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日本から切り捨てられた沖縄は、土地が強制収容され、島全体が基地化された !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 10 月 02 日 21:17:08: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


日本から切り捨てられた沖縄は、土地が強制収容され、島全体が基地化された !

  米国に占領された、沖縄戦の深層・真相は ?

(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/09/30より抜粋・転載)
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1)台風24号が襲来した沖縄で、県知事選が投票日になった !

台風24号が襲来した沖縄で、県知事選が投票日を迎えた。

台風による影響を避けるために、多数の主権者が、期日前投票を行った。

沖縄県選挙管理委員会は、9月14日から29日までの16日間の知事選期日前投票者数が、40万6984人であることを発表した。期日前投票数が過去最高だった、2014年の前回知事選における、19万7325人の約2.1倍になった。

9月12日現在の選挙人名簿登録者数は、115万8569人で、期日前投票数は、35.1%に相当する。3分の1以上の主権者が、期日前投票を行ったことになる。

台風は、9月30日には、沖縄地方を通過しており、9月30日午後には、投票に重大な問題が生じない地域が、多数を占めると考えられる。

2)選挙で勝利するには、最後まで、力を尽くすことが重要だ !

選挙で勝利するには、最後の最後まで、力を尽くすことが重要で、本日の投票締め切り時刻まで、力を抜かない対応が、求められている。

沖縄の未来を左右する重要な選挙であり、同時に、日本の今後の政治にも、重大な影響を与える可能性が高い選挙だ。安倍政権の姑息な利益誘導に左右されずに、的確な判断を示して欲しいと思う。

台風を理由に、投票を繰り上げた、市町村がある。

天気予報を十分に精査すれば、9月30日には、台風が沖縄県地方を通過していることは、事前に予測できた。

3)台風接近による、投票日の繰り上げは、「選挙妨害」の行為である !

投票日の繰り上げは、「選挙妨害」の行為であり、繰り上げ投票を決定した、判断の正当性が問われることになる。台風24号に次いで、台風25号が発生した。

NOAA(アメリカ海洋大気庁)は、早い段階から、台風25号が、日本列島に接近するとの予測を示してきた。

ECMWF(欧州中期予想センター)は、台風25号が、台湾から中国方向に進む、との予測を示しており、現時点では、台風の進路予想が、二つに割れているが、台風25号が、台風24号に近い進路を辿り、日本列島に影響を与える、可能性が残されており、今後の進路情報に、十分な警戒が求められる。沖縄県の人々にとって、何よりも重要なことは、まずは、日々の暮らしであるだろう。

これは沖縄県に限ることでない。

4)最も大事なことは、政治が、国民・県民の

     日々の暮らしに対して、どう対応するかだ !

人々にとって、何よりも大事なことは、政治が自分たちの日々の暮らしに対して、どう対応するのかである。そして、沖縄にはもうひとつ、基地という問題がある。

第二次大戦で、沖縄は、日本政府、日本軍によって、捨て石にされた。

日本軍は、本土決戦への時間かせぎのために、沖縄を切り棄てた。

第二次大戦・沖縄戦では、20万人もの人命が、犠牲になった。

戦後、日本は、1952年に独立を回復するが、この独立に際して、沖縄を含む南西諸島は、切り棄てられた。沖縄の犠牲の上に、日本は、独立を回復したのである。

5)日本から切り捨てられた沖縄は、土地が強制収容され、

    島全体が基地化された !

日本から切り棄てられた、沖縄では、銃剣とブルドーザーによって、土地が強制収容され、島全体が基地化された。沖縄の日本への復帰後も、沖縄の基地負担は、軽減されていない。

いまなお、日本全体にある米軍施設の、70%超が、沖縄県に集中している。

この沖縄に、日本の費用負担で、新しい基地が建設されようとしている。

沖縄の最大の資源は、「自然観光資源」である、と言ってよいだろう。

その自然観光資源を破壊する、美しい沿岸地帯を破壊する、辺野古基地建設工事が強行されている。

東アジアの地政学が変化し、米軍の編成が、抜本的な変化を示すなかで、沖縄に、新たな海兵隊基地を建造する必要性は、消滅している。―この続きは次回投稿します―

(参考資料)

  沖縄戦とは何か、深く知るためのQ&A

(www.asahi.com:2017年6月23日00時00分より抜粋・転載)

朝日デジタル・木村司:

 沖縄はきょう、72年目の「慰霊の日」を迎えました。沖縄戦による日米両軍と民間人らを合わせた死者は約20万人。この日に組織的戦闘が終結したとされ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとも言われます。現地で何があったのか、知っていますか。
(朝日新聞が発行する中高生向けの教育特集「知る沖縄戦」から引用したQ&Aです)     ◇

Q1、なぜ沖縄が戦場になったの?

 みんなのお父さんやお母さんが生まれるずっと前、日本は米国やイギリスと戦争をしたんだ。太平洋戦争だ。太平洋の島々を奪った米国は、次に沖縄を占領して日本本土を攻めるための基地、つまり前進基地(ぜんしんきち)として使おうと考えた。

これに対し日本は、日本本土に攻め込まれたら困ると考えて、沖縄になるべく米軍をひきとめて時間をかせぐ「持久戦(じきゅうせん)」の作戦をたてた。

Q2、「沖縄戦」ってどういうものなの?

