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http://mainichi.jp/enta/art/news/20090302dde018040043000c.html
村上春樹さん:イスラエルの文学賞「エルサレム賞」授賞式・記念講演全文/上
作家の村上春樹さんが2月15日、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」の授賞式で行った記念講演が大きな反響を呼んでいる。体制を「壁」、個人を「卵」に例え、「私はいつも卵の側に立つ」と、作家としての姿勢を語った内容だ。イスラエル軍の攻撃によってパレスチナ自治区ガザ地区で1000人以上が死亡した直後だけに、受賞拒否を求める声も挙がったが、村上さんは「語らないよりは語ること」を選択した、と出席を決めた理由を明言した。そこで、村上さんが英語で行った講演の録音を文章にし、全文を2回に分けて掲載する。(翻訳は学芸部・佐藤由紀。英文、和文の全文はmainichi.jpにも掲載しています)
◇小説家は、隠れている真実をおびき出してしっぽをつかみます
◇壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます
こんばんは。私は本日、小説家として、長々とうそを語る専門家としてエルサレムに来ました(聴衆から笑い)。
もちろん、うそをつくのは小説家だけではありません。ご存じのようにうそをつく政治家もいます。失礼しました、大統領(聴衆から笑い)。外交官や将官も、中古車セールスマンや肉屋、建築業者と同じく、それぞれの都合に応じてうそをつくことがあります。小説家のうそが他と違うのは、誰も不道徳だと非難しないことです。実際、より大きく上手で独創的なうそをつけばつくほど、人々や批評家に称賛されます。なぜでしょうか。
私の答えはこうです。巧妙なうそ、つまり真実のような作り話によって、小説家は真実を新しい場所に引き出し新しい光を当てることができるからです。大抵の場合、真実をありのままにとらえて正確に描写するのは実質的に不可能です。だから、私たち(小説家)は、隠れている真実をおびき出してフィクションという領域に引きずり出し、フィクション(小説)の形に転換することで(真実の)しっぽをつかもうとします。
でもこの作業をやるには、まず最初に、私たち自身の中の、どこに真実があるかを明確にする必要があります。これが上手なうそを創造するための重要な能力なのです。
でも、きょう、うそをつくつもりはありません。できるだけ正直に話そうと思います。1年のうちで数日しかうそをつかない日はないのですが、きょうはたまたまその日に当たります(聴衆から笑い)。
だから、真実をお話ししましょう。日本でかなり多くの人に、エルサレム賞授賞式に行くべきではないと助言されました。一部の人には、もし行くなら私の著作の不買運動を起こすとさえ警告されました。
理由はもちろんガザ地区で起きている激しい戦闘でした。国連の発表によると、封鎖されたガザ地区で1000人以上が命を落とし、その多くは子どもや老人を含む非武装の市民でした。
授賞通知をいただいたあと、このような時期にイスラエルに出向き、文学賞を受けるのは適切なのか、これが紛争当事者の一方を支持し、圧倒的に優位な軍事力を行使することを選択した国の政策を承認したとの印象を作ってしまわないか、と、たびたび自問しました。もちろん(そうした印象を与えることも)著作が不買運動の標的になることも、あってほしくないことです。
しかし、考えに考えた末、最終的にはここに来ることを決めました。理由の一つは、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからでした。他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたのと正反対のことをする傾向があります。もし、「そこへ行くな」とか、「それをするな」と命令されたり、ましてや警告されたりすると、私は逆に「そこ」へ行ったり「それ」をやったりしたくなります。あまのじゃくは小説家である私の天性といえます。小説家は特別な種類の生き物です。自分の目で見たものや、自分の手で触れたものでなければ、心から信頼できません。
だから私はこうしてここにいます。欠席するより出席することを選びました。見ないことより自分で見ることを選びました。何も語らないより、皆さんに語ることを選びました。
