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脱原発と江戸の明け暮れ考「住の巻」http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-56.htmlより転載
- 2011/09/28(Wed) -
「脱原発をして江戸時代へ戻ろう」
そんなべらぼうを申し上げるつもりはない。
先人たちの暮らしとあまりにもかけ離れてしまった「今」を考える糸口のとして捉えていただければ幸いである。
住――住居、そして生活具が人の暮らしのすべてを物語る。そのためには日本の気候や建築資材などから書き始めなければならない。退屈かとは存じ上げるが少々お付き合いいただきたい。
かつて生活様式は気候と風土によって左右された。我が国は夏は蒸し暑く冬も厳しい。緑に覆われた山々はたおやかに見えるが実は人を寄せ付けぬほど険しい。一年を通して雨が多く台風の通り道でもあり、北国は豪雪に見舞われ海際は常に高波が押し寄せる。そして、地面がしょっちゅう揺れる。
雨が多いその分、豊かな水資源と森林そして木造文化を持つ。石材も鉄も産出するが我が国の家屋の主要構造は遠い昔から木造であった。
木材同士の接合部分には釘を使わずホゾや欠きこみを施して互いを付き合わせた。釘と木では硬さに違いがありすぎ必ず木のほうが負ける、つまり釘穴が少しずつ広がって緩んでしまう。特に地震や台風の揺れを飲み込み、衝撃を逃がすために家屋が「きしみ」に対し柔軟にできており、木材をいためる釘はもってのほかであった。また、雨水が外壁を濡らさないためには軒を深くする必要があったが風に対して脆くなる(めくれ易い)。そこで考案されたのが瓦、上から重しをかけ風に耐えるとともに火事の折には延焼をふせぐ。また地震の縦揺れを制する役割を果たしうる。もちろん無限にと言うわけには行かないが。
夏の蒸し暑さと冬の寒さを天秤にかければ、日本の場合は夏に重きを置くほかなかった。夏は黄泉の国が近づく季節として恐れられていた。暑気あたり、食あたりなどの原因で命を落とすものが冬より多かったのだ。そのため家屋には風を取り込み湿気を逃がすありとあらゆる工夫がなされている。外(庭、あるいは道)に向かって大きく引き戸が設けられており、その戸自体も紙と木でできていた。また、床を高く上げ床下の通気を確保することで地面からの湿気と縁を切った。この床を上げる工法なければ床に石材を敷くか土間で生活するしかない。しかし木の高床は家の中で履物を使わずに暮らすことを可能にした。寝るとき以外靴を脱がない生活を想像すれば、玄関で履物を脱ぐという日本の習慣がいかに快適であるかは明白である。
素足の生活は畳という繊細な生活具をもたらした。冬は床下の冷気をさえぎる断熱材としての役割を果たす。夏、畳にごろ寝したときのひんやりとした感触は、畳が部屋の湿気を吸い取り自らの温度をさげるからである。
「たたみ」は元来たたむ(折るのではなく、重ねるという意味)ことのできる敷物であった。藁床の上に畳表をつけ座布団のように使うようになったのが奈良時代ごろ、人が横になれる大きさとなり寝具として発達したのが平安時代、部屋に敷き詰めるようになったのが書院造りの普請がなされた鎌倉時代である。
江戸時代も中ごろを過ぎると庶民の間にも畳が浸透した。畳表の材料のイグサが大々的に栽培されるようになり、畳作りを生業とする畳職人が生まれたことが普及を促した。決して贅沢品ではないのだが、カビから守るためしばしば日に干し乾燥させたり数年おきに職人の手で表替えをするなどの手入れが必要だった。当然そのような余裕のない農村に畳が普及したのは近代以降であった。
現代の機密性の高い住宅で畳が干されもせずに敷きっぱなしでもダニがつかずカビも生えないのは化学薬品という魔法のおかげである。人を殺さずダニだけ殺す薬などは魔法でしかない。
前回「食の巻」で畳の大きさについて触れた。「起きて半畳 寝て一畳」という言い回しもあるように、たたみ一畳(六尺×三尺)は成人が寝起きするのに必要な大きさである。その昔たたみが寝具であったということを考えれば至極もっともである。
西洋、いや日本以外の殆どの国でベッドが使われるのは家の中で靴を脱ぐ習慣が無いからと言っていいだろう。ありがたいことに土足、しかも家畜小屋に出入りした靴で室内を歩き回り寝るという習慣を我々は持ち合わせていない。
町並みに洋風の、あるいは近代的な家が増えるにつけ室内の造作も外観よろしく日本から遠ざかっていった。ことにベッドは大多数の日本人が飛びついたように思えるがこれは何故か?ハリウッド映画に憧れて、または毎日の布団の上げ下ろしから開放される、というのも当然あるだろうが、いちばんは男と女がもつれ込むのに都合が良い、からではないであろうか。いちいち押入れから布団を引っ張り出して敷いていたのでは気後れしてしまいそうである。前もって布団を敷いておくにはかなりの度胸が要る。年頃の娘さんが下宿先でベッドをお使いのようであれば一応ご心配なされては如何か。
庶民が綿入りの寝具を使い出したのは江戸も幕末の足音が聞こえてきた頃だという。綿の栽培が盛んになったのが思いのほか晩く、収穫された綿のほとんどが糸や織物に加工されたのが大きな理由だが、たたみ自体が寝具という認識も手伝ったのであろう、古布をはぎ藁くずなどを詰めた薄いものを敷き、昼間着ていた着物を上掛けにして眠るのが主流だった。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる」
