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田中角栄元首相:生誕100年、記念式典 !
自民党体制・ロッキード事件の深層・真相は ?
(news.nifty.com :2018年05月04日 13時09分より抜粋・転載)
TBS:田中角栄元首相 生誕100年、記念式典 !
田中角栄元総理、5月4日に生誕100年を迎えました。
ふるさとの新潟県柏崎市で開かれた式典には、長女の田中真紀子(元文部科学大臣)さんらが出席し、生誕100年を祝いました。
「ハッピーバースデーディア・・・お父さん。ハッピーバースデートゥユー」(角栄氏の長女 田中真紀子氏)
ちょうど100年前、1918年5月4日に生まれた、田中角栄元総理は、地方に光を当てる、列島改造論を進めたほか、中国との国交正常化にも力を尽くしました。
出席者は、在りし日の姿に思いをはせていました。(04日11:45)
○田中角栄(たなか かくえい、1918年(大正7年)5月4日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、日本の政治家、建築士。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)等を歴任した。
◆首相在任時の田中角栄
1972年(昭和47年)
9月 - 日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。北京で周恩来首相や毛沢東共産党主席と会談。9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化[43]が実現し、日華平和条約の終了を確認。この際、田中は周恩来から一枚の色紙を渡され喜んでいる写真が新聞に掲載された。色紙の言葉は「言必信行必果」と書かれてあった。しかし、この言葉は論語から引用したもので、この言葉のあとに「硜硜然小人哉」と続く。この記事を見て安岡正篤は、この言葉の真の意味も知らないで喜んでいる田中を見て、田中の教養のなさと中華人民共和国のしたたかさを周りの人にと指摘したと言われる。諸橋轍次『中国古典名言事典』(講談社刊)では、「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやりとげる。それは士として持つべき資質だ。しかしながら、もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい」と訳されている[44][45][46][47]。同日、中華民国が対日国交断絶を発表[48]。
12月 - 第33回総選挙。自由民主党は過半数確保も議席減、日本共産党が躍進[49]。12月22日、第2次田中内閣発足で挙党一致体制へ。
1973年(昭和48年) - 地価や物価の急上昇が社会問題化。
5月 - 小選挙区制導入(小選挙区比例代表並立制)を提案。野党と世論の猛反発を浴びて撤回に追い込まれた(カクマンダーと称された)。
8月 - 金大中事件発生。東西冷戦下において当時の朴正煕政権を支持するとの立場から、韓国側の一方的な政治決着を受け入れた[50]。
9月 - 西ヨーロッパ訪問。
10月 - ソビエト連邦訪問[51]。日ソ共同宣言時の鳩山一郎以来であり、ブレジネフソ連共産党書記長との会談において、「両国間にある未解決の問題の中に北方四島の問題が含まれる」ということを確認する日ソ共同声明を発表したが、領土問題についてはそれ以上の成果はなかった。一方、経済協力についてはシベリア開発などでの進展が見られた。
10月16日 - 第四次中東戦争から第一次オイルショックが発生。中東政策をイスラエル支持からアラブ諸国支持に転換するとともに中東地域以外からのエネルギーの直接確保に努めた[52]。
11月 - 内閣改造。福田赳夫が大蔵大臣就任。需要抑制・省エネルギー政策へ転換し、電源開発促進税法等電源3法を成立させ柏崎刈羽原子力発電所への補助金へ充てる。
1974年(昭和49年)
1月 - 東南アジア訪問。インドネシアの首都ジャカルタで反日デモ(マラリ事件)に遭遇する[53]。
7月 - 第10回参議院選挙。ヘリコプターをチャーターし、栃木県を除く46都道府県に訪れて演説等の選挙活動を行うが、議席は伸び悩み、参議院は伯仲国会になる。三木武夫や福田赳夫が閣外へ去る[54]。
9月 - メキシコ訪問。日本メキシコ学院の設立のための援助資金を持ち、エチェベリア大統領(当時)との会談の結果、「両国民の相互理解のために画期的な重要性を有するものであって、早期建設を支援する」旨の共同声明を発表。
10月 - 月刊誌『文藝春秋』(1974年11月号)が、立花隆「田中角栄研究」、児玉隆也「淋しき越山会の女王」を掲載し田中金脈問題を追及、首相退陣の引き金となる[41][55][56][57]。
11月 - 日本外国特派員協会における外国人記者との会見や国会で金脈問題の追及を受け[57][58]、第2次内閣改造後に総辞職を表明。フォード大統領(当時)が来日して会談。現職アメリカ合衆国大統領の訪日は初めて。
12月9日 - 内閣総辞職。椎名裁定により三木内閣発足[59]。
首相在職通算日数は886日。」
(参考資料)
政治謀略のロッキード事件、米国に狙われた田中角栄 !
