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とうとう現れた…「サウジの金塊」
「日華の金塊」に対する批判
5月10日に上梓した拙著『狙われた日華の金塊』(小学館)について、筆者である私の下に実に様々なコメントが寄せられてきている。「米欧勢が最後に狙っているのは日本勢と華僑・華人ネットワークが数百年間にわたって退蔵し、管理してきた簿外資産としての“日華の金塊”に他ならない」――シンプルに言えばそのようなテーゼがこの本を貫いているわけだが、「至極納得」と激賞される方がいらっしゃる一方で、「原田武夫はいよいよ気でも狂ったのか」と本気で心配して下さる方すら出始めている。
後者のタイプの方々が引っ掛かっているのは、どうやら「国家の統治集団はいざという時のために“簿外資産”を保有している」という点であるようだ。「国民国家では予算法律主義が貫徹されているはず。そうである以上、日本勢のいう『特別会計』ならまだしも、“簿外資産”として金塊がしかも国外に存在することなど全くあり得ない」とこれらの方々は声高にコメントされる。
しかし、ここで一つ冷静になって考えてみて頂きたいのだ。一般に、いわゆる“左翼史観”においては、「民衆が君主による圧政に対抗する形で市民革命を起こし、近現代の国民国家を基軸とする資本主義社会の時代が到来した」と語られる。そこで描かれる君主とは、余りにも身勝手な存在であり、無知であり、傲慢な人物たちだ。その振る舞いに怒り狂った民衆が“解放”という形で市民革命を起こすというシナリオは、一見すると分かりやすい。
だが、ここであえて読者の皆さんに問いたい。「君主は暴力によって駆逐(くちく)され、廃されるか、あるいは“立憲君主=君臨すれども統治せず”のステータスに封じ込まれた」というのは、本当なのだろうか、と。もっといえば、実のところ君主たちは“封じ込まれたふり”をしているだけなのであって、実際にはより巧妙な手段で私たちを統治し続けているのではないだろうか。そしてそれでもなお、最終的にこのシステムを大転換させる必要性が生じる際に使ういわば「伝家の宝刀」として、残存する君主とその周辺に位置する者たちは“簿外資産”である金塊を保持しているのではなかろうか。
金準備を突如“修正”したサウジアラビア勢
こうした観点でマーケットとそれを取り巻く国内外情勢を東京・国立市にある我が研究所でウォッチしていると、一つの気になる情報が飛び込んできた。
6月21日にワールド・ゴールド・カウンシルが公表した統計によれば、中東勢の雄であるサウジアラビア勢の中央銀行が保持する金準備(gold reserve)が突如、倍以上に増加したのだという(6月21日付米国ブルームバーグ参照)。具体的には今年(2010年)3月の段階では143トンと申告していた保有量が、6月には一転して322.9トンにもなったと報告されている。――これはまさしく「事件」だ。
もちろん、この間に生じた一連の金価格上昇について、「サウジアラビア勢が金購入を続けていたからだ」と理由づける向きもいるだろう。だが、オイル・マネーを潤沢に有するサウジアラビア勢が「金(ゴールド)」を盛んに買い始めたというのであれば、もっと急騰してもよさそうなはずである。ところがそれに相応した「急騰」とは言いにくい金価格の推移が、この時期には見られなかったのが実態でもあるのだ。
一方、サウジアラビア中央銀行自身がどのような説明をしているのかというと、「金準備の算定方法を変更した」と説明しているのだという。だが、これもまた極めて不自然な説明にしか思えないのは私だけだろうか。何せ、倍以上に増えているのである。「単なる計算方法の変更」と言い切るには、相当難がある。また、そうした算定方法の変更の詳細は一切明らかにされていないことも気になって仕方がない。
最も素直に考えれば、要するに西側諸国と違って「家産国家制」の色彩の強いサウジアラビア勢の中で、本来は王家の私的財産と見なされてきた金(ゴールド)が、何らかの理由で「公的な資産」とこれからは計算されるようになったと見るべきなのではないだろうか。仮にこれが真実であれば、サウジアラビア王家の保有している金塊は必ずしも近現代に取引されたものである必要性も無い以上、マーケットが公的に「金塊」と認め、打刻されたものであるかどうかも疑問無しとはしないのである。――つまりは、「サウジの金塊」が突然、マーケット外から登場した可能性は否定できないというわけなのである。
「その時」に金価格はどうなるのか?
