http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/123.html
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(回答先: 内田樹(著)『街場のメディア論』覚書 (文筆劇場) 投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 1 月 02 日 22:18:28)
http://hiroya.web.infoseek.co.jp/
「文筆劇場」ジョン・スミスへの手紙 サイバー・ラボ・ノート (2839) 「梅田望夫,飯吉透(著)『ウェブで学ぶ』覚書/
オープンエデュケーションは世界をどう変えるか」
から下記を転載投稿します。
マスメディアに顕在化している「知的な劣化」(元記事)は、その実「同じ根の問題を抱えてる」(元記事:http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/118.html#c7)日本語世界(生活圏)全体に就いて言うことの出来る問題ではないでしょうか。
この問題意識に関連し同転載記事を投稿します。
また、同記事には、階層分化云々が言われる日本語世界(生活圏)の住人が、今後どのような傾向で分化していくかの示唆もあるように思われます。
=転載開始=
ジョン・スミスへの手紙
サイバー・ラボ・ノート (2839)
梅田望夫,飯吉透(著)『ウェブで学ぶ』覚書/
オープンエデュケーションは世界をどう変えるか
梅田望夫,飯吉透(著)『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命』(ちくま新書)を読了しました。その覚書は以下の通りです。
本書では"オープンエデュケーション"を「ウェブの登場によって可能になった新しい教育のあり方」という意味で使っています。
その強力な具体例となったのが、2001年に発表されたMIT(マサチューセッツ工科大学)のオープンコースウェア(OCW)構想です。そして今では、同時多発的にオープンエデュケーションが駆動力になり、世界を変えつつある。
それが本書のテーマです。しかもそれは、ほとんどの日本人が知らないところで進行している。梅田氏は「あとがき」で本書を書いた理由を以下のように説明しています。
[引用開始]
私がこの本を書きたいと思った理由はただ一つ。
日本語圏のウェブ世界からはまったく見えない大変化が、世界では着実にしかも急激に起きていることを、皆さんに知ってほしかったからです。
本書共著者の飯吉透さんとは、彼がシリコンバレーのカーネギー財団に勤めていた頃、お互い近所に住んでいたということもあり、『ウェブ進化論』以後のグローバルなウェブ進化について、定期的に意見交換を続けてきました。
その過程で、日本人である彼が、アメリカ発グローバルのオープンエデュケーションというムーブメントの中核にいて、その背景となる思想ばかりでなく、そこで実際に起きていることの詳細なリアリティを把握していることを、深く知るにいたりました。(『ウェブで学ぶ』P263)
[引用終了]
上記の目論見は、成功していると言って良いと思います。少なくとも僕は、オープンエデュケーションが世界を変えつつあることを、僕は完全に見落としていました。そして久しぶりに、本気で「ヤバい」と思いました。
なぜ、オープンエデュケーションは語るに値するのか。おそらく、多くの日本人にとっては、この点がピンとこないのではないかと思います。僕もそうでした。
梅田さんは、オープンエデュケーションの価値と役割を以下のように述べています。
[引用開始]
良い教育を受けて「職を求めてのグローバル競争」に参加できれば、生活水準は確実に向上します。だから21世紀は間違いなく、新興国、途上国における高等教育への需要が爆発的に伸びていく時代なのだろうと思います。その爆発的需要に対して、物理的なリアルな大学をこれまでのように順次建設していくのでは、供給が全然追い付かない。そこでオープンエデュケーションの出番となる。
僕はオープンエデュケーションの21世紀的価値、役割はここに収れんしていくのではないかという気がするのです。オープンエデュケーションとは「Education for the rest of us」。「先進国や新興国・途上国の一握りの人々のため」だけではない「残りのすべての人々のため」の教育ということですよね。(『ウェブで学ぶ』P216〜217)
[引用終了]
これは大学進学率が50%を超える先進国の国民には見えにくい部分です。しかし、極めて重要な指摘です。
100ドルで買えるPCやグーグルのアンドロイドOSが真に衝撃的なのは、「PCやスマートフォンのような情報端末が途上国の貧しい人々にも手が届くものになる」という点においてです。これと同じことが、教育に関しても言えるようになる。
ウェブにアクセスできるようになれば、たとえ発展途上国に生まれても、先進国の人間と同等の教育を受けられるようになる。僕たちはその意味をまだ充分に理解しているとは言えません。
あえて挑発的な書き方をすれば、先進国の人間は"既得権益"を失い、実力がモノを言う"より公平な世界"が実現するのです。
以上のようなことを踏まえた上で、今後、オープンエデュケーションはどのような役割を果たしていくのか。飯吉さんは、次のように発言しています。
[引用開始]
結局、オープンエデュケーションとは、テクノロジーの力を得て、教育がついに手にすることができた「自己拡張と自己進化のための恒久的な仕組み」なのだ、と思います。また同時に、教育に関わる様々な文化や制度も変容されていく。(略)
このような「仕組み」を手に入れられたことで、21世紀の「学びと教え」は、世界中の人々の情熱と叡智を糧として、スピード感を持って有機的に成長していくことが可能になったのです。(『ウェブで学ぶ』P259〜260)
[引用終了]
さて、オープンエデュケーションについて考えるときは、当然、「英語で学ぶ」という点も避けて通るわけにはいきません。
安穏と日本語圏で暮らす僕たちの多くは、既にこの時点で取り残されています。しかも日本人の殆どが「職を求めてのグローバル競争」を自分の人生の問題として捉えてはいません。
もちろん、いきなり「英語で仕事をする」というのは、さすがにハードルが高い。しかしいまや、情報収集をする際、情報源に英語媒体を含めることは、必須と言っても良いでしょう。
(以上、2000字)
山田宏哉記
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(投稿者記:記事冒頭URLの(2837)2011.01.03)
=転載終了=
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