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★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評10 > 580.html 亀田一家と心中したボクシング界とメディアの責任|SPORTS セカンド・オピニオン|ダイヤモンド・オンライン 亀田一家と心中したボクシング界とメディアの責任|SPORTS セカンド・オピニオン|ダイヤモンド・オンライン via kwout
日本ボクシングコミッション(JBC)は、史郎氏にセコンドライセンス取り消しの処分を科すことを全会一致で決定、今後いかなるライセンスの申請も受理せず、JBCの管理権限が及ぶ客席、リングサイド、控室への立ち入りも禁止した。 史郎氏は事実上、日本のプロボクシング界から永久追放となった形だが、ここに至るまで、ボクシング界は視聴率至上主義のテレビ局にひきずられ、彼らに甘く接してきた面はなかったか。 メディアの過剰な演出でフレームアップされた話題先行のアスリートが、リアルなスポーツの世界で頂点に立ち、やがてその未熟さをさらしていく。亀田家のたどった道を振り返ると、ボクシング界が彼らと心中した結果、大きななにかを失ったような気がしてならない。
初めて亀田三兄弟の存在を知ったのは、今からもう10年以上も前になる。当時、彼らが練習していたグリーンツダジム(大阪・西成区)の会長から届いた年賀状に、まだ幼い風貌の3兄弟の写真が映っていた。 当時の会長は、赤井英和さんを「浪速のロッキー」として売り出したことのある津田博明氏だった。津田氏は、この3兄弟をこれからメディアに売り込んでいこうと考えていたのだろう。その後、津田氏は病に倒れるのだが、亀田3兄弟は大阪の片隅から、一気に全国的な注目を集めることになる。 きっかけは、テレビのドキュメンタリー番組だった。 プロのリングにはあがらなかったものの、かつては自らの拳に夢を抱いた父親の史郎氏が、独自のトレーニング方法を用いながら、幼い子どもたちにボクシングの技術を叩き込む。その強烈な個性に注目したテレビのドキュメンタリー番組が、まだ、長男の興毅選手が無名のアマチュア選手時代から、彼らの背中をおいかけ、定期的に放送したのだ。 至近距離から投げたピンポン球をボディワークでよける、先端にグローブをつけた長い棒を顔面にむけてつきヘッドスリップでよける、砂袋をアッパーの要領でもちあげる…。 テレビ画面に映し出された亀田家のトレーニング、ボクシングにかける情熱は、確かに番組として取り上げる価値があっただろう。 問題は、どう伝えるか、である。
僕がずっと取材を続けている元WBC、WBA暫定ミニマム級世界王者の高山勝成選手が17歳のころ、当時はまだ中学生だった興毅選手とスパーリングをする機会があった。 だが、後日に放映されたドキュメント番組のなかで、スパーリングの様子はほんの少し流されただけだった。画面はすぐに亀田家の風景になり、史郎氏が「おまえはあいつに根性で負けてるんじゃ」と息子を叱責する…。 映像を見ながら、「もったいないな」と思ったことを覚えている。高山選手とのスパーリングで打ち込まれた様子を視聴者にそのまま提示したほうが、彼ら一家が人生をかけて挑もうとするボクシングというスポーツがいかに奥深くて難しいものか、単なる殴り合いやけんかの延長でないことを伝えられたのではないか。根性ではない、ボクシングの技術で負けていた、ボクシングとはそれほど難しいスポーツなのだ、と。 だが、「亀田ブランド」は、ボクシングがもつ崇高さとは距離を置いたまま、肥大化していった。
あれは興毅選手にとって、プロ4戦目の試合だった。デビュー以来、3連続初回KOを飾っていた「浪速の闘犬」は、無名のタイ人を相手に消極的なボクシングでずるずるとラウンドを重ねてしまう。 3ラウンドだったか、タイ人の左フックが興毅選手のこめかみを軽くとらえたシーンがあった。それほど強いパンチではなかったが、このあとの興毅選手はカウンターが怖くて前に踏み込めなくなったのだ。セコンドに戻ってきたときの彼は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。 試合後、控え室へ戻った興毅選手はタオルに顔を埋めて泣いた。試合前のビッグマウスから一転、一つの言葉も報道陣に伝えることができなかった。テレビのスタッフもその場にいた。僕はこの試合を教訓に、陣営は焦らず、彼をじっくりと育てていくだろうと思った。
焦らなくてもいい。少年時代から鍛え上げた肉体的なアドバンテージに加え、彼らには、同世代の誰にも負けないボクシングキャリアと情熱がある。じっくり経験を積んでいけば、トップレベルのボクサーになっていくはずだ、と。
だが、初めての世界戦で、興毅選手はその未熟さを露呈してしまう。 WBA世界ライトフライ級王座決定戦。本来ならライトフライ級で一度も戦っていない興毅選手が王座決定戦出場の権利を得るのもおかしければ、対戦相手がファン・ランダエタという一階級下の元チャンピオンというのも、不可思議な話だった。 そこに、テレビマネーの介在があったことを否定することはできない。ランキングを調整して試合を成立させるには、多くの関係者の尽力が必要だっただろう。 そして試合は、疑惑の判定となった。 1ラウンドにダウンを奪われてダメージを受けた興毅選手は、その後打ち返すシーンもあったが、終盤に再び打ち込まれてダウン寸前に。勝者のコールを受けたものの、内容的には完敗だった。ボクシングジャーナリストを名乗る人たちのなかには、「微妙なラウンドでも10ー9にふりわける現在のルールでは亀田の勝ち」という声もあったが、そこには人気低迷にあえぐボクシング界が、亀田人気に頼ろうとしている印象が残った。 その後、興毅選手は初防衛戦でランダエタ選手をアウトボクシングで返り討ちにしたあと、すぐにベルトを返上してしまう。1階級下のミニマム級あがりのボクサーと2度戦っただけで、同じ階級の強豪たちの挑戦を受けずに上の階級にあがる…。 果たしてそれで、ライトフライ級の世界を制したことになるのだろうか。不可解なマッチメイクと判定による戴冠劇だったが、その返上劇にも、王者の矜恃があったとは思えない。そしてそうした一連の動きを、ボクシング界は容認してしまった。 誤解をおそれずにいれば、この時点で日本のボクシング界は亀田家と心中したのだ。
