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沖縄県:旧日本軍の不発弾処理が終了 !
9 日、午後5 時5 分に交通規制を解除 !
第二次大戦末期・沖縄戦・安倍政治の深層・真相とは ?
(ryukyushimpo.jp:2018年12月9日 17:14より抜粋・転載)
琉球新報:
那覇市宇栄原3丁目で発見された、不発弾の安全化処理作業が、12 月9 日午後5時3分に終了した。
これに伴い、9 日午前10時から約7時間にわたって、立ち入り禁止となっていた、現場から半径300メートル以内の交通規制は、午後5時5分に解除された。
安全化処理をした不発弾は、旧日本軍製20センチ砲弾1発であった。陸上自衛隊の不発弾処理隊が、午前10時24分に処理を開始し、現場に構築した、安全壕の中で、午後3時3分ごろに、爆破処理を実施した上で、安全化処理をした。
作業中は、現場の半径300メートル以内の一般家庭、約千世帯(約2500人)や約70事業所が、避難対象となった。作業中は、県道62号の一部など、対象区域周辺の道路が、午前10時から通行止めとなっていた。一部で路線バスの経路変更もあった。
※不発弾は、沖縄県に2500 トン以上あるとも言われている。
【琉球新報電子版】
(参考資料)
T 第二次大戦末期・沖縄戦とは何か、 深く知るためのQ&A
(www.asahi.com:2017 年6月23日00時00分より抜粋・転載)
朝日デジタル・木村司:
沖縄はきょう、72 年目の「慰霊の日」を迎えました。沖縄戦による日米両軍と民間人らを合わせた死者は約20万人。この日に組織的戦闘が終結したとされ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとも言われます。現地で何があったのか、知っていますか。(朝日新聞が発行する中高生向けの教育特集「知る沖縄戦」から引用したQ&Aです) ◇
Q1、なぜ沖縄が戦場になったの?
みんなのお父さんやお母さんが生まれるずっと前、日本は米国やイギリスと戦争をしたんだ。太平洋戦争だ。太平洋の島々を奪った米国は、次に沖縄を占領して日本本土を攻めるための基地、つまり前進基地(ぜんしんきち)として使おうと考えた。これに対し日本は、日本本土に攻め込まれたら困ると考えて、沖縄になるべく米軍をひきとめて時間をかせぐ「持久戦(じきゅうせん)」の作戦をたてた。
Q2、「沖縄戦」ってどういうものなの?
沖縄で最初の大きな被害は1944年10月の「10・10空襲(くうしゅう)」だ。死者は軍人と民間人あわせて668人とされる。45年になって、航空機で軍艦(ぐんかん)に体当たりする日本軍の「特攻(とっこう)」攻撃も始まった。特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれている。
米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間(けらま)諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。このころから約3カ月にわたる戦いを一般に、沖縄戦と呼んでいる。
沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で、米軍に占領された。日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。しかし、追い詰められて、首里(しゅり)城地下にあった司令部を捨て、日本軍は本島南部へしりぞく。大きな戦いはその後約1カ月間続いた。
Q3、住民は巻き込まれなかったの?
戦争はふつう、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦うものだが、沖縄戦は、10代前半の子どもも含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。軍人も、武器をもたない住民も、まぜこぜになったまま地上戦がつづいた。
日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われていったんだ。こうしたことで、沖縄戦では、軍人よりも住民の命が多く失われたといわれる。かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、サハリン、満州などでも地上戦があったけど、いまの日本で、そんな体験をしたのは沖縄だけだ。
沖縄戦の教訓(きょうくん)として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。日本兵に命を助けられた人はもちろんいる。でも、日本兵に命を脅かされたり、スパイとみなされ、実際に命を奪われたりした人たちがたくさんいる。
Q4、地上戦ってなに?
太平洋戦争の間、日本本土では、飛行機から爆弾を落とされる空襲で大変な思いをした人がたくさんいる。
一方、沖縄には米軍が上陸し、住民が暮らしていた場所で、米軍と日本軍が戦った。空からの攻撃にくわえ、陸からは銃(じゅう)や大砲(たいほう)、火炎放射器(かえんほうしゃき)で襲われ、海からは艦砲射撃(かんぽうしゃげき)で狙われた。
爆弾が大嵐のように降り注いだことから「鉄の暴風」とも言われる。米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場とよんだんだ。
地下に日本軍の司令部があった首里城も跡形もなくなった。
地形も変わってしまったくらいなんだ。
とくに多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部の喜屋武(きゃん)半島では、1カ月間に約680万発、住民1人あたり50発ほどが撃ち込まれたともいわれているよ。
Q5、どれくらいの人が戦ったの ?
米軍はおよそ55万人、日本軍はおよそ10万人。武器の量や性能をあわせた戦力の差は、米国が日本の10倍以上だったそうだ。
そのうえ、日本軍の10万人のうち、2万数千人は、沖縄にいる一定の年齢の男子を急きょ兵隊として集めてつくられた「防衛隊(ぼうえいたい)」や「義勇隊(ぎゆうたい)」、いまの中学生や高校生くらいの生徒たちでつくる「学徒隊(がくとたい)」だったんだ。
防衛隊の年齢は17歳から45歳というけれど、実際にはもっと幼い子どもや高齢の人もいたといわれる。軍隊の訓練も受けず、武器もないまま戦いに参加させられることもあった。
学徒隊では「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)」が代表例だ。
Q6、いったい何人が亡くなったの?
