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(回答先: 進化を求める私(その39)・ 日本人への予言と外国人への予言-c 投稿者 元伊勢80社 日時 2011 年 7 月 01 日 12:03:52)
"このように"個々の信念というものがその行く先々を決定する
その数が多ければよりスピーディに幕開けは始まる
望む望まないに関わらず
あなた方が抱く信念が祈りであるのだから
信念とは何もポジティヴである必要は無い
終末論的な破壊の様相を伝えた預言なる数多の類いは
ネガティヴな存在からネガティヴな存在へと伝えられた
ネガティヴな信念である
やはりそれを呼び込むのはネガティヴな存在だけである
よってネガティヴな事実としての未来を作り出すのは
あなたがたひとりひとりの力であり
信念とは約束であり
それは多くのレベルで必ず果たされる
隕石をこの星に招き呼ぶのも
個々の祈りの集積した数の力が叶った為であるのだから
それは確実に「求め」に遵って与えられるのだから
ともかく「求め」は実際求めていなくとも
あなた方の思考の集積によるものとなってしまう
暗示的に恐怖を与えれば人々は不安になる
その不安がまた不安な未来を造るようになる
1970年代頃から宝瓶宮の時代は始まりを見せ
同ステージに転生したきたある種の存在は
この時期その約束を果たすべく個々にその人々にとっての平和を招く使者である
目覚める事が条件では在るがその力を持っている
では我々もまたどうしたらいいのかもう理解出来る所だろう
この地球の状況というものは我々は十分に熟知している
そうした二元性で造られたステージが如何に特殊な環境であり
一元性のポジティヴな世界からは完全に切り離されたものであるか
混沌とした世界であるのかを我々は知っている
ポジティヴな明るい世界の変革を望んでいるのか
それとも何を信じたら良いのかも判らず
誰をも信じる事が出来ずに
混乱の末世に涙を流し尽くして枯れたいのか
・・・最近は夢で新たな種々の事を学ばされて来たが
地球の今の地軸の回転では
物事の内容が真実とは真逆に反転して
外側に伝えられているというような事らしい
これは完全にポジティヴな存在に我々にとって不要な
幾つもの思い違いを与えてきた
それから6以上10未満の数の使い方についての注意と
発声する者同士を向かい合わせた時に起きる共振現象による
音(風?)の絶大なパワーのことである
ポジティヴな発声「あ」が起こす渦巻く風は
共振すれば強力なつむじ風を起こす
共鳴しひとつとなった「ギュルル・・」という凄まじい音は
物質の固有振動数を高めあらゆる物質のネガティヴな性質を変容させる
・・という類いのもの
・・どれも理解が不安定であるが確証高く説明されて学んでいる
どこにもいつまでも変わらないでいられる場所などない
今はただとにかく全ては調和が大事で献身的な愛が不可欠である
ということであり
それは自身が愛を欲さずに
愛を与える事が大事であると云う事である
「求めよ されば与えられん」
「汝する勿れ」
この二つは我々が知る所真逆の教えであった
前者は神の子としてのキリストが齎した真実であるにもかかわらず
誰もが使いこなせずに居り
後者はこの国の人間のネガティヴなシーンを巧みに利用し
支配を目論んでいた存在から伝えられた支配に不可欠な一文である
後者は自身を神と名乗っていない
判別は容易だ
だが前者とて言葉として残されたり
組織として機能した一団に残されたものであれば
我々は真意をその感性で理解出来ない
日本は語り部たちが口伝でそれらの事実を残して来たのである
モーセの場合はその開かれた感性故に
ネガティヴなものをもすべて受け入れたが
そこに乗じてネガティヴな存在への介在も赦してしまっている
それはそうあらねばならないという考えもまた
個々に感性によって伝えられて然るべきものであると云う事
代弁者による信念の押し売りは要らないのである
それらの横行には一人一人が関わらなければいいだけの事
赦すように受け入れて我慢する位なら関与しなければ良いのである
宗教とはまず組織ありきでありこれは閉じた世界であり
真実としてのメッセージも時に誤りを与える
それは確かにドラマティックではあったがもはや不要である
