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  俳優・宍戸錠さんが死去、86歳 !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2020 年 1 月 23 日 18:08:53: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 

 俳優・宍戸錠さんが死去、86歳 !

    宍戸錠さんのプロフィールとは ?

(www3.nhk.or.jp:2020年1月21日 18時55分より抜粋・転載)

「エースのジョー」という愛称で、人気を博し、数々の映画やドラマで、アクションスターなどとして活躍した、俳優の宍戸錠さんが、亡くなりました。86歳でした。

宍戸さんは、昭和8年、大阪で生まれ、日本大学芸術学部演劇科を中退したあと、昭和29年、日活ニューフェイスの、第一期生として、俳優になり、よくとし、映画「警察日記」の若い巡査役で本格的にデビューしました。

当初は二枚目俳優として、売り出していましたが、イメージを変えるため、みずから、ほおを膨らませる手術を受け、その後は、膨らんだほおが、トレードマークとなりました。

そして「渡り鳥」シリーズなど、数多くの映画で、主人公の敵役として出演し、「エースのジョー」の愛称で人気を博しました。

昭和36年には、主演をつとめた、「ろくでなし稼業」や「早撃ち野郎」などがヒットして、アクションスターとしての地位を、不動のものとし、500本近い映画に出演しました。

映画以外にも、NHKの大河ドラマ「武田信玄」や「葵・徳川三代」など、数々のテレビドラマに出演し、貫禄のある演技で、存在感を発揮してきました。

また、民放の料理番組のリポーターを務めたほか、バラエティー番組にも出演するなど、幅広い分野で活躍し、明るくて気さくなキャラクターで、人気を呼びました。

長男の宍戸開さんも俳優として活躍しています。

宍戸錠さんは86歳で亡くなりました。

◆渡哲也さん:「ご冥福をお祈りします」

昭和40年に宍戸錠さんとの共演で映画デビューした俳優の渡哲也さんは「日活の『あばれ騎士道』で錠さんの弟役としてデビューさせてもらいました。ご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。

◆吉永小百合さん:「高校の期末試験の時も…」

宍戸錠さんと長年交流があった、俳優の吉永小百合さんは、「日活でのデビュー作からご一緒させていただきました。高校の期末試験の時も『小百合、勉強教えてやるよ』と優しく声をかけてくださったことは、今でも忘れられません。本当にすてきな大先輩でした」とコメントしています。

◆北大路欣也さん:「感謝の気持ちでいっぱい」

宍戸錠さんが亡くなったことについて、昭和49年に映画「仁義なき戦い 完結篇」などで共演した俳優の北大路欣也さんは、「憧れの先輩と仕事をご一緒させていただいた喜び。そしてプライベートでは、野球チームを作って思いっきり楽しんだ思い出。忘れることができません。感謝の気持ちでいっぱいです」とコメントしました。

◆松原智恵子さん:「優しくて面倒見のいい先輩」

昭和36年の映画「紅の銃帯」で宍戸錠さんと共演した俳優の松原智恵子さんは「はじめての乗馬シーンで錠さんがいろいろ教えてくださったおかげで撮影がうまくいき、『ちーこ、凄いな馬に乗ってセリフが言えるなんて!』と褒められた事を思い出しました。とても優しくて面倒見のいい先輩でした。心からご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。

(参考資料)

    宍戸錠さんのプロフィールとは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

宍戸 錠(ししど・じょう、1933年12月6日生まれ。86歳。 2020年1月21日【死去判明日】[1][2])は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。郷^治は実弟、宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身[3][4]。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。

◆来歴

父親は現在の福島県伊達市の出身[3]。母親は神奈川県横浜市の出身[3]。関東大震災時に大阪に居を移し[3]、父は大阪の商社・アーサー・バルファーに勤めていたが[3]、工作機械を扱う会社を起業して独立し、満州事変の特需で250万円(1978年頃の貨幣価値で60億円)儲けた[3]。

この後、「錠」は大阪で出生[3]。「錠」という名前の由来は宍戸家が子沢山だったため、『この子を最後の子にしたい(子作りに錠前を掛ける)』という両親の思いがあったからだという(その後に実弟の郷^治が生まれることとなる)[5]。

家のあった桜宮は下請けの町工場と温泉マークがあっため、環境に悪いと3歳のとき[3]、5歳の時[4]、家族で東京滝野川へ移り住み、父は仕事を辞めその後は亡くなるまで定職に就かず、1300坪くらいの家を建て、一家は裕福な生活を送る[3][4]。

小学6年生の頃に東京大空襲で自宅が全焼し、跡地はドサクサに紛れた何者かに居座られ、奪われてしまう。遠い親戚を頼り宮城県斎川村(現在の白石市)に疎開[3]。当地に父が家を建て[3]、高校卒業まで当地で育つ。

勉強もスポーツもよく出来、高校ではバスケットボール部に所属。映画もよく見て、プロ野球選手か、実業団で野球をやるか俳優をやるか考え、1952年高校卒業後、早稲田で演劇をやろうと試験を受けたが落ち[3]、日本大学藝術学部に進む[3]。同期にケーシー高峰、砂塚秀夫、赤江瀑、嵐徳三郎ら[3]。