兼好法師は冬はどんなところでも住めるとおっしゃるが、江戸時代はまるごと小氷河期に相当し今の日本の寒さなどは比にならない。隅田川が凍ったという記録もある。ましてや熱のこもらぬ造りの家に素足で暮らしていたのだ。「昔はみな辛抱強かった」と言ってしまえばそれまでだ。しかしそれを物理的に後押しした何かがあるはずだ。
室内を暖房する器具は「囲炉裏」か「火鉢」である。裸火か炭火かという大きな違いがある。囲炉裏は暖房・調理・照明の三役をこなすがどうにも煙たい。天井がなく煙り抜きを設けることができる田舎屋であれば成立するが江戸のような密集地では不可能だった。火鉢では煮炊きをするにはちと心もとなく明かりにもならないが、炭火の発する遠赤外線の熱はからだの内部まで届き活力を与えてくれる。逆に裸火は燃焼するために大量の酸素を必要とするためその分つめたい外気を取り入れなければならないので目に見えるほどは温まらないのだ。
火鉢や熾き火になった囲炉裏の上に櫓をかけ着物や上掛けで覆うと炬燵になる。夜具の中で、あるいは外で商売をするものが使ったのが行火(あんか)、懐に入れる金属性の懐炉(かいろ)、いずれも炭や灰の熱を利用した暖房器具である。
口から入る食べ物もしかり、米の澱粉は体をよく保温する。秋の終わりからは魚に脂が乗りそれを食する側にも脂肪が蓄えられる。のどが渇くと白湯を飲み、冷たい水は敬遠された。炭火や薪の熾き火で沸かした湯で入れた茶の味をご存知の方は賛同して下さることだろう、ただの水でさえ味を良くする、食材のもつ本来の味と効能を引き出すのだ。柘榴色の火でじっくりと調理された食から心と体に英気を蓄えた。乾物の摂取も夏の太陽の力を体に与えてくれる。
寒い冬でも銭湯にせっせと通った。逆に夏は庭先で行水をして済ませることが多かったという。
素足の暮らしも一役買っていた。心の臓からいちばん遠くにある「足」は調温装置でもある。足が感じた温度によって心臓がどれだけの血液を送り出すかを決める。寒いと感じることで自ら体を暖めることができる。今、我々が辛抱と呼ぶもののからくりはこの辺りにある。家の中だけではなく外でも素足で通すのが「意気」であった。寒さという変えがたい事実に対峙したときに縮み上がるか意気がるか、江戸の庶民は後者を選んだ。
すべての調度品にそれぞれ職人の技が生き、先人たちの生き様が見える。この「住の巻」で書くべきことではあるが今は控え今後にとっておく。そしてそろそろ総括せねばなるまい。
おしまいに――電化生活と人の平均寿命が正比例していると言われる。確かに電気使用量と平均寿命のグラフを比べると似たような勾配で上昇しているのがわかる。だが、それだけを示して鬼の首でも取ったかのように「生活が電化によって向上した」と喚くのはおかしい。
近代以降、新生児死亡率がさがり、それがグラフを右上がりにしている。出生率が下がり続けているのもそれを助けている。お年寄りが風邪をこじらせて…というのも現代医学のおかげで減った。べつに電気のおかげではない。
「はっくしょ!畜生め、暑くて鼻水がでらぁ!」と意気がったところで寒いものは寒い。実際に江戸の生活で困難だったのは寒さであった筈である。
綿入りの布団や石炭ストーブの普及で冬を楽に過ごすようになってからは体の負担が軽減されさらに長生きをするようになったと考えられる。やっぱり電化とはそれほど縁がなさそうだ。
日頃の家事をみればどうか。飯炊きと洗濯を自分でやらなくて済む、それだけのことだ。自分がもし男であったなら電子レンジで湯をわかすような女とはぜひ一緒になりたくないものである。
遠出をするとき歩かないで済む。毎日何十キロも歩いて通勤できない。しかしこれは職住分離という社会全体の問題だ。
夏は冷房なしでは過ごせない。家の造りようが夏を旨としてないので仕方が無い。アスファルトで覆った地面、排気ガス、クーラーの廃熱、何より電気の使用そのものの廃熱がそれに追い討ちをかけている。そもそも気密住宅はダニとカビの温床だ。「抗菌仕様」と書かれたもののほとんどは「農薬使用」、内装に使われている建材は有害化学物質漬けである。
人はいくらでも強くなるということはないが、いくらでも弱くなれる。知らぬ間に電気という生命維持装置を背負わされているのだ。電化によって便利になった分、自然から力をかりるという能力と知恵を失ってしまった。季節のもの、土地のものを食し夏らしく冬らしく生きていた先人たちの暮らしはもう絶えた。
寿命は延ばせる。粘土を棒状にして転がせばいくらでも伸びるのと同じだ。しかし伸びるほど脆弱になり、やがてフツリとちぎれる。平均寿命のグラフとやらには心臓が動いているか否かのみ反映されることなどここに記するまでも無いであろう。
暖房の効いた部屋で半袖で過ごし冷蔵庫から冷たい水をだして飲む、逆に冷房病対策とやらでひざ掛けが離せない。真冬に夏野菜を食べる。百均で買って、翌日捨てる。この大矛盾に気づかないのであれば原発と心中するしかない。もはやそれに気づいている人をも巻添えにするので無理心中とでも言うべきか。
原発産業界におととい来やがれと啖呵を切るためには先ずは節電のそれしかない。そして電気のみならずあらゆる無駄と矛盾を正視するしかない。
国土を穢し体を壊してまで現代生活を維持す価値など、経済が停滞して不況が来るなどと資本主義にたてる義理などない。
原発ぅ? しゃらくせえ、すっこんでろい!
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