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「文筆劇場」ジョン・スミスへの手紙 サイバー・ラボ・ノート (2833) 「内田樹(著)『街場のメディア論』覚書」から下記を転載投稿します。
=転載開始=
内田樹(著)『街場のメディア論』(光文社新書)を読了しました。
予め断って置くと、本書の内容は「メディア論」からはみ出して多岐に渡り、毎度の"内田節"が展開されます。直接的には「メディア」とは関係のない箇所でも、非常に考えさせられる指摘が満載です。
但し、ここではあくまで「メディア論」の書籍として、「なぜ、今日のメディアは危機的状況を迎えているのか?」という問題提起と、「では、どうすればいいのか?」という解答部分を中心に紹介致します。
まず、著者が今日のメディアに関して感じている問題意識は、おおよそ、以下のような点です。
[引用開始]
ジャーナリストの知的な劣化がインターネットの出現によって顕在化してしまった。それが新聞とテレビを中心として組織化されていたマスメディアの構造そのものを瓦解させつつある。(本書P38)
メディアの「暴走」というのは、別にとりわけ邪悪なジャーナリストがいるとか、悪辣なデマゴーグにメディアが翻弄されているとかいうことではありません。そこで語られることについて、最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない、「自立した個人による制御が及んでいない」ことの帰結だと僕は思います。(本書P94)
メディアが急速に力を失っている理由は、決して巷間伝えられているように、インターネットに取って代わられたからだけではないと思います。そうではなくて、固有名と、血の通った身体を持った個人の「どうしても言いたいこと」ではなく、「誰でもいいそうなこと」だけを選択的に語っているうちに、そのようなものなら存在しなくても誰も困らないという平明な事実に人々が気付いてしまった。(本書P96)
「読者は消費者である。それゆえ、できるだけ安く、できるだけ口当たりがよく、できるだけ知的負荷が少なく、刺激の多い娯楽を求めている」という読者を見下した設定そのものが今日の出版危機の本質的な原因ではないかと僕は思っています。(本書P130)
[引用終了]
一言で言えば、「知的な劣化」。これが著者が考える「メディアの危機」の本質だというわけです。
僕自身は、この見方に全面的に同意します。
TVをつければ、くだらない番組が垂れ流され、新聞では自作自演の"世論操作"がトップニュースとして報道され、書店に行けば、くだらないベストセラーとその二番煎じの書籍が溢れている。
そこには「どうせ視聴者、読者はバカだから」という制作側の意識が透けて見えます。
僕自身、TV番組は、NHKオンデマンドで見る価値のある番組しか見ません。新聞はデータベースを利用し、紙の新聞は読んでいません。本の購入は、殆どがAmazonです。
特に危機的状況だといえるのが、「読売新聞」です。いまや「読売新聞」は、ファミリーレストランで無料で散布されています。もはやフリーぺーパーです。
【写真】フリーペーパーと化す「読売新聞」
以前は、店員の方が「新聞を読みますか?」と確認してから配っていたのですが、いまやそんなことにはお構いなしで、全席にばら撒いています。
ではメディアはどうすればいいのか。対策は当然、問題意識の裏返しになります。
つまり、自立した個人が最終的な責任を引き受け、読者に対する敬意を払い、「知的に価値があり、どうしても言いたいこと」を言う。突き詰めれば、そうなります。
尚、著者自身は、このことを以下のような言葉で記しています。
[引用開始]
メディアの威信を最終的に担保するのは、それが発信する情報の「知的な価値」です。古めかしい言い方をあえて使わせてもらえば、「その情報にアクセスすることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」。それによってメディアの価値は最終的に決定される。(P38〜39)
どうせ口を開く以上は、自分が言いたいことのうちの「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりは「自分がここで言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで語るほうがいい。(P103)
メディアの「危機耐性」とは、端的に言えば、政治的弾圧や軍部やテロリストの恫喝に屈しないということです。その抵抗力は最終的には「メディアには担わなければならない固有の責務がある」という強い使命感によってしか基礎づけられない。(P45〜46)
[引用開始]
既に気付いている方が多いと思いますが、上記のような問題と対策は、"既存のマスメディア"にだけでなく、個人のウェブサイトやブログに対しても当てはまります。
また、現代社会では、殆どの人が「情報を発信する」という機会を持ちますが、そのような局面でも、思い出したい原理原則です。
本書では、電子書籍などタイムリーな話題も取り上げられていますが、技術系の話題にはあまり踏み込んでいないので、その方面の話を期待する人にはあまりおススメでません。
ただ、普段から「メディアとはどうあるべきか」という問題意識を持っている人にとっては、色々と得られる知見と考えさせられるところの多い書籍だと思います。
尚、全くの余談ですが、僕は昨年の大晦日、本書を品川駅構内の書店で買って、新幹線の中で読み始めたところ、名古屋駅到着とほぼ同時に読み終わりました。
(以上、2000字)
山田宏哉記
=転載終了=
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