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プロ野球ニュ−ス:イチローが現役引退を表明 !イチロー選手のプロフィール等は ?
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投稿者 青木吉太郎 日時 2019 年 3 月 23 日 21:53:22: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


 プロ野球ニュ−ス:イチローが現役引退を表明 ! (会見詳細)

 イチロー選手のプロフィール等は ?

(www3.nhk.or.jp :2019年3月22日 1時32分より抜粋・転載)

大リーグ マリナーズ、45歳のイチロー選手が、記者会見し、「きょうのゲームを最後に、現役生活に終止符を打ち、引退することになりました」と述べました。

◆引退決めたのはキャンプ終盤

イチロー選手は引退を決めた時期について「キャンプ終盤だった。もともと日本の試合でプレーするところまでが契約上の予定だったがキャンプ終盤でも結果を出せず、それを覆すことができなかった」と述べました。

◆「自分なりに頑張ってきたとはっきり言える」

イチロー選手は引退の記者会見で思い残したことはないか問われたのに対し、「もちろんもっとできたことはあると思うが、結果を残すために人より頑張ったとは言えないが、自分なりに頑張ってきたとはっきり言える」と述べました。

◆「シーズン最後の日々 誰にもできないかも」

またイチロー選手は、印象に残っていることを問われると、「このあと時間がたったら、きょうが真っ先に浮かぶことは間違いない。いろいろな記録に立ち向かってきたが、そういうものはたいしたことではない。記録はいずれ誰かが抜いていくと思うが、去年の5月からシーズン最後の日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない。そのことが、どの記録よりも自分の中ではほんの少しだけ、誇りを持てたことかなと思う」と述べました。

◆「力以上の評価は苦しかった」

イチロー選手は、現役生活で貫いたものは何かを問われ「野球のことを愛したことだと思う。これは変わることはなかった」と述べました。

さらに野球を楽しいと感じたことがあったかを聞かれ、「子どものころからプロになることが夢で、それがかなって、最初の2年、1軍に行ったり2軍に行ったり、そういう状態でやっているのは楽しかった。その後、力以上の評価をされるのは苦しかった。もちろんやりがいや達成感はたくさんあったが、楽しいと言われるのは違う。将来は楽しい野球をやりたい」と述べました。

◆「死んでもいいというのはこういう時かと」

イチロー選手は日本で迎えた大リーグの開幕シリーズについて、「すごく疲れました。僕にも感情あるんですよ。結果残して最後迎えたらいいなと。ヒットを打ちたかったし、期待に応えたい。当然ですよね。結果を残して最後を迎えたらいちばんいいと思っていたが、それがかなわなかったですね。それでもあんな風に球場に残ってくれて、そうしないですけど、死んでもいいというのは、死なないですけど、そういう表現をするのはこういう時なのかなと思います」と述べました。

◆「ことばにして表現 目標に近づく1つの方法」

またイチロー選手は「最低50歳までと思っていたし、それはかなわなかったので、有言不実行の男になってしまったが、その表現をしていなかったら、ここまでできなかったと思う。ことばにして表現することは目標に近づく1つの方法だと思う」と振り返っていました。

◆「監督は絶対無理だと思う」

イチロー選手は、今後の活動について聞かれると、「何になるのだろう。監督は絶対無理だと思う」と笑顔も見せながら話しました。

◆引退は「マリナーズ以外に行く気持ちがなかった」

イチロー選手は「首になるんじゃないかという気持ちはいつもあった。ニューヨークに行ってから毎日。マイアミもそうだった」と明らかにしたうえで、今回、引退を決意した理由を問われると、「マリナーズ以外に行く気持ちがなかったのは大きい。去年、シアトルに戻していただいて本当にうれしかった。去年、キャンプが始まる前やそのあと5月のタイミングでもおかしくなかったが、この春に向けてまだ可能性があると伝えられていた」と引退をめぐる時期について述べました。

◆アメリカのファン「認めてもらうとすごく近くなる」

イチロー選手はアメリカのファンについて「最初は厳しかった。大リーグ1年目の2001年のキャンプでは、『日本に帰れ』としょっちゅう言われた。ただことばではなく、行動で示した時の敬意の示し方は迫力がある。

認めてもらった後はすごく近くなる印象で、がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとは僕の勝手な印象だがそれができた。ニューヨークは厳しいところだった。ただやれば、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。マイアミはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないが、結果を残さなかったら人が来てくれない。それぞれに特徴があっておもしろかったし、アメリカは広いな」と印象を振り返りました。

