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12 月9 日・西郷どん:西南戦争 ! あらすじは ?
幕末維新革命の深層・真相は ?
(www.nhk.or.jp:2018年12月9日より抜粋・転載)
○あらすじ:
「政府に尋問の筋これあり」。50年ぶりの雪の中、西郷(鈴木亮平)は、私学校の生徒たちと共に政府の真意を問いただすため東京へ向けて進軍する。西郷が立ったことに、衝撃を受けた大久保(瑛太)たちは、直ちに征討令を発する。賊軍となった西郷たちは、戦う覚悟を決めるが、激しい戦闘の中、小兵衛(上川周作)は戦死、菊次郎(今井悠貴)は、足を銃弾で撃ち抜かれ、次第に劣勢となる。敗戦が色濃くなる中、西郷は、軍の解散を宣言する。
西郷どんの目線:ついに、西郷軍は、東京へ向けて出立しました。なるべく戦を起こさず、平和的に東京へたどり着くことを願っているものの、実際、そうはいきません。
鹿児島を発(た)ってすぐ、「賊軍」とみなされるという、一番痛い手を打ってくる所……さすがは一蔵どんです。
中途半端な情けをかけず、のど元に、刀を突きつけるような手段を講じるとは、さすが日本のトップにふさわしい男だと誇らしい気持ちがありました。
ここまで来れば、西郷さんの目的は、ひとつです。共に立った彼らに、侍として、最後まで生きさせてあげたいということ。納得するまで戦うことで、「最後の侍」として、日本のために、使命をまっとうさせてあげたいと思いました。
第46回の西郷さんには、おそらく主体性はないんです。演じながらふと、西郷さんは、ずっと彼らが言ってほしい言葉をかけているんじゃないかと思いました。
○西郷夫婦の心境:
西郷隆盛の妻として「家を守る」という戦いをしてきた糸が、戦場に乗り込んでいくシーンでは、ふとお龍さんを思い出しました。
「お互い難儀な男にほれたもんやな」というお龍さんの言葉が、改めて心にしみます。
「旦那さぁが西郷隆盛じゃなかったら、どんなによかったか」——この言葉を口にすると、リハーサルの時から涙が出てしかたがありませんでした。これは糸の心からの言葉であり、糸の最後のわがままだったと思うんです。とはいえ、西郷隆盛だからこそ糸は惚れたと思うので、精一杯の愛の言葉でもあると思います。
旦那さぁを見ていると、これまでの努力や背負ってきたものを、感じてしまうからこそ、胸がぎゅうっと苦しくなりました。西郷隆盛の妻として、自分はちゃんと務めを果たせていたのかという自問、旦那さぁへの感謝、もう二度と会えなくなるかもしれない恐怖……いろんな感情が、ない交ぜになりました。
「ちごっ……旦那さぁは、こげなお人じゃあいもはん !」ずっと、その答えを探す道のりでした。
黒木華さん:
第1回の冒頭、上野の西郷隆盛像の前で、「うちの旦那さぁは、こげな人じゃなか」と叫んだ時から、糸を演じることは、その答えを、探していくような時間でした。自分の中に湧いてきた仮説が、だんだん確信に変わっていって、最終回では、明確なセリフとして、答えが語られる……。糸と共にたどり着いた「答え」を、ぜひ楽しみにしていただきたいです。
年を重ねてからの夫婦の空気感、私は、すごく好きでした。お互いに、存在を認め合って、たたずんでいると言いますか。決して夫婦の時間は、多くなかったですし、いつも傍にいたわけじゃないのに、心がつながっているという関係性が、ふたりらしくてすてきでした。
「そげん桜島が、噴火したような、ひったまがった顔をせんでくいやんせ」と吉之助さぁに言って、失恋したころが懐かしいですね。キラキラ輝くガラスのビー玉みたいな恋から、しっとり落ち着いた大人の恋愛まで、経験させてもらいました。亮平さんと作った夫婦の時間が、いとおしいです。
私にとって、この「西郷どん」の現場に来ることは、亮平さんの様子を定期チェックしに帰ってくる、感覚でした。ちょっと疲れているのかな、何か悩んでそうだな、今日は元気そうだな、とずーっと見ていましたよ(笑)。役とシンクロして、西郷隆盛になっていく過程を、そばで目撃させていただきました。
(参考資料)
幕末維新革命の真相は ?
(欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は、徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。 その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐(南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
※孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、
山縣、大久保の日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
☆幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
☆孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは明治維新を推進した岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保たちに暗殺され、或は裏切られた悲しい存在であったという事実である。
☆天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇にすり替え、歴史を捏造 !
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の
大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。
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