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通貨の拠り所を、金におこうが、国の信用におこうが、とどのつまりは、
1)1万円は一定量の物やサービスと交換でき、
2)今年1万円で交換できた量と質が、来年もおおよそ同じだけ交換できると予測している
ことです。
国債でも、他の債権でも、それは同じです。
歴史の中のある時期、市中の銀行が通貨を発行する時がありますが、このときの通貨の拠り所も同じです。
通貨を発行する銀行は、発行によって益を手に入れますが、市中全体としても、同等の益を得ます。この点が大切です。
実際、市中の銀行が100トンの金を保有しているとき、市中で金1トン=通貨で10億円として、典型的には、10億円×100×10、1兆円分の通貨を市中に出すようになります。
×10が、大切な点で、×10は、実は、経済規模とともに変化したのです。(誰が、それだけの経済規模を生み出すかが、むしろ問われるべきですが、ここでは省きます。)
まず、銀行が通貨を発行せず、100トンの金によって経済がまわれば、10億円×100、1千億円分の金が回るだけの経済規模となります。
次に、銀行が×5の通貨を発行して市中に均衡が生まれていれば、5千億円分の通貨が流通するだけの経済規模が生まれています。
×10であれば、1兆円の通貨が流通するだけの経済規模が生まれたわけです。その量で、均衡がとれたのです。(均衡点は、規模とともに変化します。)
結局、銀行も益を手に入れますが、市中も、その分の益を手に入れたのです。(銀行は、あまり働かないで益を手に入れたように見えます。それが、怨嗟のもとになりますが。)
ところが、銀行はしばしば通貨の乱発を行い、市中が混乱した結果、ひとつの銀行がより慎重に通貨を発行し、他の銀行は、それを借りて事業を行うようになります。中央銀行の始まりです。
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銀行による信用創造と、市中の経済規模の拡大も同じ拠り所を持っていますが、別途、再確認をしたいと思います。
王による国債の発行は、やっかいな課題を持っていて、それは現在まで続いています。別途、再確認したいと思います。
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- 通貨とは 山田の案山子 2010/10/24 14:28:46
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