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ヤーさんの世界もピンからキリまであんべえがの、下の取材源にはまだ「侠(きょう)」の精神が残っとるところじゃろな。そんなどころは面白えし参考にもならぁな。どくにアンモン(案文)てえのは面白え考え方だな。
彼岸楼はんが「思想家はどうしても文脈主義に陥り易く…」と嘆いておられたが、この文脈主義てえのは、アンモンに通じるんでないかえ。なんか気持(思想)に生血が通っていねえって言うか腸(はらわた)が噛んでいねえっていうか。
菅直人はんの発言なんぞは、さしづめアンモンの見本市みてえなもんでねえかえ。
「ヤクザがおくる普通人への独白」北川紘洋/はまの出版 '90.12 月がら
1)、なぜ、「懲役」が真の勉強かというと、ある意味の極限の状況下において、自分自身の心持ち次第で、シャバでは味わうことのできない経験をすることができるからだ。その経験体験を自分のものにしたもの、それがいずれ必ず役に立つということだ。
…実にくだらんことを思い続けて…刑期を終えてやっとのことで出所してくる男と、バカなことにきちっと耐えて、極限の中で、さらになお、一番イヤなことに積極的にチャレンジしてきた男とは最終的に違う。これは絶対に違うな。…職種だって、選べるよ、刑務所のなかでは。肥えくみもあれば…いろいろある。しかし、わざわざ人のイヤがる仕事、つらい仕事をやってみようという積極性を身につけられるかどうかで将来が決まるね。…底辺に耐える、それも底辺の中でもさらに底辺を選んで、わざわざつらいことを選んできた人間、乗り切った人間、それも毅然として耐えてきた人間は、ひとまわりもふたまわりも大きくなって刑務所から出てくる。
3)、任侠という言葉がある以上はね、人のために、あえて自分が犠牲になることができるかどうか。そこで「男」が決まると思って間違いはない。…私たちの世界では、これ以上の鉄則はない。だから「バカ」なのだ。いい意味で、素晴らしい意味でな。そうした「バカ」がやれるか、やれないか。そこが大切なんだ。
日頃の修業で、鍛えに鍛えて、いざドタン場に来た時、決して命乞いをしない、許しを乞わない。そうした筋を通した生き方ができるようにしているわけだな。
4)、この世界で一番不必要なのはアンモン(案文)だ。案文師というのは、本来の意味は下書きの文書を書いたり、文案を考えたりする職業のことだが、この世界では、薄っぺらな社交性のある男のことをアンモンと呼んでいる。…私たちの世界ではアンモンは一切いらない。
八方美人ってのは基本的には信用されないのと同じだ。日本の外務大臣なんか、むしろアンモン(案文)の極致だな。
5)、若衆たちが親分に引き立ててもらえる最大のコツは「ガマン」だ。有能な人材を先輩を追い越して長にするには、親分の眼力が必要なのだ。つねに目を光らせていて、若い方が力があるのは十人が十人わかっていても、じっと時機を待つ。「人間力」のつく時機を。…その時機を親分がどう見定めるか、そこがまた親分の器の問題だね。古い人間を思いやる心が若ヤツに生まれた時、跡目をとらせるのがこの世界の常識なんだ。
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