我々の多くはその他者からの受け売りを絶えず守り通さねばならない
という強迫観念に近いものに疑問を感じている存在でもある
物事は常に個々の感性の中で開発され新たに進歩していくのだから
自らを圧迫しうるネガティヴな支配にも甘んじると言う
ある種別種の体系での学びをこの星に確立して来たのである
ただし支配と言うのは統治者としての権力者がその地位に就いても
圧政を敷かずに穏和な暮らしを徹底する上では「支配」ではない
それは幾多の文明の起こりの初期では必ず見られたと云う事である
統治者が望まれない支配者に成り代わる時にはその文明も乗っ取られてきたのである
エジプト然りマヤ然り
それは我々一人一人が組織立ってそこに依存していくのではなく
個々に進化を求めなければならないということへの戒めでもある
同類が集まって組織的になる事が当然であり
組織ありきでは何も意味を為さない
あなたがたは苦しみを見つめるあまり
楽をする事にも不必要に目が行きがちになる
楽が出来ないと考えれば考える程
苦しみを際立たせ痛みを感じて
これは被支配だと吠えるようになる
それも新たな混沌への道筋を追い求め続ける原因となる
自由で豊かな倖せの感情とは
忙殺される時の中には存在しないものだが
すべてはほどほどが大事であり
そうであれば苦は無い
支配も必要ない
それはこれから訪れる世界には限りなく溢れている
それを呼ぶにはあなた方の創造する力が必要なのだ
汝ポジティヴであれと云う事だ
対立するな
気をもむな
そこから離れて
安堵する道筋の中に
夢を見よ
そして明るさの中にこれからの時間
心の中に凝縮した光と風を入れよ
そしてもう一切自身の感性以外のものに振り回されるな
自由とは何かなどと問う無意味な暇を造るな
我々が注意しなければならないことは
自身の感性だけである
権威に弱いのにも訳が在る
しかし他者がどうであれ権威がどうであれ
あなたにそれを見分ける感性の開発が
なによりも必要なのである
あなたが誠にポジティヴな存在としての行動をとれば
権威力などというものはあなたは振り回されない
人々を無償に愛しどんな存在にも垣根無く貢献しようとする事である
ネガティヴな存在をも巻き込んで考えを改めさせる力である
直接的にあなた方一人一人が神としてのその力を有している
ということを理解すること
自分の中心なるを感じてほしい
その願いや想い如何で
人類の未来は一つであっても
道筋は個々にまったく別個のものとなるだろう
あなたが何を望むかに従順であるべきなのだ
一人が全体の為に為せる事とは
全体の倖せを祈る事であり
祈る事とは望む事であることで
今はまだこの世界では不安や恐怖
望まぬ事も祈りとなると云う事を注意しなければならないということだ
恒久なる平和と人々の安寧なる居住空間や生活様式に
これまでどれだけの想いを抱いて来たというのか
そしてどれだけ望まぬものをそこに対峙させて苦痛を生み出して来たのか
善や正義を思えば思う程
あなた方はこの世界では「極の端」に立ち
自動的にもう一方の極に目を向け続けて来ているのだ
それはポジティヴであるとは言えない
二元性をやわす三位一体の観点から
父と母に対する「子」の部分である
「理解」や「調和」に自身を置いて於かなければならない
ネガティヴな勢力は常に開かれたポジティヴ性に対して
せめぎ合いを続けており
それは破壊的衝動としての性質であるのだから
それに対して同様の感情を反応させてはなら無いのである
調和というものの力を今に見直し
その力を我々はここで今示す事が出来るのかも知れない
闘いに終止符は打たれ
すべてはポジティヴな世界に再び戻る為に私はここに来た
間違いなく世の中は変わるのだからここに来たのである
国とはそもそも神道では地球の事をさすのであり
すべての種族は民である
劣等感は優越性を求め
優越感は劣等性を生み出す
ボタンの掛け違いを論じてもなにもならない
過ちは全て水に流すべきなのである
すべては学びでありひとつに統合されていくにあたって
課題を分け与えて同時期に学んでいるのだ
個々で生まれた新たな息吹を携え
私はまた別種の和合の力をこの星に見た
それは素晴らしいひとつの宝なのである
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