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あやみさんの『脱原発と江戸の明け暮れ考』シリーズに触発されて、私も明治以前の庶民の暮らしぶりについて投稿してみたいと思う。
ところで『共同体の崩壊』という言葉をよく聞く。京都のど田舎に住む私にはあまり肌身で感じることもないが(むしろ都会生活に憧れている(笑))、独居老人やネットカフェ難民など深刻な問題として受け止められているようだ。
なぜ今と昔では“共同体の濃さ”が違うのだろうか。
まずシステムが根底から違うからだと考えている。江戸時代までの租税は、共同体(ムラ)での連帯責任となっていた。これだけでも“落伍者”を出さないよう、共同体で支え合いが嫌でも生まれるというものだろう。
そして近代的な『所有権』の意識も希薄だった。“こことここの土地は先祖代々からワシのもの”くらいの意識はあっただろうが、現代のような排他的独占権ではなく、せいぜい“占有的使用権”といったものだろう。
現在では山でキノコ狩りをしただけで犯罪者となりかねない。私の近所の山でも『私有地 無断で立ち入るべからず』の立て看板を見かける。しかし前近代では山を『入会地』と呼び、共同体の成員であれば自由に立ち入り農業用の肥料や飼料、薪など生活物資を得ることができた。
もちろん天災や戦災などで生活基盤が破壊されることもあるが、物理的条件さえ満たしていれば(生活水準はその物理条件に規定されるとしても)ほとんど不足なく庶民は暮らしていけたはずである。
だから江戸時代に戻ろうなどと安っぽい懐古主義を唱えたいわけではない。だが近代国家に問題があることは明確なのだから、それを特定しあれこれ改善していくことに、前近代の社会システムは参考として大いに役立つだろうという主張である。
長くなったのでこの項はここで終わりにしたい。次回は参考書籍を片手に、より具体的な『前近代の庶民生活』について紹介していきたい。
テーマは、あやみさんをパクって『江戸の明け暮れ考“性の巻”』を予定(笑)
放送コードぎりぎりで暴走します。お楽しみに。
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- Re: 二つの「ばば」をつかまされている。 まとおせ 2011/10/17 13:58:17
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