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日本政治の刷新が進まない最大の理由は、
国民と野党の見識と改革精神が薄い事だ !
民主党悪徳10人衆の大罪と自民党・自公体制の真相は ?
(「植草一秀の『知られざる真実』」:2018/07/04より抜粋・転載)
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1)日本政治の刷新が進まない最大の理由は、
国民と野党の見識と改革精神が薄い事である !
日本政治の刷新が進まない最大の理由は、主権者が政治刷新の中核的プロセスを既成政党に委ねてしまっていることにあるのだと思う。もっとも重大な責任を負っているのが、野党第一党である。
かつては、社会党が野党第一党だった。それが、民主党に代わり、民進党になった。
自民党が、長期政権を維持するなかで、社会党は、万年野党第一党だった。
2)自民党と社会党は、テーブルの下で、
手を握っているという図式も存在した !
自民党と社会党は、表面では対立したが、テーブルの下で、手を握っているという図式も存在したと見られている。「野党第一党」というのは、居心地の良いポジションなのだろう。
55年体制と呼ばれたが、自民党が政権を担い続ける一方、社会党は、野党第一党の地位を占め続けた。時代が変わり、社会党に代わって、民主党、民進党が野党第一党の地位に着いた。
より正確に言えば、2009年に、民主党(鳩山代表の時)が政権を奪取したが、その民主党を基軸とする政権が、崩壊して、民主党が与党のポジションから、野党のポジションに移行したのである。
3)隠れ自民党が混在した、民進党は、崩壊へ
の道をまっしぐらに進んできた !
この民主党=民進党が、再度政権を奪取することが、求められたのだが、国民の期待に応えることはできず、民進党は、崩壊への道をまっしぐらに進んできた。
このなかで、「安倍政治を許さない !」と考える主権者が、多数に達しているにもかかわらず、政治刷新、政権刷新の展望が、開けぬ状況が続いている。
諸悪の根源は、(隠れ自民党議員が混在している)旧民主党、旧民進党にある。
4)改革の公約に賛成した国民の投票で、2009年に
鳩山民主党政権が成立した !
2009年に、主権者が自らの選択で、政権を刷新するという偉業が成し遂げられた。
主権者が自らの選択で、金字塔が打ち立てられたのである。
しかし、2010年に発足した、菅直人政権が、すべてを壊してしまった。
菅直人政権は、政権交代の基本理念を、全面的に覆してしまったのである。
2009年に樹立された、鳩山由紀夫政権は、日本政治の基本構造(自民党・自公政権体制)の刷新を目指した。米国が支配する日本、官僚が支配する日本、大資本が支配する日本を主権者が自ら支配する日本に変えようとしたのである。
5)鳩山改革政権は、既得権者である、米・官・業
の総攻撃、猛攻撃を受けた !
だからこそ、鳩山政権は、既得権者である、米・官・業の総攻撃、猛攻撃を受けた。
この状況を目の当たりにした、菅直人氏は、政権の基本路線を、元の米官業支配の構造に戻してしまった。ここから日本政治は暗転し、2012年12月の第2次安倍内閣発足とともに、暗黒時代へと突入してしまった。日本暗転を主導したのは、民主党内に潜んでいた「隠れ与党勢力」であった。
この流れを汲む旧民進党が、いまなお、野党再編の中心部分に居座っている。
―この続きは次回投稿します―
(参考資料)
T 政治改革を破壊した民主党悪徳10人衆の大罪と自民党・自公体制の真相 !
「植草一秀の『知られざる真実』」:2014/12/25より抜粋・転載)
1)既得権益勢力は、改革阻止の「政治謀略事件」断行 !
民主党の海江田万里氏が総選挙で落選し、民主党代表を辞任した。
民主党は、年明けに新しい代表を選出する。しかし、この党に対する主権者の期待は冷め切っている。2009年に政権交代を実現し、日本政治が変革するとの期待が日本中に広がった。
このとき、最大の警戒をもって状況を見つめたのが、日本の既得権益である。
日本の既得権益とは、米国・官僚・大資本のトライアングルだ。
別名は、ハゲタカ・シロアリ・ハイエナである。
攻撃の対象とされたのは、小沢一郎氏と鳩山由紀夫氏だった。
小沢一郎氏に対しては、西松事件、陸山会事件という、戦後最悪の「政治謀略事件」が捏造された。鳩山由紀夫氏に対しては、
個人献金をめぐるスキャンダルが掘り起こされ、徹底的な「人物破壊工作」を展開された。
2)「隠れ既得権益派」が普天間問題で、 鳩山首相に違背 !
そして、もうひとつ見落とせないことは、政権交代の最大の功労者である、小沢氏と鳩山氏が人為的に分断されたことだ。
鳩山政権は、沖縄の普天間移設問題で、トラップ(ワナ)にかけられた。
鳩山首相が、普天間問題で追い落とされる原因を創作したのは、民主党内の「隠れ既得権益派勢力」だった。
具体的には、沖縄基地問題を担当した、岡田克也外相、前原誠司沖縄担当相、北澤俊美防衛相の三名が、鳩山首相に対して忠誠を誓わず、横田政府=米国の僕(しもべ)として動いたのである。
このために、鳩山首相が追求した、普天間基地の県外・国外移設方針が座礁した。
3)悪徳民主党議員が「政治謀略事件」渦中の小沢氏を攻撃 !