 沖縄で最初の大きな被害は1944年10月の「10・10空襲(くうしゅう)」だ。死者は軍人と民間人あわせて668人とされる。45年になって、航空機で軍艦(ぐんかん)に体当たりする日本軍の「特攻(とっこう)」攻撃も始まった。特攻による死者は数カ月間に約2500人ともいわれている。

 米軍は45年3月末、空襲や海上の軍艦からの砲撃につづき、慶良間(けらま)諸島に上陸。4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸した。このころから約3カ月にわたる戦いを一般に、沖縄戦と呼んでいる。

 沖縄本島の上陸地から本島北部にかけては約2週間で、米軍に占領された。日本軍がおもに待ち構えていた本島中部では、約40日間にわたって激しい戦いがあった。しかし、追い詰められて、首里(しゅり)城地下にあった司令部を捨て、日本軍は本島南部へしりぞく。大きな戦いはその後約1カ月間続いた。

Q3、住民は巻き込まれなかったの?

 戦争はふつう、軍隊と軍隊、軍人と軍人が戦うものだが、沖縄戦は、10代前半の子どもも含む住民が、足りない軍人の代わりや手伝いをさせられたりした。

軍人も、武器をもたない住民も、まぜこぜになったまま地上戦がつづいた。日本軍が南部に追い詰められてからは特に、米軍の無差別な攻撃に、軍人も、住民も次々と命を奪われていったんだ。

こうしたことで、沖縄戦では、軍人よりも住民の命が多く失われたといわれる。かつて日本が統治していたサイパンやテニアン、サハリン、満州などでも地上戦があったけど、いまの日本で、そんな体験をしたのは沖縄だけだ。

 沖縄戦の教訓(きょうくん)として「軍隊は住民を守らなかった」と語りつがれている。日本兵に命を助けられた人はもちろんいる。でも、日本兵に命を脅かされたり、スパイとみなされ、実際に命を奪われたりした人たちがたくさんいる。

Q4、地上戦ってなに?

 太平洋戦争の間、日本本土では、飛行機から爆弾を落とされる空襲で大変な思いをした人がたくさんいる。一方、沖縄には米軍が上陸し、住民が暮らしていた場所で、米軍と日本軍が戦った。

空からの攻撃にくわえ、陸からは銃(じゅう)や大砲(たいほう)、火炎放射器(かえんほうしゃき)で襲われ、海からは艦砲射撃(かんぽうしゃげき)で狙われた。爆弾が大嵐のように降り注いだことから「鉄の暴風」とも言われる。米軍は「ありったけの地獄をあつめた」戦場とよんだんだ。

 地下に日本軍の司令部があった首里城も跡形もなくなった。地形も変わってしまったくらいなんだ。

とくに多くの住民が犠牲になった沖縄本島南部の喜屋武(きゃん)半島では、1カ月間に約680万発、住民1人あたり50発ほどが撃ち込まれたともいわれているよ。

Q5、どれくらいの人が戦ったの ?

 米軍はおよそ55万人、日本軍はおよそ10万人。武器の量や性能をあわせた戦力の差は、米国が日本の10倍以上だったそうだ。

そのうえ、日本軍の10万人のうち、2万数千人は、沖縄にいる一定の年齢の男子を急きょ兵隊として集めてつくられた「防衛隊(ぼうえいたい)」や「義勇隊(ぎゆうたい)」、いまの中学生や高校生くらいの生徒たちでつくる「学徒隊(がくとたい)」だったんだ。

 防衛隊の年齢は17歳から45歳というけれど、実際にはもっと幼い子どもや高齢の人もいたといわれる。軍隊の訓練も受けず、武器もないまま戦いに参加させられることもあった。学徒隊では「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)」が代表例だ。

Q6、いったい何人が亡くなったの?

 米国側は1万2520人。日本側はその15倍、18万8136人が亡くなったとみられている。

このうち沖縄県出身以外の日本兵は6万5908人。沖縄県出身の軍人・軍属(ぐんぞく)(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は2万8228人。

一般の住民は9万4千人。沖縄県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。

 ただ、いずれも推計した数字だ。戸籍も焼けてしまって、亡くなった人の数ははっきりわかっていない。家族全員が死んでしまった家もたくさんある。

名前もわからなくて戦没者の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」に、○○さんの「長男」とだけ彫られている人さえいる。子どもだった人のなかには、両親が亡くなって自分の生年月日も、名前さえわからない人もいるんだよ。

 米軍の砲弾や銃弾を受けただけでなく、自ら命を絶つ「自決(じけつ)」で亡くなった人や、餓死や栄養失調、マラリアで死亡した人もたくさんいる。
沖縄から疎開(そかい)(避難(ひなん))したのに亡くなった人もいる。沖縄戦前年の1944年8月、九州へ向かっていた船「対馬丸」が米軍に攻撃されて、多くの児童が海で溺れて亡くなったんだ。

Q7、自決って?

 自らのことを自分の意思で決めるという意味もあるけど、軍人が自ら命を絶つ、つまり自殺することを「自決」といったんだ。
当時の日本軍には「戦陣訓(せんじんくん)」という教えがあって、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」、つまり捕虜(ほりょ)になるくらいなら死を選べ、という考えが大切にされていた。

沖縄の日本軍のトップ、牛島満(うしじまみつる)司令官は、本島南部においつめられて「自決」している。大けがを負って洞窟内に寝かされたたくさんの軍人に、毒が入った飲み物が配られて死に追いやられたことを「集団自決」ということもある。

 一方で、住民の「集団自決」もあった。米軍の激しい攻撃が続くなかで、家族や近所の人たちが壕の中や森でまとまって命を絶つといったことが、慶良間諸島や伊江(いえ)島、沖縄本島各地で起きたんだ。

「集団死」と呼ばれることもある。日本軍は、住民も、役所も、兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死(ぐんかんみんきょうせいきょうし)」という指導方針をとって、住民が米軍に投降(とうこう)することもゆるさなかった。そうしたことが背景にあったんだ。

―以下省略―

 

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