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誰も通らない裏道
2011/01/19
「報道特集〜政治とネットの蜜月検証」を見て思ったこと 〜 ネットメディアの登場によって可視化されたのは既存メディアの惨状である
1月15日、TBSの報道特集で、「政治とネットの蜜月検証 」という特集があった。
私は放送中にtwitterのタイムラインでそのことを知ったので、番組自体は途中からしか見ることができなかったが、一方で同番組でインタビューを受けた岩上安身が、TBSの取材時の模様をUSTREAMで生中継しており、そのアーカイブをネット上で全編、見ることができた。その映像がこちら↓。
報道特集を見ていた人のtweetのまとめはこちら↓。
・TBS報道特集「政治とネットの蜜月検証」金平茂紀 x 岩上他済
この番組はタイトルこそ「政治とネットの蜜月検証」だが、その裏にあるのは、最近、ネットメディアに出演することが多い小沢一郎に対する既存メディアの意趣返しであろう(菅直人も現役首相として初めてネットの番組であるビデオニュース・ドットコムに出演したが、これは小沢への対抗意識という側面が強いと思われる)。
したがって、番組が主張するところは、「このところ政治家がネットメディアに積極的に出演している」→「しかしネットのいわゆるダダ漏れというのは、つまるところ政治家が自分の言いたいことを述べたてる場でしかない」→「しかし、それでは権力に対するチェック機能が働かないのではないか(それをするのがジャーナリズムの使命である、既存メディアにはその機能がある)」→「取材プロセスの可視化とか、報道の可視化とか、つまりエディトリアルをすること自体がよくないというのはいかがなものか?」といったところで、最後にこの番組のキャスターである日下部なる人物は「編集されることと恣意的にねじ曲げるのは別なのに、編集されるのを理由にして既存メディアを拒否するのは政治家としてあまりにもひ弱ではないか?」と締めくくった。これは明らかに小沢一郎を意識しての発言である。
ま、この日下部のコメントは論外だが、もう一人のキャスターで、この特集で岩上にインタビューをした金平茂紀は、今のマスメディアの中ではまともな部類に入るのだろう。ただし、それでもやはりその発言には相当、違和感があったことも事実である。そこで以下に金平の発言を引用して、私の感想を書いてみる。
金平発言 その(1)
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既存メディアの一部の人たち、あるいは一部ではないか、もう少し多いですね、、、は既存メディアvs.インターネットを基盤にする新興メディアみたいな枠組みでモノを考える人がいるというのは、僕ははっきり言って古すぎるし、それ以上に自分たちの可能性をダメにしていっているというふうに個人的には考えているんですよ。
ただね、マスメディアに対する政治家が抱く不信ということに関して言えば、ダダ漏れですべてありのまま、初めから終わりまで全部垂れ流しにするのが真実を伝えことになるのかどうなのかということで言えば、マスメディア、あるいはジャーナリズムの機能として、その中の何が重要で、何がニュース性があるかということについての一定の価値判断が働く局面というのがありますですよね。活字で言えばもちろん字数の問題がありますし、テレビで言えば時間数の問題、枠というものがありますね。エディトリアルというのはものすごく大事で、つまりエディトリアルの質を競うというところが実はジャーナリズムのクオリティを高いもの、低いものっていうようなことで競うという伝統というのは、まあこれは長い歴史があるジャーナリズムの中での伝統的な考え方ですよね。
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金平発言 その(2)
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「私が申し上げたのは、政治家というのはある種の権力を持っているからというのがあってですね、1対1の市井の市民と、私たちが対等に向き合って真剣勝負をやるというようなこととは違う局面があって、権力を持っている人たちは自分たちにとって都合のいいものを一方的に流すということになると、それはチェックができないというかね。僕は古い考え方を言っているですよ、非常に伝統的なね、メディアが果たすべき機能として、力のあるものに対してチェックをする。それともう一つはアジェンダセッティングという、私たちが考えるべきものはどういう問題なんだろうかということを提示するというようなね。で、それは質問の切り口とか、そういう攻め口で、そういうものが自然に浮かび上がってくるということが、もちろんあるでしょう。それも大きな意味でいうとエディトリアルですよね。で、エディトリアルが僕らのある種の生命線みたいなところがあってですね、それを「いやそうじゃないんだ」と、私たちは生のものを全部差し出すことによって、見ている人にそれをいちいち全部判断してもらえばいいと、それはなぜならば見ている人たちにエディトリアルの権利があるからだというね、そういう考え方はもちろんあるでしょう。それを僕は否定するつもりはないんですが、僕の立場は、なぜこういうことをお聞きするかというと、問題意識が同じで今の既存のメディアというものが、そういう機能というかね、そういうものを恐ろしく失っていると思うから、危機感を抱いているんですよ。で、そこのところは同じだと思うんですよ、で、その次の段階が恐らく真逆だと思うんですよね。」
