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(回答先: 『一人は全員のために、全員は一人のために』 そんな時代も日本にありました 投稿者 エテ公 日時 2011 年 10 月 12 日 18:50:30)
絡むわけでございませんが、「こういう見方もある」ということで書かせていただきます。
本当に日本に、助け合いなんてあったのだろうか?
個々としては、あったろうけど、「制度として」、いざそれが試されるとき、全然機能しないほうが多かったと思います。
それはあたかも、現在「福島」で見せられている風景と重なるものがあります。
大家といえば、親同然、店子(たなこ)といえば子同然。
庄屋、といえば、、?
大学のセンセ、大企業の電力会社、保安院、好天快晴、順風満帆のときは和気アイアイ、安心、安心。
庶民は赤子のようにしてればいい。。。。
しかし、イザ、大きなインパクトに遭遇すると、どちらも機能しなかった。
東北で飢饉のとき、助け合いが機能しただろうか、「お伊勢参り」と言って、貧しい農民が、村を去って乞食になるのがわかっていても、名主は止めたのだろうか。
私は、昔、善、今、悪、多くは浪花節の域を出ないと思ってます。(ご指摘のように、学ぶところは、あると思います、うまくかけないですけど、人間の歴史に、人間の「叡智」、「経験」が、「愚劣」、「残酷」とともにが詰まっているという意味です)
そうでなければ、平塚らいちょう、北村透谷、与謝野晶子、受験日本史にその名を連ねることはありません。
現在の悲劇は、平均的な日本人は、伝統的な集団主義の悪いところと、近代的な個人主義、今様の言葉で言うと、新自由主義のを悪いところ、「二つのばば」をつかまされているところだと思います。
つまり、日本の伝統主義のよさを捨て去り、いい意味での近代主義、合理主義、人権思想を身につけていない。だから、悲劇が繰り返される。以前にも同様の投稿をした記憶がありますが、ご勘弁。
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