12月30日、新潟テレビ21で昭和偉人伝・田中角栄の放送があった。田中真紀子が、父が「米国にやられた」と言っていたと一言だけ放送された。
「ロッキード事件」の真相は、悪徳ペンタゴンの一味である、大マスコミは報道しない。その真相の一部を投稿します。
(るいネット:猛獣王S ( 30代 営業 )2007/07/29より抜粋・転載)
アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争
アメリカCIAにより、仕組まれた「ロッキード事件」〜
田中角栄の賄賂だけを欧米のマスコミに騒がせるよう工作 !
『暴かれた「闇の支配者」の正体』(ベンジャミン・フルフォード著)151018より、「ロッキード事件」について抜粋します。
1)仕組まれたロッキード事件
1976年に発覚したロッキード事件も、アメリカが、「田中角栄潰し」のために仕組んだ陰謀である可能性が高い。ロッキード社は、全日空の旅客機に自社の「トライスター」を導入させるため、合計30億円のカネを日本政界工作に使ったといわれている。
そのうち5値円を総理大臣だった田中が受け取ったとされ、田中は収賄容疑、外為法違反容疑などで逮捕された。
なぜ、ロッキードが仕組まれた事件であるのか。ここにもまた、岸の盟友である右翼の大物・児玉誉士夫が介在する。ロッキードからのカネは、日本におけるその代理人であった児玉を通して分配されていた。児玉は「コンサルタント料」として個人で21億円のカネを受け取っていたといわれている。つまり、30億円のほとんどは児玉個人に渡っているのだ。ところが、捜査やマスコミの関心は、田中に流れた5億円ばかりに集中し、児玉が受け取ったカネについては、まったく解明が進まなかった。
2)ロッキード社の狙いは自衛隊機、児玉・中曽根等へ賄賂 !
実は、ロッキード社の狙いは旅客機ではなく、軍用機のほうにあったといわれている。ロッキードの日本側代理人である児玉は、岸や自民党の人物たちに働きかけ、ロッキードの戦闘機F−104を自衛隊機に選定させるよう工作を行なっていたのだ。
また、ロッキード社のP3C対潜哨戒機導入という大問題もある。当時の防衛庁長官だった中曽根康弘、官房副長官たった故・後藤田正晴などをはじめとする有力な自民党議員のほとんどすべてが、P3C導入をめぐって、「賄賂」をもらっていたといわれている。 つまり、事件の本丸は民間機ではなくて軍用機なのである。自衛隊がロッキード社の軍用機を採用すれば、動くカネは旅客機と比較にならないほど大きい。
3)“親米の砦”を守り、自主独立派の田中角栄を潰す謀略実行 !
「日中国交回復」「独自のエネルギー政策」の田中角栄を排除 !
検察や国会は、軍用機ルートのほうに力を入れて捜査、真相究明をするべきだった。ところがそれでは、自民党政権自体が無茶苦茶に壊れてしまう。そこで、わざと田中の賄賂だけを取り上げ、欧米のマスコミに騒がせるよう、CIAが工作したのである。そうしなければ。“親米の砦”を失ってしまうからだ。
田中は、「日中国交回復」や、「独自のエネルギー政策」を提唱するなど、明らかにアメリカから距離をおく自主外交路線を選択していた。アメリカにとってそれは非常に気に食わないことでもあった。だから、この機に乗じて、田中だけを潰そうという狙いもあったのではないかといわれている。それが田中の5億円だけを取り上げて、児玉に流れた、30億円の大半について解明がまったく進まない理由の一つである。
4)米国隷属・官僚従属の政治家は、見逃されて生き延びる !
よくよく考えてみれば、アメリカと親しい関係にある、政治家はいくらスキャンダルが出てきても逮捕されない。イトマン事件の亀井静香、泉井疑惑の山崎拓もそうだし、小泉にせよ森喜朗元首相にせよ、政治生命の危機に瀕することはあっても、警察・検察に捕まることだけは避けられている。
ロッキード事件から「CIAにさえ狙われなければ、何をやっても大丈夫だ」「アメリカと親しくしていれば、警察も検察も怖くない」と政治家たちが確信するようになり、対米従属を深めていく悪循環が始まったのだ。
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