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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4628
村木冤罪事件でまたもや起きた「親ガメ現象」
松本サリン事件からなに一つ変わらない日本のメディア
2010.10.13(Wed) 烏賀陽 弘道
ウオッチング・メディア
私が大学を卒業して朝日新聞社に「就職」したのが1986年なので、報道の仕事に就いて24年が経った。
17年間、私は朝日新聞の社員記者だった。そのうちの4年間は、新聞の社会部や支局で「警察・検察・裁判所」の事案を扱うのが仕事だった。10年間は週刊誌「アエラ」の記者だった。こちらは記者クラブに入っていないので、同じ社内という「直近」で、新聞と取材源を観察する立ち位置になった。その後、米国への自費留学を経て 2003年に朝日新聞を退社した。今はフリーランスの記者として活動している。
こういう経歴は日本の「報道業界」の中では希少だと思う。その経験から見ると、つい先日まで報道記者が誰もその「正義」「無謬」を前提にして疑わなかった検察庁特捜部からぼろぼろ逮捕者が出ていることは、「ソ連の崩壊のようなカタストロフ的な権威崩壊」をしみじみ感じる。
もう「検察の威信」「巨悪を眠らせない」とか言い張っても誰も相手にしないだろう。これからの日本の刑事捜査や犯罪報道は今回の「フロッピーディスク証拠偽造事件前」と「事件後」で語るのが適当と思う。
検察情報を取ってくる記者は賞賛された。
ところが、だ。その検察が「高級官僚汚職」と鳴り物入りで逮捕した村木厚子・元厚生労働省局長は一審で無罪判決。ふだんならメンツだけで控訴する検察がそれもできない。
ここまでだけでも目を覆いたいような「大惨事」なのに、有罪を取るための証拠偽造=背筋が寒くなるような「権力犯罪」までバレた。メタメタである。
この検察が持っている「発表されていない情報」を聞き出すために家族との時間も眠る時間も犠牲にして走り回っていた記者たちは、真剣に「これからどうすればいいのだ」と苦悶せずにはいられないだろう。これまで四半世紀の間やってきた仕事が無力化されてしまったのだ。同じ検察担当出身の「先輩」「上司」も途方に暮れているはずだ。新聞社内は上から下まで茫然自失で誰も次の手が思いつかない状態に追い込まれている。
過去何年も「水は上から下に流れる」という物理法則で生きてきたのに、ある日突然水が下から上に流れ始めた、みたいなコペルニクス的変動が「検察情報を信用できない」という現実だからだ。
絶望的に変わらない「捜査機関の情報がニュース」という構造
バカじゃないの、と普通の読者なら思うことだろう。検察のような「権力を疑う」あるいは「少なくとも鵜呑みにしない」のが新聞社の仕事でしょう。そう思われるだろう。まったくその通りです。事件担当を遠く離れた私もそう思う。
が、新聞社にいて事件担当記者でいると、そういう「捜査機関の内部情報こそがニュース」という「特殊な」ニュース価値が強固な磁気を放っている。そして、それは「捜査機関の内部情報を取ってくるのが優秀な記者」という人事考課の価値になり、最後は組織の価値観になる。
私が事件担当記者だった20年前に比べると、現場記者の捜査情報への感覚はもう少し変わっているかもしれない。いや、そう願うし、そうでないと困る。しかし、今回の村木局長事件報道の紙面を見ていると、「捜査機関情報をどうニュースとして扱うか」という作法・発想は、私が入社した前後の四半世紀前からまったく変わっていない、あるいはひどくなっているとしみじみ感じた。
まあ「容疑者」だとか免罪符的な呼称を付けるとか、レトリックは若干変わったのだが「捜査機関の情報がニュース」という構造は変わらない。25年変わらないなら、これはもう絶望するしかない。この新聞の「改革にあくまで鈍感なありさま」は、私を悲観的にする。
捜査機関が間違うと、警察・検察の捜査情報を「ニュース」として依存しているクラブ系メディアも総崩れになる。さらに、記者クラブ系記者から「取材」した(あまり指摘されないが、雑誌記事の事件取材の作法として、記者クラブ記者に取材することもよくある)、あるいは記者クラブ系メディアが描いたス トーリーに依拠した週刊誌・月刊誌など雑誌メディアもみな間違う。
こういう現象を私は勝手に「親ガメこければ子ガメ孫ガメみなコケる現象」と呼んでいる(長いので「親ガメ現象」とでも呼んでください)。
この親ガメ現象が衆人環視の中で起きたのが、94年に発生した「松本サリン事件」だった。ご存じの通り、長野県松本市の住宅街で神経ガスがばらまかれ多数が死傷するという事件で、長野県警は現場直近に住んでいた河野義行さんに疑いをかけ、逮捕の寸前まで行った。新聞やテレビ、雑誌も捜査 情報に依拠して「河野=クロ」説の記事を洪水のように流した。