◆妻と愛犬に感謝

イチロー選手は、妻の弓子さんについて「いちばん頑張ってくれたと思う。試合前に妻が握ったおにぎりを食べるが、その数が2800個くらい。3000個握りたかったみたいなので、握らせてあげたかったなと思う。妻にはゆっくりしてほしい」と述べました。

また愛犬の一弓についても触れ、「ことしで18歳、さすがにおじいちゃんになってきたけれど懸命に生きている。その姿を見ていたら、自分も頑張らなければと本当に思った。2001年に生まれて2002年にわが家に来たが、現役を終えるまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、大変感慨深い。妻と一弓には感謝の思いしかない」と述べたあと、涙をこらえるような表情も見せました。

◆「雄星ちゃんとやれよという思い」「翔平世界一の選手に」

イチロー選手は、菊池雄星投手と大谷翔平選手という大リーグの後輩に向けての質問に、「雄星のデビューの日に僕は引退を迎えたというのはなんか、いいなと思っていて、ちゃんとやれよっていう思い。短い時間だったが、すごくいい子だと思った。翔平は、けがを治して、あの大きな体で機敏な動きができるのはいないので、世界一の選手にならないといけない」とエールを送っていました。

◆「やりたいと思うからやる」

イチロー選手は、プロになる夢をかなえ、成功して何を得たかという問いかけについては、「どこからが成功でそうじゃないのか、僕には判断できない。成功という言葉は僕は嫌い」としたうえで、「メジャーリーグに挑戦する、新しい世界に挑戦するのは大変な勇気だと思う。ここはあえて成功と表現するが、成功すると思うからやるとか、それができないと思うから行かないという判断基準では後悔を生む。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思うからやればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はない。基本的にはやりたいと思ったことに向かって行きたい」と語りました。

◆最後に…

そしてイチロー選手は、最後に、「アメリカに来て、メジャーに来て、外国人になったことで、人のことをおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れた。これは体験しないと自分の中からは生まれない。孤独を感じて苦しんだことは多々あったが、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思う。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然だが、エネルギーのある、元気な時にそれに立ち向かっていく。人として重要なことなのではないかと感じている」と話し、1時間20分余りに及んだ引退会見を締めくくりました。

(参考資料)

○イチロー選手のプロフィール

(www.sanspo.comより抜粋・転載)

ふりがな:すずき・いちろう→イチロー

守備位置:外野手

出身地:愛知県西春日井郡豊山町に生まれる。

生年月日:1973 年10月22日生

身長:180cm、体重:71kg、血液型:B型

投打:右投左打、ドラフト:91年4位、甲子園:90夏、91春

出身校:愛工大名電高

○チーム遍歴

1992-2000 オリックス・ブルーウェーブ

2001-2012.07 シアトル・マリナーズ

2012.07-2014 ニューヨーク・ヤンキース

2015-2017 マイアミ・マーリンズ

2018-2019.03 シアトル・マリナーズ

主なタイトル(日本)

最優秀選手:1994、1995、1996

首位打者:1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000

打点王 :1995、盗塁王:1995、最多安打:1994、1995、1996、1997、1998

最高出塁率:1994、1995、1996、1999、2000

ベストナイン:1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000

ゴールデングラブ賞:1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000

正力賞:1994、1995、

主なタイトル(メジャー)

新人王:2001、最優秀選手:2001、首位打者:2001、2004、盗塁王:2001

最多安打:2001、2004、2006、2007、2008、2009、2010

シルバースラッガー賞:2001、2007、2009

ゴールドグラブ賞:2001、2002、2003、2004、2005、2006、2007、2008、2009、2010

○軌跡

年月日 :   年齢: 詳細

1973.10.22 0 愛知県西春日井郡豊山町に生まれる。

1981 7 豊山スポーツ少年団野球部で野球をスタート

1989.04 15 愛工大名電高等学校に入学

1991.03.29 17 3 年時、センバツに「3番・投手」として出場するも、1 回戦で松商学園に敗れる。打者としての成績は5打数無安打

1991.11.22 18 オリックス・ブルーウェーブにドラフト4位で外野手として入団

1992.07.12 18 ダイエー戦でプロ初安打

1993.06.12 19 近鉄戦で、野茂英雄からプロ初本塁打

1994 20 仰木監督のもと、登録名を「鈴木一朗」から「イチロー」へ変更。「1番・右翼」でレギュラーに定着

―以下省略―

 

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