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最初に結論を言ってしまえば、ここで金平が言うところの「エディトリアル」の質の低さが、近年のネットメディアの台頭によって可視化されてしまったところに、今日のメディア不信の原点がある。
ちなみに私が言うネットメディアというのは、ネットを基盤にしてフリーで活動しているジャーナリストのみならず、その他、一般の多くのブログをも含むのだか、もちろん星の数ほどもあるブログの質が玉石混交であることは間違いない。しかし、その中から玉を探し出すことが容易であることが、ソーシャルメディアの最大の特徴なのである。
私の場合で言えば、「これは信頼できる」と思ったブログを読んだり(現状、政治系のブログでRSSリーダーに登録されているのは200弱だが、もちろん見出ししか読まないもの、じっくり読むものなどの区別がある)、twitterのTLを見ることで、日々のニュースに対する考え方をまとめていく。そうやってソーシャルフィルターにかけられた情報は、少なくとも私自身にとっては、マスメディアが上から目線で提供する「アジェンダセッティング」とは比較にならないほど有益である。
もちろん、自分好みのブログを読んだりtwitterのTLを作れば、情報の見方が偏るという意見もあるだろうが、幸いなことに現状では、まさにマスメディアの論調が私の見方とは対極にあるので、それにも合わせて目を通すことが、ネットから得る情報の検証になっている。
それにしても、、、
「ダダ漏れは権力者の都合のいいものを一方的に流す」という発言は、ネットジャーナリストに失礼な言い方である。つまり、ここで金平が言っているのは、「自分たちはプロのジャーナリストだが、ネットのジャーナリストなんて所詮、素人で御用聞きでしかないだろ」ということだ。
しかしながら、実際に少しずつではあるがオープン化された記者会見の中継をネットで見ると、圧倒的にくだらない質問をしているのは、その
しかも、それがメディアに露出する時にはさらに「編集」されているからたまったものではない。
(記者会見の完全版と編集版、いわゆるビフォー・アフターについては、当ブログ、本年最初のエントリーで紹介した動画を参照してください)
ただし、繰り返しになるが、そのマスメディアの劣化が可視化されたからこそ、ネットでの言論が勃興したとも言える。
そして、現在、ネットの一部には小沢待望論がある。もちろん、これがこの国の世論だというつもりは毛頭ない。数から言えばきわめて少数派ではある。しかし「マスメディアが言っていることはおかしいんじゃないか?」と気づき始めた人が増えていることもまた事実だろう。
今、マスメディアの経営が加速度的に苦しさを増しているのは、広告収入が激減しているからである。これまで、寡占化された市場の中で暴利とも言える広告収入を得てきた各社は、ネットが参入したことによって競争を余儀なくされ、結果、マスメディアの広告市場は調整局面に入った。
それと同じことが、実はメディアの本業においても起きているのだと私は思う。
これまで、「ジャーナリズム」という“商売”を独占し、あらゆる既得権益という脂肪を身につけた既存メディアは、結果、徹底的に劣化した。ところが、ネットメディア、ネットジャーナリズムが参入してきたことで、彼らと競争しなければならなくなった。
もちろん、メディアは本来、そんな競争はご免である。だから、記者クラブの殻に閉じこもり、必死になってネットを基盤とするフリーランスを排除しようとする。だが、いくら排除しようとしても、もはやそれはできない。なぜなら、情報を受け取る側、つまりお客がネットの方へシフトし始めたからだ。
そして、そのトレンドをいち早く察知した政治家がネットを重視し始めたとしても、それは当然の成り行きと言うべきだろう。
私も既存メディアの中で広告営業をしてきたが、告白すると、ネットが台頭してきた当初は、それを苦々しく思っていた一人だ。何しろ商慣習がまったく違う。それは、既得権益側から見ると、業界秩序を乱す存在にしか見えなかった。しかし、客はどんどん自分たちから離れてネットの方へ行く。
当初は、「まあクライアントも一度は新しいことを試してみたいんだろうけど、そのうちまた戻って来るだろう」とわれわれも、あるいは広告代理店も思っていたのだが、もとよりそれは根拠のない希望的観測でしかなく、実際、少なからぬ客は戻って来なかった。あるいは、戻ってきたとしても、これまでとはまったく異なる要求をしてくるようになった。
そうして気がつくと、これまで営々と築いてきたビジネスモデル、少し前までは漠然とではあるが、これからもずっと続いていくだろうと信じて疑わなかったビジネスモデルが脆くも崩れ去っていたのだった。
今、ジャーナリズムにも、その波が押し寄せている。だが、ことの重大性に気づいているジャーナリストは、残念ながらほとんど見当たらない。
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/2011/01/115-ccf4.html
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