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(回答先: いま我々は学びつつある:藤田幸久『9.11疑惑国会追及』出版に寄せる特別メッセージ 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2009 年 3 月 28 日 22:03:43)
読ませていただきました。確かに長いので分けて読んだのですが、重要な内容が、説得力を持って書かれていると思いました。ただし、『9.11テロ』に疑惑を持つ前にこれを読んだらどうだっただろうと思うと、話半分に読んだのかもしれません。
『9.11テロ』に疑惑を持った後では、確実に世界に対する見方が変わりました。「世の中には、とんでもなく巨大で悪辣な行為というものがあるようだ」ということを知らさせたのです。
当然、それを誰が行ったのかということを知りたくなります。これだけ巨大な企みだと、その背景も大きくて奥の深いものだと推定します。
書店に行けば、いわゆる『陰謀論』の本も多数並んでいます。これらの中に真実もあるのかもしれないと思うのですが、推測に満ちた不確実な情報も多い感じがして躊躇します。また、そこには巧妙な情報操作も盛り込まれているかもしれません。そんななか、次のような考え方は、当然であるし、重要だと思います。《いま我々は学びつつある@》から引用します。
【「全能の神(悪魔?)のような陰謀主体」を想定して、すべてをそこに演繹的に帰結させるような考えは単なる知的怠惰であろう。このような考え方は要するに一神教的世界観のグロテスクな変形に過ぎない。したがって例えば「ユダヤ人が何百年も前から仕組んできた陰謀」であるとか、「フリーメーソン」「イルミナティ」等々に、様々な現象を結び付けて説明して「事足れり」とするような態度にも、私は「偶然史観主義」と同様に強い違和感を覚える。
この世に陰謀、謀略、だまし、やらせ、詐欺、でっち上げ等々が存在するのは当然なのだが、あくまでも人間の世界は多元的・相対的・流動的でしかなく、どのような陰謀主体も無様につぶれることもありうるし途中でその意図を変更させざるを得ないこともあろう。陰謀・謀略を練る者が意図を持った人間であり、それを見破って打ち破ろうとするのも、すべてが意図を持った人間だからだ。】
http://doujibar.ganriki.net/peace&prosperity-1.html
私自身が直感的に思うことは、植民地から莫大な「うまい汁」を吸っていた人々は、植民地を失った形となっても、何とかしてその一部でも、引き続き吸うための策を必死で考えただろうということです。多くの目論見は失敗したかもしれませんが、いくつか、巧妙で、うまい手がみつかり、続けられているのではないかということです。
《いま我々は学びつつある》には、上のように、いくつか抜粋したい部分がありますので、後でそれを投稿させていただこうかと思います。