米国側は、1万2520人。日本側は、その15倍、18万8136人が亡くなったとみられている。
このうち沖縄県出身以外の日本兵は、6万5908人。沖縄県出身の軍人・軍属(ぐんぞく)(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は、2万8228人。一般の住民は、9万4千人。
沖縄県民全体では、12万2千人以上、県民の4人に1人が、亡くなったといわれている。
ただ、いずれも推計した数字だ。戸籍も焼けてしまって、亡くなった人の数は、はっきりわかっていない。
家族全員が死んでしまった家も、たくさんある。名前もわからなくて、戦没者の名前を刻んだ、「平和の礎(いしじ)」に、○○さんの「長男」とだけ、彫られている人さえいる。子どもだった人のなかには、両親が亡くなって、自分の生年月日も、名前さえわからない人もいるんだよ。
米軍の砲弾や銃弾を受けただけでなく、自ら命を絶つ「自決(じけつ)」で、亡くなった人や、餓死や栄養失調、マラリアで、死亡した人もたくさんいる。沖縄から疎開(そかい)(避難(ひなん))したのに、亡くなった人もいる。
沖縄戦前年の1944年8月、九州へ向かっていた船「対馬丸」が米軍に攻撃されて、多くの児童が海で溺れて亡くなったんだ。
Q7、自決って?
自らのことを自分の意思で決めるという意味もあるけど、軍人が自ら命を絶つ、つまり自殺することを「自決」といったんだ。
当時の日本軍には「戦陣訓(せんじんくん)」という教えがあって、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」、つまり捕虜(ほりょ)になるくらいなら死を選べ、という考えが大切にされていた。
沖縄の日本軍のトップ、牛島満(うしじまみつる)司令官は、本島南部においつめられて「自決」している。大けがを負って洞窟内に寝かされたたくさんの軍人に、毒が入った飲み物が配られて死に追いやられたことを「集団自決」ということもある。
一方で、住民の「集団自決」もあった。米軍の激しい攻撃が続くなかで、家族や近所の人たちが壕の中や森でまとまって命を絶つといったことが、慶良間諸島や伊江(いえ)島、沖縄本島各地で起きたんだ。
「集団死」と呼ばれることもある。日本軍は、住民も、役所も、兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死(ぐんかんみんきょうせいきょうし)」という指導方針をとって、住民が米軍に投降(とうこう)することもゆるさなかった。そうしたことが背景にあったんだ。
―以下省略―
U 第二次大戦末期と1952年、日本政府は、
二度にわたって、沖縄を切り棄てた !
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/10/10より抜粋・転載)
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◆菅官房長官の弔辞について、「うそつき」、
「帰れ」などの怒声が、沸き上がった !
政府を代表して、菅義偉官房長官が、安倍首相の弔辞を代読したが、代読が終了する場面から、参列した沖縄県民から、菅官房長官への怒声がこだました。
菅氏は、「基地負担の軽減に向けて、一つ一つ確実に、結果を出していく決意だ。
県民の気持ちに、寄り添いながら、沖縄の振興・発展に全力を尽くす」と弔辞を読み上げたが、この言葉に対して、会場から、「うそつき」、「帰れ」などの怒声が、沸き上がった。
沖縄県民は、2014年の前回知事選を含めて、辺野古米軍基地建設反対の意思を、繰り返し表明してきた。地方自治の本旨に照らし、沖縄県民の同意なき、米軍基地建設強行は、許されない。
普天間飛行場の閉鎖が、その危険性から求められるのは、当然のことだが、これと、辺野古での新たな米軍基地建設を、リンクさせることが、間違っている。
◆普天間飛行場の閉鎖と辺野古米軍基地建設を
リンクさせる事が間違っている !
極東の政治情勢が急変し、米軍の再編が、進行する。
そして、何よりも、そもそも、米軍の日本駐留そのものが、問題なのである。
日本が、敗戦を受け入れた、ポツダム宣言、そして、日本の主権回復をもたらした、サンフランシスコ講和条約には、日本の独立回復後の外国軍隊撤退が、明記されている。
この規定に反する状況が、永続している。
1952年の日本の主権回復の際に、日本政府は、沖縄を切り棄てた。
◆日本国土の1 %未満の沖縄に、在日米軍基地建設
の74 %を集中させている !
いまなお、日本に存在する、米軍施設の7割が、面積比0.6%の沖縄県に、集中している。
そして、日本政府が、建設を強行している、辺野古の海は、ジュゴンが生息する、かけがえのない自然資源を擁する、「美ら海」なのだ。
菅官房長官は、沖縄の主権者が繰り返し、辺野古米軍基地建設反対の意思を、明示しているにもかかわらず、辺野古が、唯一の解決策と、木で鼻をくくった、言い回しを続けてきた。
◆自民党・自公政権は、沖縄の人々の心に
寄り添う姿勢など、皆無であり続けている !
沖縄の人々の心に寄り添う姿勢など、皆無であり続けている。
沖縄県知事選では、三度も沖縄に入り、政府の予算権限を背景に、安倍政権は、札束で、沖縄の人々の頬を叩きつける、利益誘導選挙を、全面展開した。
玉城氏に対する、不正な虚偽情報流布にも、菅官房長官が、関与しているとの説も、浮上している。
その菅官房長官が、翁長氏の葬儀に出席して、「県民の気持ちに寄り添う」と読み上げたのだから、県民から「うそつき」の怒声が、発せられても、当然のことだと、言わざるを得ない。
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