だから、ここでごく個人的なメッセージを一つ紹介させてください。小説を書いている時、いつも心に留めていることです。紙に書いて壁に張ったりはしませんが、心の中の壁に刻まれているもので、こんなふうに表現できます。
<高くて頑丈な壁と、壁にぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私はいつでも卵の側に立とう>
ええ、どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく何が誤りかという判断は、誰か別の人にやってもらいましょう。時間や歴史が決めてくれるかもしれません。しかし、どんな理由があっても、もし壁の側に立って書く小説家がいるとすれば、作品にどれほどの価値があるでしょう。
ここで申し上げた壁と卵のメタファー(隠喩(いんゆ))の意味とは何でしょう。ごく単純で明らかな例えもあります。爆撃機、戦車、ロケット弾、そして白リン弾は、高い壁です。卵は、押しつぶされ、熱に焼かれ、銃で撃たれた武器を持たない市民たちです。これがメタファーの一つの意味であり、真実です。(後半は3日夕刊に掲載します)
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■解説
◇人間の尊厳を訴える 聴衆に問題の見つめ直し求め
エルサレムの国際会議場で行われた村上春樹さんの記念講演には、地元のファンら約700人が詰め掛けた。村上さんの著書は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』など11作品がヘブライ語に翻訳されており、イスラエルでも特に人気の高い外国人作家の一人だ。村上さんは時折、笑いを誘いながら、控えめな口調でメッセージを伝えた。
冒頭、村上さんが小説家と政治家、外交官らの使う「うそ」の違いを説明すると、会場がどっと沸いた。最前列にはノーベル平和賞受賞者のペレス・イスラエル大統領と、地元エルサレムのバラカト市長が並んでいた。和やかな雰囲気が広がった。
それが、村上さんの「(きょうは)真実をお話ししましょう」という言葉を機に、場内は静まり返った。身構えた、と言う方が正確かもしれない。イスラエル軍のガザ攻撃により、日本国内で受賞拒否を求める声が挙がったことは、イスラエルでも話題だったからだ。
村上さんは講演当日発行のイスラエル最大紙イディオト・アハロノトのインタビュー記事で、イスラエル軍の「過剰攻撃」に踏み込んだ発言をしていた。
「イスラエルにはイスラエルの道理があると理解している。ガザからロケット弾が撃ち込まれている事実を承知している。しかし、要はバランスの問題だ。イスラエルは強大な軍事力を持っているが、ガザにはない。反撃は激しすぎた。これは単に私個人の意見ではなく、日本の一般的な見方だ。私たちはイスラエルを批判しているのではなく、その行動を批判している」
講演では個人を「卵」、体制を「壁」に例え、人間の尊厳を強く訴えた。紛争の当事者であるイスラエルやガザのイスラム原理主義組織ハマスという具体名には直接、触れていない。聴衆自ら問題を見つめ直してほしい、とのメッセージだったのかもしれない。
村上さんは満場の拍手に包まれて講演を終えた。退場の際には大勢のファンにもみくちゃにされながら、次々と差し出される自著にサインして回った。
左派寄りのイスラエル紙ハーレツは2月17日付紙面で、講演元原稿をすべて掲載した。他のメディアも講演内容の解釈より、村上さんの言葉そのものを引用する報道が目立った。保守系紙エルサレム・ポストは、村上さんの講演趣旨を「イスラエルは『卵』ではない」と要約。自国批判だったと示唆しながらも、全体的には淡々と伝えて「あいまいであっても、これが真のムラカミ・スタイル」と評した。【エルサレム前田英司】
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■ことば
◇エルサレム賞
「社会における個人の自由」のために貢献した外国人作家に隔年で贈られるイスラエル最高の文学賞。過去の受賞者には英国の哲学者バートランド・ラッセル、メキシコの詩人オクタビオ・パス、米国の作家スーザン・ソンタグらがいる。
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■人物略歴
◇むらかみ・はるき
1949年生まれ。79年『風の歌を聴け』でデビュー。乾いた文体で現代人の喪失感を描き、人気を集めている。小説以外に、オウム事件の被害者に取材した『アンダーグラウンド』など、社会的関心を示したノンフィクションもある。