そのあとに続く大毅選手の世界戦での反則行為、セコンドについた史郎氏や興毅選手の反則を促す指示などはそれ自体がボクシングを冒涜した行為だったが、ボクシング界の対応は常に後手にまわった。 亀田だから、許される――。 その思いはテレビ局だけではなく、ボクシング界の内部にもあったのではないか。
ポンサクレック戦の興毅選手を見たとき、4戦目の判定勝利を思い出した。 同じ王座を17度連続防衛したポンサクレック選手は確かにタイの英雄だが、全盛期と比べると体のフォルムが一回り小さくなり、パンチのつなぎのスピードもかつての面影はない。だが、ポンサクレック選手は労なく、興毅選手にプレスをかけるのに成功した。 「亀田とKOはセット」あるいは「ボクシングは戦争や」という強気な発言と乖離するように、ここ数戦の興毅選手は「待ち」を基軸にしたアウトボクシングに徹している。この夜も右のリードブローを打たず、サイドへのステップもきれないから、ポンサクレック選手のプレスにまっすぐさがってしまう。何度か、のぞき見ガードの内側をえぐられて被弾すると、2つのグローブを顔面から離せなくなった。 WBCの世界戦はオープンスコアシステムだから、4ラウンドが経過するごとに採点が発表されるが、ポイントを失っていることがわかっても興毅選手は捨て身の攻撃に出ることはできなかった。完敗だった。ドローとしたモンテネグロのジャッジは論外だ。史郎氏はタイの立ち会い人とポンサクレック陣営のマネージャーがホテルで会っていた、とクレームをつけていたが、本来なら、このジャッジこそしっかりと事情聴取されるべきだろう。 いつものことだが、試合を中継したTBSの実況はひどかった。自社イベントを盛り上げることしか考えていないスタッフに、ボクシングの崇高さに目を向けろというのは無理な注文なのだろうか。 興毅選手がこれからも同じスタイルで闘うのなら、よほど、有利なジャッジメントをしてもらわない限り、勝ち続けるのは難しいだろう。明らかに力が劣る相手と闘うときのように腰を落とし、えぐりこむような強打を世界のトップレベルを相手に打ちこむにはどうしたらいいのか。 そこには技術的な問題もふくまれているが、ポイントが劣勢でも捨て身の攻撃にいけないメンタルこそ、彼が克服すべき大きな問題だと思う。
■ボクサーとしての誇りと責任を 二階級制覇を達成したボクサーなら、父親の発言もふまえて、しっかりと自分の言葉で心境を語るべきだろう。ボクシングメディアの前で何も語らないまま、テレビのクイズ番組に出演していたが、このあたりはボクサーとしてよりも、タレントとしての自覚のほうが強いのだろうか。 今後、亀田一家はどうなっていくのか。 JBCは亀田ジムの五十嵐紀行会長(35)に対してもクラブオーナー、プロモーターの両ライセンスを無期限停止の処分をくだした。亀田ジムは活動できなくなり、興毅選手をはじめ、次男の大毅、三男の和毅の受け入れ候補としてあげられたジムの名前が、スポーツ紙の紙面を飾っている。 その一つである渡嘉敷ジムの渡嘉敷勝男会長は「興毅は日本タイトルから」と語っていたが、適切な考え方かもしれない。 フライ級近辺のウエートには、世界レベルの日本人ボクサーが何人もいる。そうしたボクサーと闘って拳をもっと磨けばいい。日本タイトルで亀田の名前がでれば、多くの人が注目するだろうし、ボクシング界を盛り上げることができるかもしれない。 WBA王者の大毅選手は、ダイレクトの再戦となったタイトル挑戦の条件だった坂田健史選手との防衛戦をすべきだろう。減量苦によるベルト返上も噂されるが、それなら最初からフライ級でタイトル挑戦すべきではない。試合後のリングで自作の曲を弾き語りで披露できたのだから、減量苦で体が動かないという理由も説得力に乏しい。 興毅選手のタイトルマッチが行われた有明コロシアムには、空席が目立った。この風景を、リングサイドにいたボクシング関係者たちはどんな思いで見つめていたのだろう。 本質を曲げたままのブームは、結局、そのフィールドも汚していく。 もう一度、亀田ブームを創り出すのなら、演出や無理に仕立てた台本はいらない。 テレビ局とボクシング界は今こそ、誇りに満ちたボクサーたちの群像を伝える努力をすべきではないか。その正当な光で、等身大の亀田3兄弟の背中も映せばいい。 -------------------------------------------------------------------------------- ……焼畑農業なんだよなあ。余所が作り上げたものを食いつぶしていくだけ。 ◆関連記事 拍手はせず、拍手一覧を見る コメント 捨てられ方でさえ似通っている。ただ言える事はファイトクラブの不良(擬似)少年たちのほうが亀田ファミリーより、まだ学ぶという部分では辛辣ではあった。 威圧的な父親を増長させた原因にはメディアと一部スポーツ記者の囲い込みがあるといわれている。彼らが亀田家の御用聞きのように取り入り、亀田家の情報の選定に口を出していたというのは業界では周知の事実だ。
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