そして、もうひとつ、2009年の政権交代が破壊された最大の理由のひとつは、小沢一郎氏が謀略によって、「人物破壊」されたことだ。2009年3月3日に勃発した、西松事件で、小沢一郎氏は不当な追及を受けた。
民主党は一致結束して、検察による小沢民主党攻撃に立ち向かう必要があったが、民主党の一部の人間は後ろから小沢一郎氏に対して弾を撃ったのである。その悪徳民主党議員が、岡田克也、前原誠司、玄葉光一郎、枝野幸男、安住淳などのメンバーである。
4)公約破棄の消費税増税提示で民主党への信頼失墜 !
そして、政権交代を実現した民主党の存立基盤が完全に粉砕される原因になったのが、公約破棄の消費税増税方針提示だった。
この背徳の政策運営が、民主党に対する期待を絶望と怒りに変えた。
その戦犯が、渡部恒三、藤井裕久、仙谷由人、菅直人、岡田克也、野田佳彦、前原誠司、枝野幸男、安住淳、玄葉光一郎の悪徳10人衆である。
民主党は、「シロアリを退治して天下り機関を排して天下りを根絶する。そこから始めなければ、消費税を上げるのはおかしい」ことを公約に掲げて、2009年総選挙に臨んだ。
5)シロアリを退治なき、消費税増税提示で信頼失墜 !
その民主党が、シロアリを退治しないまま、消費税増税に突き進んだのである。
だから、民主党は、主権者から見放された。
民主党を破壊した戦犯が、民主党代表選に出馬するのだという。要するに、権力亡者なのだ。
権力亡者をトップに据えて、民主党が一刻も早くに消滅することを念願する。
6)菅・野田首相は、財務省に屈服し、消費税増税推進 !
日本政治を破壊した、民主党悪徳10人衆は、民主党解体とともに消滅してもらいたいと思う。
民主と維新の一部、生活、社民などが連携して、「主権者の党」を創設するべきだ。
民主党がいまだに、この負の遺産を引きずっているために、日本政治の未来が開けないのだ。
直接的に最大の汚点を残したのは、民主党が財務省の軍門に下ったことだ。
その主犯は、菅直人氏と野田佳彦氏だ、裏から誘導したのは、藤井裕久氏である。
菅直人氏も野田佳彦氏も、私の主張の影響を受けたのだと思う。
7)悪徳10人衆は、自分の出世、名誉欲、権力欲だけ !
二人とも、何よりも優先したことは、自分の出世、名誉欲、権力欲である。
財務省から、「消費税増税推進と引き換えに、首相ポスト獲得への全面協力」のオファーを受けて、いともたやすく、変節を遂げたのであると思われる。
この変節が日本政治を破壊したのである。
U 村山政権・自社さ連立政権の深層・真相は ?
(ウイキペディアより抜粋・転載)
自社さ連立政権(じしゃされんりつせいけん)は、1994年(平成6年)6月30日から1998年(平成10年)6月までの自由民主党・日本社会党(1996年1月19日以降は社会民主党)・新党さきがけによる連立政権。
1996年10月までは自由連合も閣外協力しており、1995年8月8日から1996年1月11日までの間は代表のコ田虎雄が沖縄開発庁政務次官として政権入りしていた。
○背景:1994年4月25日、8党派連立の細川内閣が倒れ、新生党の羽田内閣が成立した。しかし、新生党との折り合いの悪い与党第一党だった日本社会党は連立を離脱し、また、新党さきがけも閣外協力として政権と距離を置いた。
政権は少数与党となり、事実上の予算管理内閣となった。安定政権への要望、野党に安んじられない自由民主党等の状況の中、武村正義、竹下登、野中広務などが水面下で動き、社会党を首班とし、自民党とさきがけが参加する大連立政権が構想されていった。
自民党は、社会党の8党派連立政権離脱直後から、前幹事長の梶山静六を中心とした「参謀本部」のもとで、佐藤孝行、野中広務、亀井静香、与謝野馨、白川勝彦らが水面下で社会党工作を開始。
また自民党は自社連立政権樹立後の政権運営を想定して、村山首相を誕生させるための自社有志による勉強会を開き、「リベラル政権を創る会」と「憲法問題研究会」というふたつのグループを作った。
ここでの政策研究が自社さ連立の政権政策の基礎となるとともに、首班指名選挙における村山首班側の基礎票となった[1]。
同年6月30日、羽田内閣の総辞職に伴い、社会党委員長の村山富市が内閣総理大臣に就任し村山内閣が発足した。
○概要:社会党とさきがけの「社さ政権構想」に自民党が加わる形で「自社さ共同政権構想」が制作され、自社さ連立政権が成立した。社会党とさきがけ及び自民党を竹下登が主導する政権構想であった。
イデオロギーで長年対立関係にあった衆議院第1党自民党と衆議院第2党の社会党が連立を組んだため大連立に近い野合政権であり、第二次竹下内閣のような政権であった。
また、別の見方をすれば、1993年の第40回衆議院議員総選挙で公示前より議席を増やすも過半数を割った自民党と、歴史的大敗に至った社会党が、敗者同士で手を結び、離党者や新党を押しのけて政権を奪った野合政権ともいえる。
後者の背景には小沢一郎への反感があり、既存政党に愛想を尽かして無党派が爆発的に増え、無党派の支持を受けて東京都知事に青島幸男が、大阪府知事に横山ノックが当選した。
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