が、結局、サリンはオウム真理教の犯行で、河野さんはまったくシロ、それどころか重篤な被害者の1人だったということが証明されてしまった。「真犯人」が分かったのが河野さんには不幸中の幸いだった。そうでなければ、河野さんも逮捕され、冤罪としてそのまま闇に葬られたのではないか。
読者は学習したことだろう。「なんだ、警察の捜査はこんなに完璧に間違うことがあるのか」と。そして「なんだ、新聞やテレビはこんなに捜査機関の情報に依存してノーチェックなのか」と。そして「なんだ、捜査が間違えると、メディアは総崩れになるのか」と。
松本サリン事件での河野さんの無実が証明されたとき、私はため息が出た。こうした「警察情報に依拠した報道が、逮捕された時点で被逮捕者を犯人扱いして暴走する危険」は、事件が起きる10年前から指摘されていたし、私も仕事で経験していたからだ。
例えば私が大学生だった84年、共同通信記者だった浅野健一氏(現同志社大学教授)が『犯罪報道の犯罪』という著書でその可能性をすでに指摘し、喧々囂々の議論を呼んでいた。
当事者双方の言い分を取材するのが鉄則のはずだが
そして86年に私が三重県津市で事件担当記者になってみると「警察に逮捕された人の言い分は誰も取材しない」「取材しようという努力すらしない」 「取材しなくても上司は当たり前だと思っている」「警察の言い分だけで記事が書かれる」「警察も被逮捕者に会わせようとしない」という現実が待っていた。
「どんな記事も必ず当事者双方の言い分を取材せよ」と厳命される一方、ニュースの中心である事件報道は巨大な例外という奇妙な世界だった。
私も間違えたことがある。名古屋市で警察担当記者だった89年6月、団地に住む男性が末期がんの妻を自宅で絞殺する事件が起きた。
警察署の広報担当(副署長)の話を聞いて数時間後の締め切りに合わせて第一報を書くだけで精一杯だった。「看病疲れが原因」というその記事を読み返してみると「病気の妻が邪魔になって殺した」とも読める。顔写真まで載っている。
本当はその後も取材を続け、近所の話を聞いて回るなり、病院や勤務先で話を聞くなりすればよかったと思う。が、天安門事件はじめ重大事件がドカドカ舞い込んできてキリキリ舞いになってしまった。
やがて男は起訴され、裁判のあと判決を受けた(同年11月)。先輩の裁判所担当の記者が書いた記事を見て私は愕然とした。犯行の動機は「苦しんだら殺してくれと妻に頼まれた」「激痛に苦しむ妻を見ているのに耐えられなくなった」と書いてあったのだ。つまり嘱託殺人だ。
警察の逮捕段階では分からなかった詳しい動機や事情、背景が5カ月の裁判の間に出てきたのだ。献身的な看護をしていた男に同僚や近所の人も同情的で、男は執行猶予付きの有罪判決を受け、控訴しな かった。
この事件の背景には「がん患者と家族の精神的ケア」「終末医療」や「尊厳死」といった大きな社会問題がごろごろ転がっていた。私はそのどれをも見逃した。取材時間の乏しさゆえに、警察の情報しか書く材料を取材しなかったからだ(詳しくは拙著『「朝日」ともあろうものが。』参照)。
もうお分かりだと思うが、松本サリン事件は「警察に依拠して記事内容を決める」「捜査情報を検証しない」「当事者に取材しない」という同じ情報構造の中で起きた最悪の惨事だ。
そして村木局長事件も、警察が検察になっただけで、まったく同じ構造なのだ。80年代中頃から2010年に至るまでの四半世紀、新聞社(テレビなどの記者クラブ系マスメディアもおそらく同じ)は、その構造上の欠陥を放置したまま、同種の加害を繰り返している。そのことを忘れてはならない。
「FD証拠偽造報道が新聞協会賞を受賞しました」なんて朝日新聞の自画自賛(1面で報道するような話ではない)にごまかされていてはいけないのだ。(つづく)
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新聞記者時代、検察(検察官だけでなく、検察事務官、OBの弁護士のこともある)から出た情報は、ほぼそのまま「検察(関係者)によれば」などのクオート付きで報道して、社内では批判も叱責も受けなかった。
もちろん、都道府県警レベルの警察情報でも、程度の差こそあれ「信憑性は高いと見なしていい」というコンセンサスが社内にあった。が、検察に至っては「検察が言っていることは限りなく事実に近い」という受け取り方を、記者、キャップ、デスク、部長など社内の誰もがしていた。
まあ「裏取り」(2つ以上のニュースソースで情報が正確かどうか確認すること)は必要だが、シングルソースでも「検察から記事にできるような情報が取れるだけでも大したものだ」とデスク(原稿の点検役である部の次長)に賞賛されたりしたものだ。それくらい「検察情報」の価値は新聞社内で高かった。
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