パレスチナ問題とガザ危機の背景 エジプトなど親米政権の共謀と思惑--地域的にはハマス の人気が上がる――もしハマスがこのイスラエルとの最近の対決を通じて、部分的ではあれ勝利者と見なされるのであれば、ハマスは何をしなければならないのでしょうか。ハマスにとっては生き延びるだけで十分なのでしょうか。彼らは自らの立場を保持しなければならないのでしょうか。 ハマスがこの戦争をくぐりぬけて自らの立場を保持することになれば、そうでしょう。地政学的諸条件のために、彼らはすでに二〇〇六年のヒズボラよりも確実に高い比率の死傷者を自らの戦列の中に生み出しています。 覚えていますか、イスラエルの空爆が始まった最初の日にイスラエルはハマス治安部隊のビルを標的にし、死者はただちに多数に上りました。しかし、指導部と基礎的構造のレベルでは、なんらかの大きな譲歩、あるいはいかなる大きな譲歩もなしに、多かれ少なかれ自らの存在を保持することができています。 それは「われわれはロケット発射を中止したが、われわれは君たちイスラエルがわれわれへの銃撃をやめ、われわれへの封鎖を解き、われわれを絞め殺さない保障を得た」と言い返すようなものではありません。もしこうした処理をもって彼らハマスが戦争をくぐりぬけることになれば、それはイスラエルの大失敗を意味し、ヒズボラが二〇〇六年に達成したような政治的勝利と見なされるでしょう。 しかし今、私たちが話しているこの時点では、これは純粋に仮説です。私たちは事態がどのように進展するかを予測できないからです。現実にはっきりしていることは、世界的レベルではなく地域的レベルでは、イスラエルの猛攻撃はハマスの人気を非常に高めています。私たちはこれを当然とはいえませんが、同じことがハマスとファタハの競争関係ゆえにガザのパレスチナ人にあてはまります。 この点では混ざりあった報告がされています。もちろんファタハの支持者は「ハマスはわれわれをこの恐ろしい状況の下に置き、われわれは彼らのために苦しんでいる。もちろん最初に非難されるべきはイスラエルだが、しかし……」と言うでしょう。同じ「しかし」という言葉を幾つかのアラブ諸国の政権から聞いています。これは、イスラエルの猛攻にきわめてはっきりと共謀していたエジプト政府がそもそもの初めから表明していたことであり、米国のアラブにおける同盟者からあちこちで聞かされた言葉です。同じレトリックを二〇〇六年に聞いたし、レバノンへのイスラエルの攻撃に際してヒズボラに同じ非難が加えられました。 ハマスが最終的に政治的にどうなるかはこれからのことです。私は、彼らが長期的に、あるいは中期的にさえ、どうなるかを分析するには早すぎると思います。当面のところハマスに関して確かなことは、私が言ったように地域的レベルではハマスの人気が上がるということです。これはイスラエルはあるアラブの国をターゲットとして選び出し、攻撃を開始した時にいつでも生じる自動的な結果です。ターゲットが自動的に人気を博すのは、イスラエルへの憎悪、そしてこの地域でのイスラエルによる恒常的な侵略のためです。 イスラエルによる犠牲者、そしてとりわけイスラエルに抵抗するあらゆる勢力は、この地域で人気を博するのは確実です。 アッバスと獄中 のバルグーティ ――先週、ファタハの若い世代の間で、一定程度の不満があるという話がありました。マルワン・バルグーティがマフムード・アッバス(パレスチナ自治政府大統領)の声明を批判するメッセージを獄中から送ったという報告がありました。ファタハの現指導部の基盤喪失が何らかの実質的な形をとりそうだとあなたは考えますか。ファタハの指導部が路線を変更するチャンスがあると考えますか。 バルグーティはある意味でファタハの持ち札です。マフムード・アッバスにはもはやどのような信頼もありません。彼は何事にも従う人間、この地域的ゲームの中で二流の人質として現れています。彼はファタハの中でも人気がなく、ファタハが別の指導的人格を今すぐ、ないしは近いうちに必要とすることは明らかで、バルグーティは代わりになる人物でしょう。 しかし彼が獄に囚われて以後、彼の運命がイスラエル、そしてワシントンの意向に依存していることは確かです。今や、バルグーティが釈放されて以後どのような振る舞いをするかを知るのは難しいのです。大きな問題は、彼が米国、ならびにパレスチナ人の中で米国の第一の手先であるムハンマド・ダハラーンとどういう関係を持つのかということです。ダハラーンとバルグーティは二〇〇六年の選挙で選挙連合を結びました。それは彼らがアッバス以後のファタハで協力関係を維持し、結束した支配的チームを形成することを意味するのでしょうか、それとも彼らは競合関係になるのでしょうか。それはこれからのことです。 エジプト政府 の偽善的言辞 ――あなたが言ったように、とりわけエジプト政府のムバラク政権、そして多かれ少なかれすべての親米アラブ諸国はイスラエルと共謀していたように見えます。もしいっそうのエスカレーションが行われ、あなたが述べたようにイスラエルが手負いの獣のように振る舞い、ガザのパレスチナ人に対していっそう残虐な手段を使うようなことになれば、すでに相当なものになっているように見える自国の民衆の怒りをエジプト政府が抑制するのはどれほど難しくなることでしょうか。 ええ、彼らは共謀しているように見えるだけではありません。彼らは実際にイスラエルと共謀しているのです。彼らは、猛攻撃が始まる前にそのことを知らされており、それは新聞で報じられていました。