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安倍首相・人物への識者の見解・詳報は ?(下)
安倍晋三首相の歴史観と国家観を問う
(gendainoriron.jpより抜粋・転載)
「国家が自由と人権を担保する」はずがない
筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員 千本 秀樹
1.安倍首相の歴史観
2.アメリカと対等になりたい
3.「国家が自由と人権を担保する」
4.国家と社会は本来対立するもの
以上は前回投稿済みです。以下はその続きです。
5.「国のために死ぬのはいやだ」といえる日本
安倍首相は、就任直後は別として、靖国神社参拝を自粛しているようにみえる。しかし靖国神社にとって最も重要な春と秋の例大祭には欠かさず真榊を奉納するなど、最低の、というよりは基本的な義務を果たしている。
靖国神社について無知な小泉首相が、自民党総裁選で日本遺族会会長の橋本竜太郎に勝つために、戦術的に「8月15日靖国参拝」を公約に掲げ、一部右翼から「小泉首相の欺瞞的靖国参拝弾劾」と批判されたのと対照的に、右翼・安倍は靖国神社を知っている。
靖国神社は戦死者を追悼する神社ではないのに、小泉首相が「追悼のために」といった際、安倍晋三は来日中のインドネシアのユドヨノ大統領に「わが国のために戦い、命を落とした人たちにたいして、尊崇の念をあらわすとともに、その冥福を祈り、恒久平和を願うためです」(前掲書)と靖国神社の公式的な立場に立って説明したという。
当の小泉首相がそうはいっていないのに、勝手に訂正したのは越権行為であるが、靖国神社は追悼施設ではなく、「英霊」を顕彰、褒めたたえる施設である。安倍晋三はそれをさらにジャンプアップさせて、「尊崇の念をあらわす」といった。
靖国神社という存在も、8月15日に天皇夫妻と首相らが行なう「全国戦没者追悼式」も、天皇のために、国のために戦死した軍人らを顕彰・讃美するためのものである。靖国神社への首相参拝問題については、中国・韓国からの批判という外交関係は副次的な課題であって、本質は、今後も国民を戦争で死に追いやるために戦死者を賛美するという国内問題である。
ユドヨノ大統領は、「国のために戦った兵士のためにお参りするのは当然のことです」と理解を示したというが、これは、世界の趨勢である。安倍首相は、「英霊」を賛美することについて、各国の賛同を得ようとしている。
中国・韓国はもちろん、世界のほとんど、すべてかもしれないが、国のために死んだ者を顕彰している。中国・韓国は、靖国神社がA級戦犯を合祀していることを批判しているだけである。
日本人の特異性は、国のために死ぬことに対する忌避感を持っていることである。15年ほど前、わたしの授業で、日本人学生と留学生が討論したときに、日本人学生が「国のために死ぬのはいやだ」と発言すると、ベトナムと韓国の学生が「国のために死ぬのは当然でしょう」と反論した。
10年ほど前、NHKがBS放送で戦争体験を募集するお知らせで、「国のために死ねという国なら、要りません」という趣旨の男子高校生の発言を連日流していた。
現在は、少々変化しているかもしれない。9月の沖縄県知事選で反基地派の玉城デニ―候補が勝ったとき、ある女子大のわたしの大講義の感想文で、「若者は多くが佐喜眞候補を支持したのに、自分はアメリカ系だからわたしが交渉すると米軍基地はなくなる、と言うような馬鹿な玉城が当選したのは、老人が玉城に投票したから。
若者の未来を奪う老人は投票権を制限すべきだ」というのがあった。驚いた。そういう現代でも、まだ、「国のために死ぬのはいやだ」という若者のほうが多数派であるように思える。それは、単なる政治アパシーなのか、それとも憲法第9条の精神が死なずにいるのか。若者の多数が、「国のために死ぬのはいやだ」といえる日本は、世界でもまれな国であって、その精神を日本は世界に発信していくべきである。
6.教育のさらなる国家統制へ
安倍首相が危機感を強調するのは、日本の高校生が「国に対して誇りをもっている」と答える割合の少なさである。日本青少年研究所の2004年の調査によると、日本は50.9%、アメリカは70.9%、中国は79.4%ということである。
「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興は国家の任である。日本の高校生たちの回答は、わたしたちの国の教育、とりわけ義務教育に、大胆な構造改革が必要であることを示している」と安倍は書き、この本の出版の2カ月後に首相に就任、その3ヵ月後に教育基本法を改悪した。
「志」と「品格」の語義がわからない。わたしも志は持ちつづけているつもりである。品格と嘘はどのような関連があるのだろうか。教育が大事なら、教育予算をふやすべきだ。愛国心を育てるために、日本の「伝統・文化」理解教育が必要だとして、いまでは、全教科で「伝統・文化」理解教育が実施されている。しかし中身が伴っているとは思えない。
安倍首相の理解は、「ゆとり教育」の弊害で子どもたちの学力が落ちた(筆者は、ゆとり教育を主唱した某官僚の評価は別として、ゆとり教育の実施方法、その前に展望に欠けていたのであって、ゆとりそのものは悪くないと思うのだが)ことを回復するために、「ダメ教師には辞めていただく」、それ以上に重要なこととして、モラルを回復するためにボランティアを義務化すると提唱する。
ボランティアでモラルが回復できるとは、あまりに底が浅い発想だが、近い将来の大学入試改革で同じことが語られていることにはあきれるとしかいいようがない。
重大なことは、学校に対する統制の強化である。「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である。学力ばかりでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監査機関が評価する仕組みだ。問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」(前掲書)。
12年前に書かれたものであるが、当時は公立小中学校の民営化など、現実性があると思った者はいなかっただろう。
しかし国立大学が法人化、自由になるという触れ込みでいわば民営化されて十余年、文科省による統制、それ以上に経産省による誘導は強化され、さらには防衛省まで介入してきて、国家統制は強まった。義務制学校が民営化されれば、もはや文科省も不要となり、経産省主導の国家統制「民営」学校となりはてるであろう。近年の文科省の首相官邸への抵抗は、そこを生命線としているというのは、噂にすぎないのであろうか。
「明治維新と天皇制―3−」は次号掲載の予定です。
☆ちもと・ひでき:
1949 年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』
(共著・アドバンテージ・サーバー)など
(参考資料)
安倍総理と「傲慢症候群」=“権力中毒” !
