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某国で、あなたが人を殺めてしまい、その国で裁判が行なわれたとします。その国の刑法はとても変わっていて、とても変わった判決が下されました。むち打ち刑か絞首刑か、どちらかを選べる、という判決です。この判決を前にして、精神を病んだ人以外、すべての人は絞首刑を選択せず、かならずむち打ち刑を選択するでしょう。
ここで歴史をさかのぼってみましょう。江戸時代までは、磔の刑や鋸引きの刑など、現在の感覚からすれば残虐な刑罰がありました。近代になって、人権思想が諸外国から導入されるに従い、刑罰の規定が見直されました。磔の刑や鋸引きの刑などは残虐な刑罰であるとして廃止されました。それらの刑罰に替わって導入されたのが絞首刑です。
日本国憲法 第36条の規定には「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
最高裁は昭和23年3月12日の判決で、「死刑そのものは残虐な刑罰とはいえない。残虐な刑罰とは、火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの如き残虐な執行方法を取る刑罰である」としています。つまり、残虐な刑罰であるか、そうでないかは、刑の執行方法の如何によるとしたのです。こうした観点から、死刑の執行方法である「絞首」は残虐ではない、としたのです。この考え方を敷延すれば、むち打ちという刑の執行方法は残虐である、と見なされることは明らかです。仮にむち打ち刑が法律で決まったとしたら、国民から強い反発を受けることは容易に予想できます。最高裁の考え方は「身体を侵襲する」形を取る刑の執行方法は残虐であるというものです。この考え方からは、絞首刑は身体を侵襲しない(侵襲しても無視できるほど軽微だ)から、残虐な刑罰ではない、という結論が導かれます。
そうすると、最高裁の判例で残虐な刑罰ではないとされた絞首刑を選択せず、逆に残虐であるとされるむち打ち刑を選択する私たちは、何か大きな間違いを犯しているのでしょうか。
最高裁の判決には、明文化されていない暗黙の前提条件があります。それは「精神的苦痛の無視」です。死の恐怖という強い精神的苦痛の存在を無視することで、最高裁は絞首刑を残虐な刑罰ではないとしているのです。
国連拷問禁止委員会は、2007年5月18日付けで「日本に対する国連拷問禁止委員会の結論及び勧告」を採択しました。この文書で国連拷問禁止委員会は、条約の定義による「精神的拷問」が、刑法195条及び196条において明確に定義づけられていないことについて、懸念を表明しました。刑法195条及び196条ではもっぱら身体的暴行についてのみ取り上げられているだけであり、日本の刑法には精神的苦痛という概念が存在しません。精神的苦痛は民事裁判で扱うことになっているのです。
人には本能としての「死の恐怖」があります。日常生活の中で死の恐怖を実感することは通常はありません。しかし、その恐怖の一端を体験することは簡単にできます。マンションの4、5階から身を乗り出して、地面を見つめた場面で感じる、足のすくむような恐怖感がそれです。高い所に慣れている人は除きます。
死の恐怖は、人の根源的な生存本能から生じているため、その精神的苦痛は他のいかなる精神的苦痛よりも全人格的であり、深刻なものであり、最も強い苦痛です。
死の恐怖は、それに直面した場面で顕在化します。それは、むち打ち刑か絞首刑か、どちらかを選べといわれた場面にも当てはまります。人はむち打ち刑で受ける身体的苦痛よりも、死の恐怖による精神的苦痛がそれを遥かに凌駕するため、本能的に死から逃れようとして、むち打ち刑を選択するのです。
それでは絞首刑を忌避して、むち打ち刑を選択した人は、どちらの刑罰が残虐な刑罰であると考えるでしょうか。自らが選択した刑罰の方がより残虐な刑罰だと考える人はいたとしてもかなりの少数派でしょう。ここで身体的苦痛だけを見て、精神的苦痛を見ない最高裁の判決の誤りが明白なものとなります。何しろ、最高裁が残虐ではないとした絞首刑を誰も選択せず、逆に残虐だとされるむち打ち刑を全員が選択するという矛盾が生じてしまっているからです。
日本における刑罰を執行方法で大別して、罰金刑、懲役刑、禁固刑そして絞首刑の4つがあります。最高裁の判決は、絞首刑は残虐な刑罰ではない、としました。刑罰の執行方法という観点からは、絞首刑は磔の刑や鋸引きの刑などと比較すれば、身体的苦痛を長い間体験する訳ではないので、残虐ではないといえます。しかし、刑罰の残虐性を、刑罰の執行方法という観点だけから判断することは明らかに一面的です。
刑罰の残虐性を、身体的苦痛の側面のみから判断することは誤りです。刑罰を受ける受刑者が感じる精神的苦痛(死の恐怖)の程度によって、刑罰を比較することが可能です。罰金刑、懲役刑、禁固刑に、人はそれほど大きな恐怖を感じません。それにはそう感じるだけの理由があります。では絞首刑はどうでしょうか。死刑確定受刑者が受ける精神的苦痛は想像するしかありませんが、絞首刑以外の刑罰とは比較にならないほど強烈な苦痛を感じているはずです。人によっては、刑執行までの拘置中に精神に異常をきたす1場合もあります。
受刑者に与える精神的苦痛の程度によって、残虐な刑罰であるか、そうでないか、という観点からは、裁判所はこれまでいかなる判断も下していません。「精神的苦痛の程度という観点」から死刑を他の刑罰を比較すれば、死刑という刑罰でのみ、その苦痛が堪え難いほど強いものである以上、そのような精神的苦痛を与える刑罰は人道上、「残虐な刑罰」である、と判断せざるを得ないでしょう。
刑の執行方法を問題にしていても意味がありません。強い精神的苦痛をもたらす刑罰はそれ自体、憲法第36条で禁止されている残虐な刑罰に他なりません。被告が受ける死の恐怖(精神的苦痛)を「多少の精神的苦痛」などと本日の判決文で述べたすべての裁判官および裁判員は現実を見ていないと言わざるを得ません。
1. 日本の死刑囚、精神障害を発症する危険 アムネスティが報告書
http://www.afpbb.com/article/politics/2639874/4559686
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