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西郷隆盛の墓地で大久保利通の法要「待った」 ! 反発受け名称変更 !
自公政治家・NHK等が隠蔽・誤魔化す、幕末・明治の深層・真相は ?
(www.asahi.com:2018年5/5(土) 7:21配信より抜粋・転載)
朝日新聞デジタル:西郷の墓地で大久保の法要「待った」 反発受け名称変更 !
明治維新の立役者である、薩摩藩の大久保利通の没後140年の法要を、西郷隆盛が眠る、鹿児島市の墓地で催そうとした、有志のグループが反発を受け、法要の名称などを変更していたことがわかった。
西郷と幼なじみだが、西南戦争で、西郷を敗死させた、大久保への風当たりは、今も強い。
法要は、西南戦争の戦没者を、政府軍、薩摩軍問わず追悼するものとして、6日に開催される。大久保と西郷は、同じ鹿児島・加治屋町の出身である。
徳川幕府を倒し、明治維新を成し遂げた2人だが、新政府の政策をめぐって対立した。1877年に、薩軍を率いて、反乱を起こした西郷を、鎮圧した、大久保の人気は、西郷に比べるといま一つだ。
明治維新150周年の今年は、西南戦争の翌年に、東京で暗殺された、大久保の没後140年にもあたる。
そこで、西郷らが葬られている、鹿児島市の南洲墓地に、昨年9月、政府軍と薩軍を一緒に弔う慰霊塔を建立した、有志の団体「西南之役官軍薩軍恩讐(おんしゅう)を越えての会」が、大久保の命日である、今月14日に近い6日に、「大久保利通公没140年法楽」を、慰霊塔前で催そうと計画した。
同会の会長は、NHKの大河ドラマ「西郷どん」で、時代考証を担当している、鹿児島県立図書館の原口泉館長が務めている。
◆敬天愛人フォーラム21:大久保は、西郷を
死地に追いやった人物と反発した !
しかし、東京・上野の西郷像の清掃や、西郷の研究活動などに取り組む、市民グループ「敬天愛人フォーラム21」(東京)が、「大久保は、西郷を死地に追いやった人物」と反発。南洲墓地での大久保の法要を取りやめるよう求めた。
内弘志・代表世話役は「大久保は南洲墓地に葬られているわけでもない。賊軍の汚名を着たまま眠る人々や遺族の思いを考えてほしい」と話す。
同会事務局を務める、鹿児島市の大雄山南泉院の宮下亮善住職は、「法要は、大久保だけのためでなく、官軍側、薩軍側の分け隔てなく、平等に供養したいだけ」とするが、反発を受けて、法要の名称を、「西南之役官軍薩軍恩讐を越えての法要」に変更。
予定していた原口会長の講演のタイトルも「明治維新と大久保甲東」から「大河ドラマの中の西郷と大久保」に変えた。
原口会長は「対立を深めるようなことは好ましくないと判断した」と話した。
南洲墓地での法要には、西郷の子孫らを含めて110人ほどが出席する予定という。(町田正聡)
(参考資料)
T 幕末維新革命の真相は ? (欧州財閥による日本支配が実態)
サッスーン財閥(ロスチャイルド巨大財閥の子分)の代理人としてグラバーが登場します。
この長崎に来た武器商人トーマス・グラバーは、日本を支配するためには、武家政権が最大の障害であり、武士の支配の総元は徳川幕府だと認識します。
徳川幕府の統治を完全に転覆しないと日本は自分たち英国・巨大財閥のものにならない。
そこに、嘉永6、7年(1853〜54)、アメリカの「ペリー艦隊」が来て、無理に日本を開国させ、欧米列強が日本に入り込みます。
グラバーは、日本の武家の政治を転覆するためにいろいろな「策謀」を巡らします。
ところが、孝明天皇は、朝廷と武家と一体になり、日本全国民が一致して西洋の不当な侵略、日本支配に対抗して、日本を守らなければならないという「公武合体策」を唱えます。
そして、孝明天皇の妹宮である和宮が、14代徳川家茂(1846〜66)将軍に嫁ぎます。
これでは埒が明かないというので、グラバーは、薩摩と長州に内訌して、薩長の軍隊と徳川の軍隊を全面的な内戦に持ち込んで、日本を中国のようにバラバラに解体する「植民地支配」を目論んだのです。