香山リカ・精神科医・教授の主張 !
(webronza.asahi.com:2015年07月25日より抜粋・転載)
◆組織や社会を「死に至らしめる病」、
一刻も早く“権力中毒”から覚めよ !
香山(かやま)リカ: 精神科医、立教大学現代心理学部教授。
傲慢症候群|安倍政権|権力中毒
◆「安倍総理と傲慢症候群」=“権力中毒” !
今回は、さらに一歩、踏み込んで「安倍総理と傲慢症候群」について語ってみたいと思う。
安倍総理は、5月の衆院平和安全法制特別委員会での審議で、質問していた民主党の辻元清美議員に「早く質問しろよ!」とヤジを飛ばした(後に民主党が抗議したため、総理は陳謝)。また2月の衆院予算委員会では、旧大蔵省出身の民主党議員の質問の最中、「日教組どうすんだ!日教組!」と繰り返しヤジを飛ばし、委員長からたしなめられる一幕もあった。
ヤジは国会につきものではあるが、現役総理とは思えないほど品位もなく、傲慢無礼な態度だと言える。 これは、安倍総理のもともとの性格ゆえなのだろうか。どうもそうではないようだ。
私は、安倍総理は「傲慢症候群」と名付けられた一種の“権力中毒”に陥っているのではないか、と考えている。
◆安倍首相が陥った、「傲慢症候群」とは ?
ここで、「傲慢症候群とは何か」について改めて説明しておこう。
簡単に言えば、これは「権力の座にある者に起きる特有の人格の変化」だ。一般のパーソナリティ障害が人生の早期からその特徴が見られる半ば生得的なものであるのに対し、傲慢症候群が発生するのは、あくまで権力を手にした後である。
この概念を生み出したデービッド・オーエン氏も、自著の論文に「獲得された(後天的な)パーソナリティ障害なのか?」という副題をつけている(Owen D. Hubris syndrome: An acquired personality disorder?.Brain 2009;132)。
だとしたら、ほかのパーソナリティ障害に比べてこの傲慢症候群は軽症と言えるのだろうか。
そうとは言えない。この症候群にかかるのは権力者であるがゆえに、その影響は甚大なのだ。
◆傲慢症候群の特徴 !
@自己陶酔の傾向があり、「この世は基本的に権力をふるって栄達をめざす劇場だ」と思うことがある。
A何かするときは、まずは自分がよく映るようにしたい。
Bイメージや外見がかなり気になる。
C偉大な指導者のような態度をとることがある。話しているうちに気がたかぶり、我を失うこともある。
D自分のことを「国」や「組織」と重ねあわせるようになり、考えや利害もおなじだと思ってしまう。
E自分のことを王様のように「わたしたち」と気取って言ったり、自分を大きく見せるため「彼は」「彼女は」などと三人称をつかったりする。
F自分の判断には大きすぎる自信があるが、ほかの人の助言や批判は見下すことがある。
G自分の能力を過信する。「私には無限に近い力があるのではないか」とも思う。
H「私の可否を問うのは、同僚や世論などのありふれたものではない。審判するのは歴史か神だ」と思う。
I「いずれ私の正しさは歴史か神が判断してくれる」と信じている。
J現実感覚を失い、ひきこもりがちになることがある。
Kせわしなく、むこうみずで衝動的である。
L大きなビジョンに気をとられがち。「私がやろうとしていることは道義的に正しいので、実用性やコスト、結果についてさほど検討する必要はない」と思うことがある。
M政策や計画を進めるとき、基本動作をないがしろにしたり、詳細に注意を払わなかったりするので、ミスや失敗を招いてしまう。
たしかにこのような人といっしょに仕事をするのは、部下や秘書としては愉快なことではないだろう。
しかし、問題はそれだけではない。傲慢症候群のリーダーを仰ぐ側の人々にとって最も重要なのは、上記の特徴のLやMだ。
彼らはあまりにひとりよがりな成功物語にとらわれて現実を見失い、細部に目が行かなくなるため、結局、その統治は、破綻に終わるのである。
これが「意見を聞かない人」の精神構造だ。
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