大学へ入学するが、2年のときに日活に合格したために中退[3]。

1954年、日活ニューフェイス(第1期生)として入所[3]。

1955年、『警察日記』での若い巡査役で銀幕デビュー。この頃は線の細い美青年だったが、1956年にトレードマークとなる豊頬手術を受ける。本人は「それはそれでいいんですが、一方ではもし整形しなかったら、もっとすごい俳優になれていたかもしれないっていう意識も常にあったんですよ」と述懐するが、これを機に「アクの強い役=悪役」への転向を見事に果たした。

豊頬の際に注入された異物(オルガノーゲン)は2001年に摘出手術で取り除いた(摘出までの過程はテレビ放送され、話題となった)。摘出手術に踏み切った理由を「理由の一つに、僕は70歳を前にして普通のジジイの顔になりたくてやっただけ」と語っていた[6]。

映画や創生期のテレビドラマ『事件記者[7]』などに出演。タフでハードボイルドな役柄で小林旭らとともに名を知られ、日活アクション映画の需要もあって、「エースのジョー」と呼ばれて親しまれた。

エースのジョーのニックネームは日活の宣伝部員によって名付けられ、これは宍戸が「ハリウッドの3流ギャング映画的な『殺し屋ジョー』でやりたい」というリクエストに応えたものだった[8](古くから海外ミステリーの熱心な愛読者でもあり、日活の路線も相まって、比較的趣味と近い部分で役柄やイメージを展開していた)。

映画の衰退と共にテレビへと活動の場を移し、テレビドラマの他に『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』に出演したり息子と『くいしん坊!万才』のレポーターを務めた。

2006年、息苦しさを感じ、心臓血管研究所付属病院での検査の結果、虚血性心不全と診断されて即入院。冠状動脈カテーテル・バルーン手術を受けた。2010 年4月16日、妻と死別した。

1966年には鈴木恂の設計で邸宅を建てるも[9]、2013年2月4日に全焼[10]、妻の死去後は独り暮らしで外出時の出火だった[11]。直後のホテル住まいを経て、翌月からは賃貸マンションで暮らしている。消防署の調べでは古い電熱器のコードが原因だと判明。本人は「しょうがない、今後の衣服はユニクロで我慢するか」と語っている[12]。

2020年1月21日未明に宍戸が東京都世田谷区にある自宅で倒れているのが発見され、警察や救急隊により死亡が確認されたことが明らかにされた[1][2]。86歳没。

◆映画への出演:

警察日記(1955年、日活)、銀座の女(1955年、日活)、おふくろ(1955年、日活)

女中ッ子(1955年、日活)、青空の仲間(1955年、日活)、月夜の傘(1955年、日活)

沙羅の花の峠(1955年、日活)、顔役(1955年、日活)、第8監房(1956年、日活)

朝やけ決戦場(1956年、日活)、神阪四郎の犯罪(1956年、日活)

色ざんげ(1956年、日活)、青春をわれらに(1956年、日活)

雑居家族(1956年、日活)、三橋美智也のおんな船頭唄(1956年、日活)

しあわせはどこに(1956年、日活)、感傷夫人(1956年、日活)

若いお巡りさん(1956年、日活)、牛乳屋フランキー(1956年、日活)

川上哲治物語 背番号16(1957年、日活)、「廓」より 無法一代(1957年、日活)

勝利者(1957年、日活)、反逆者(1957年、日活)、狂った関係(1957年、日活)

誘惑(1957年、日活)、裸女と拳銃(1957年、日活)、燃える肉体(1957年、日活)

乳房と銃弾(1958年、日活)、美しき不良少女(1958年、日活)

錆びたナイフ(1958年、日活)、場末のペット吹き(1958年、日活)

死の壁の脱出(1958年、日活)、踏みはずした春(1958年、日活)

裸身の聖女(1958年、日活)、船方さんよ(1958年、日活)、太陽をぶち落とせ(1958年、日活)

未練の波止場(1958年、日活)、影なき声(1958年、日活)

俺らは流しの人気者(1958年、日活)、危険な群像(1958年、日活)

雑踏に光る眼(1959年、日活)、今日に生きる(1959年、日活)

傷つける野獣(1959年、日活)、拳銃0号(1959年4月28日、日活)

東京の孤独(1959年、日活)、街が眠る時(1959年、日活)

非情な銃弾(1959年、日活)、事件記者(1959年、日活)、海の罠(1959年、日活)

0番街の狼(1959年、日活)、東京警部(1959年、日活)、銀座旋風児(1959年、日活)

渡り鳥シリーズ:ギターを持った渡り鳥(1959年、日活)、渡り鳥いつまた帰る(1960年、日活)

赤い夕陽の渡り鳥(1960年、日活)、大草原の渡り鳥(1960年、日活)

波濤を越える渡り鳥(1961年、日活)、銀座旋風児 黒幕は誰だ(1959年、日活)

昼下りの暴力(1959年、日活)、口笛が流れる港町(1960年、日活)

鉄火場の風(1960年、日活)、

拳銃無頼帖シリーズ:拳銃無頼帖 抜き射ちの竜(1960年、日活)

拳銃無頼帖 電光石火の男(1960年、日活)、拳銃無頼帖 不敵に笑う男(1960年、日活)

拳銃無頼帖 明日なき男(1960年、日活)、抜き射ちの竜 拳銃の歌(1964年、日活)

拳銃無頼帖 流れ者の群れ(1965年、日活)―以下省略ー


 

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