その最大の障害が、尊皇攘夷主義者・孝明天皇だったわけです。
そして、慶応2年12月25日(西暦では1867年1月)に「孝明天皇弑逆事件」が起こりました(「弑逆(しいぎゃく)」とは、臣下が主君を殺す大悪のこと)。
翌、慶応3年(1867年)1月9日には睦仁親王が践祚(天皇の位を受け継ぐこと)し、さらに、慶応4年(1868)8月27日に即位式をあげ「明治」と改元されました。
ところが、この睦仁天皇も16歳くらいでしたが、言うことを聞かなかったのです。
英国の手先・薩長になびかず、徳川幕府と朝廷が一致して、日本を守るという、孝明天皇の政策を改めなかったのです。
そこで、睦仁天皇も邪魔だということで「弑逆」されて、行方がまったくわからなくなったのです。
・・・・ 大室寅之祐(南朝系子孫と勤皇派は主張)という名前の人物を「睦仁にすり替えて」詐称しているからです。
日本国民が、「孝明天皇弑逆事件」の真相を明らかにして、それ以降の日本には、歴史的正統性が存在しないということを、明確に日本人が認識する・・・ということが必要ではないかと思うわけです。
*孝明天皇弑逆説:山陰基央、徳富蘇峰、山岡荘八、鹿島昇、大田龍、鬼塚英昭、加治将一
なお、明治初期・中期、京都の公家、有力市民の多くは、孝明天皇弑逆を知っていた。
U“ 裏切られた、三人の天皇”―明治維新の謎
(soejima.to/boards/sirogane:副島隆彦より抜粋・転載)
鹿島 昇(かしま のぼる))”の、まえがき部分、におきます、引用、甚大紹介、です。(2004年、10月、20日、午後、10時、40分、ocr、+、打ち、の、ログ!)) 投稿者:・白金 幸紀(しろがね ゆうき))会員番号 1738番 投稿日:2004/10/23(Sat) 18:47:08
☆英国・巨大財閥の奴隷・岩倉具視や木戸、伊藤、
山縣、大久保の日本乗っ取りを明治維新として捏造 !
いまだこの話を著者にしていないが、そんな時私は儀幸にも本書の原稿を読む機会を与えられた。
著者(鹿島 昇)は私と同職の弁護土なので職業柄、論理と論証を尊ぶ。といってもそれは決して三百代言的な詭弁ではない。
著者は、かつて早大研究室で、刑法の研鑽を積み、研究者として未来を嘱望されただけあって、およそ歴史学に、聖域もタブーも認めず、ただひたすら真実のみを追及する。
それだけならば、どうということもないのだが、さらに著者は、稀に見る独創的な洞察力の人である。
この著者の特性は、かつて、檀君朝鮮北倭論を展開するにあたって、見事に結実し、私の目の鱗がストンと落ちたものであったが、本書を一読して、著者のそのような資質が、本書においても、遺憾なく発揮されていることを知った。
☆幕末・明治時代の「官学合同の偽史シンジケート」
維新以降の「官学合同の偽史シンジケート」によってすでに常識となっている明治維新とその聖なる天皇の像が、著者の真実に迫らんとするあくなき洞察力によって粉微塵に破壌され、しかもその論理と論証によって次々に展開する新史観はことごとく首肯せざるをえない説得力を持つ。
☆孝明天皇、その子睦仁、大室寅之祐の明治天皇の謎
本書のなかで著者が展開する史観は、三人の天皇、すなわち孝明天皇、その子睦仁、及び実は大室寅之祐の明治天皇は、或いは明治維新を推進した岩倉具視や木戸、伊藤、山縣、大久保たちに暗殺され、或は裏切られた悲しい存在であったという事実である。
☆天皇親子を暗殺、身代わりを明治天皇にすり替え、歴史を捏造
まず孝明天皇は、長州藩の忍者部隊によって暗殺され、その子陸仁も即位後直ちに毒殺された。そして、睦仁の身代わりになった明治天皇は実は南朝の末孫という長州力上隊の
大室寅之祐であり、孝明天皇の子ではなかったというのである。
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