この点も含め、今後、激動が想定される“マーケットとそれを取り巻く国内外情勢”と、その中で米欧勢、さらには中東勢が密かに描き、着々と実現してきている戦略シナリオについて私は7月23日(金)、24日(土)、25日(日)にそれぞれ神戸、大阪、名古屋にて開催する「IISIAスクール」で詳しくお話できればと考えている。ご関心のある方は是非ともお集まりいただければ幸いである。
繰り返しになるが、今回の「サウジの金塊」を巡る内幕が事実であれば、世界中の君主とその周辺たちがいよいよ“簿外資産”としての金塊をマーケットへ放出し始めるという“潮目”の予兆である可能性が高いというわけなのである。この「サウジの金塊」について日本勢の伝統的な大手メディアたちは、不思議と完全に黙殺したままだ。しかし、冒頭に述べたとおり、金融メルトダウンがいよいよ最終局面を迎える中で、こうした意味での“簿外資産”に最も注目が寄せられているのが、他ならぬ私たち=日本勢であり、その「日華の金塊」なのである。サウジアラビア勢が密やかに見せ始めたこの“潮目”が、いよいよドミノ現象を世界中で巻き起こす時のことを、そろそろ私たち=日本勢は考えておくべきなのだ。
ポイントはこれら“簿外資産”は、その性質上、恐ろしく前近代的なものである可能性が高いということである。つまりは事実上、「マーケット外」からこれら大量の金塊が投入される可能性があるわけなのであって、正に「その時」こそ、今、念頭におかれるべきタイミングなのである。そしてこの「その時」、問題の金(ゴールド)は、どのように評価されることになるのだろうか。「本来、マーケットの中にあるモノだけしかないと考えられていたからこそ値がついていたモノがあるとする。ところがマーケット外から同じモノが出てきてしまうとするならば、モノの量は明らかに最初考えられていたよりも多いことになる。すると必然的にそのモノの価値は下がる」――今後想定される金(ゴールド)を巡るストーリーを考えるにあたっては、こうした至極当たり前の一般則を、念頭に置いておくべきなのだろう。すなわち、「サウジの金塊」はあり得べき金価格崩落に向けた“潮目”の予兆に他ならないのであって、そのことに今の段階から気付き、備えた日本人だけが、金融メルトダウンの「次のフェーズ」に向けた切符を手に入れることになるのかもしれない。
(新世紀人コメント)
「原田武夫はいよいよ気でも狂ったのか」と本気で心配して下さる方すら出始めている。
…ハハッ、いやいやそうは思わない。
私は、さすがに金融関係出自の原田氏のことはある、と考えるのだ。
ごく単純に考えてみようではないか? …危機において人々が頼ろうとするのは果たして何か? と言う事だ。
その単純な事が米国金融帝国主義破綻のこの時代においても底流として流れている筈だ。
動乱が常であったチャイナ大陸においてチャイニーズの金持ち達は何を頼りとしてきたか?
又、彼らは共産政権の成立と現代においてのイデオロギー実質放棄に至る過程において大陸でどの様な投資活動の変転を経過させて来ているのか?
その様な事は、欧州の王侯貴族達や世界を股にかけてのユダヤ資本においても言えるであろう。
危機においても救いをもたらすものは何か? それを確保しつつ「歴史の大転換」を自ら仕掛けるはずである。
そうしなければ、自分たち自身が歴史の沈没に巻き込まれてしまうからだ。
それがあるから、今までの仕掛けを惜しげもなく壊しきる事が出来るのだ。
堪らないのは被害者である壊されるシステムの国民であり、住民である。
しかし、それら金融家やエリート達の有様を鳥瞰している目がある。
それは「見えざる目」とでも言うべきものだ。
その目は総てを見通している。
その眼下で金融家やエリ−ト達はもがいているのが実相である。
日本の歴史上においても平安朝秩序の崩壊後には、二度と藤原氏は政権担当に戻れなかった。
この冷酷な意味を知る者は幸いであろう。
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- 実際は サウジ中央銀行による「隠れ外貨準備」のポートフォリオ見直しです。(紙幣→Gold は、価値保存手段の原点回帰) 月読 2010/7/10 22:51:13
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