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫6区(伊丹市、宝塚市、川西市)から出馬し、自民党の阪上善秀に競り勝ち再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近となり、1997年の新進党解党後は小沢率いる自由党に参加。

◆自民党との連立勢力から自民党入り

内閣総理大臣森喜朗らと共にロシア大統領ウラジーミル・プーチンと面会(2001年3月)

1999年、自民党と自由党の連立(自自連立)に伴う小渕第2次改造内閣の発足に際して経済企画政務次官となり、第1次森内閣まで務める。

2000年の自由党分裂に際して小沢と決別して連立与党に残留、保守党結党に参加した。同年の第42回衆議院議員総選挙では保守党公認に加えてコスタリカ方式を条件とする連立与党の推薦を受け当選(3選目)し、今回比例単独に回った自民党の阪上に次回選挙の選挙区出馬枠を譲ることとした。

2002年、民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に、党首の野田毅および月原茂皓と共に、保守党を離党し保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。党内派閥に関しては、野田と月原が近未来政治研究会に入会したのに対し、小池は清和政策研究会(当時は森派)に入会した。

◆東京都知事に就任、自民党を離党

東京都知事選で衆議院議員若狭勝とともに街頭演説(2016年7月、新宿駅東南口)

ファイル:Koikeyuriko-kitasenju-japan-may4-2017.webm

(ビデオ) 小池百合子(2017年5月4日)

2016年東京都知事選挙に立候補する意思を表明。当初は自民党東京都連に推薦を依頼したが、「東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として無所属での出馬を宣言して推薦を取り下げ[23]、自民党に進退伺を提出する。

自民党は小池を応援した者の処分などを通達したが[24]、選挙戦では前任の舛添要一や東京都議会の自民党会派の体質などを批判する。投票の結果、2位以下の候補を大きく引き離す291万2628票を獲得して当選し[25]、女性初[6]の東京都知事に就任した。

2016年9月20日、小池を支援する政治団体として『都民ファーストの会』が発足[26]。2017年1月23日には小池系の議員による地域政党となる[27]。6月1日、都民ファーストの会の代表に就任し、同日自民党に離党届を提出した[28](離党届は7月3日に受理[29])。


2017年東京都議会議員選挙においては小池が主催する政治塾『希望の塾』の塾生などを擁立し[30]、選挙の結果、都議会で小池系の勢力が過半数を占めた。都議選後、すぐに党の代表を辞任したため、選挙だけが目的の食い逃げと批判された[31]。

都知事就任後は、築地市場移転問題等の対応にあった。2017年10月には、舛添要一前東京都知事の下で選任された3名の東京都副知事を任期途中で解任し、猪熊純子ら2名を新たに副知事として選任した[32][33][34]。2019年には民間出身副知事として宮坂学を起用[35]。

 

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