侵攻が始まった日、ロンドンで発行されているアラビア語の日刊紙「アルカズ・アルアラビ」は西岸の通信員からの文章を掲載しましたが、それは次のように説明しています。 その前日カイロにいたイスラエルのリブニ外相は、エジプト政府当局に対してイスラエルがハマスに対する作戦を開始しようとしていると語った、というのです。エジプトの情報部門のトップであるスレイマン将軍は、彼女(リブニ外相)にイスラエルがハマス兵士だけをターゲットにして、市民は除外するよう配慮してほしいと頼みました。さて、この記事が掲載された同日に侵攻が始まり、ガザの警察官舎をターゲットにするところからスタートしたのです。そこでちょっと見たところでは、イスラエルの猛攻は市民を除外して、武装勢力だけを狙ったように思えました。この事実は、エジプト政府がその日に攻撃が始まることを知らされており、ハマスに対してそれを告げることさえしなかったことを疑いの余地なく示すものです。攻撃が始まった時ハマスは驚き、そのために当初において武装部隊に多くの死者を出してしまいました。 エジプト政府や他の親米アラブ政権は、ハマスの弱体化をきわめて強く望んでいます。彼らはハマスを一掃することを望んでいるわけではありません。彼らは、かりにそれが全く可能だったとしても、そのためには巨大かつトラウマとなるほどの人的コストを要することを知っているからです。彼らは、イランとのつながりを断ち切り、生存のためには彼らに依存するしか選択はないほどにハマスを弱体化させることを望んでいます。これこそ彼らの願っていることなのです。彼らは飼いならされたハマスを求めており、したがってイスラエルがハマスをおとなしくさせるよう望んでいるわけです。 そこでイスラエルはハマスに教訓を与えなければならず、エジプト、そしてエジプトの背後にいるサウジとヨルダンはハマスに言おうとしています。「ごらん、君たちにはわれわれと協力する以外の選択はない。君たちはわれわれの条件の下でゲームに加わり、イランやシリアとのつながりを切るのか。さもなくば君たちは単独でイスラエルに対峙し、彼らが君たちを粉砕する可能性に向き合うことになるだろう」と。 もしイスラエルの作戦が裏目に出れば、もちろん彼らは純粋な機会主義によって、ただちに態度を変えるでしょう。彼らは立場を変更し、イスラエル叩きを始め、効果のない非難声明を山ほど増やすでしょう。エジプト政府は、ガザのエジプト側国境の国際部隊の問題についてイスラエルへの失望をつのらせるかもしれません。この問題についてエジプト政府はイスラエルの要求を拒否しています。 不釣合いなまでにおおげさに吹聴され、エジプト政府やお仲間のアラブ諸国がイスラエルと対決しているふりをするこの種の問題が存在しています。しかしこの対決は「責任ある」やり方で行われており、なぜなら彼らはイスラエルの軍事力を知っており、民衆の福祉に配慮しなければならないから、というわけです。したがって彼らはハマスのような「とんでもない」連中を嫌っています。これが彼らの偽善的言辞なのです。 レバノンのヒズボ ラとガザのハマス ――ヒズボラはレバノンで、ハマスならびにガザの住民と連帯した非常に大きな集会を幾つか組織しました。ヒズボラの支持は政治的なものに止まっているのでしょうか、それとも一部の人びとが警告的な口調で推測しているように、ヒズボラが北部国境でイスラエルに対する第二戦線を開くかもしれないという展望はあるのでしょうか。 そうした展望はないと私は思います。昨日(1月9日)レバノンからイスラエル北部に撃ちこまれた三発のロケットは、シリアと結びついたパレスチナ人の小グループの一つから発射されたものでした。ヒズボラはただちにあらゆる責任を否定し、ヒズボラが参加しているレバノンの連合政権は全会一致でこのロケット発射を非難しました。この段階での現実は、政治的連帯をこめた大規模なデモと宣言ですが、ヒズボラも二〇〇六年の事態から教訓を引き出しています。 二〇〇六年の「三十三日間戦争」後のことを覚えていますか。ヒズボラの書記長であるハッサン・ナスララはインタビューで、七月二十二日の二人の兵士誘拐に対するイスラエルへの反応がこうしたものであることを知っていたなら、ヒズボラはそんなことをやらなかっただろうと言いました。彼はこういうことを言いたかったのです。「彼らが私の国を破壊し、わが国民を千五百人も殺すことを知っていたならば、私は彼らに口実を与えるようなことをしなかった」と。これは人間的感情に向けて彼が言いたかったことでした。 同時に私たちは、イスラエルにとってこの兵士誘拐が口実に過ぎなかったことを知っています。兵士が誘拐されていなかったとしたら、イスラエルは彼らがその時やろうとしたことを実行するためのどんな口実をも見つけるか、あるいは作り出そうとしたことでしょう。 ヒズボラは国連安保理決議1701を受諾しました。それは南部レバノンに、レバノン軍だけではなく国際部隊(UNIFIL)をも配備することを意味していました。これはまさにヒズボラに利益となるものではありませんでした。この部隊は圧倒的にNATO軍によって構成され、したがってヒズボラ自身への潜在的脅威だからです。にもかかわらずヒズボラがそれを受け入れなければならなかったのは、それへの代案はこの恐ろしい戦争を継続するということであり、このレベルでは人的限界があったためです。したがってヒズボラは、とりわけダマスカス(シリア政府)とテヘラン(イラン政府)の双方からのゴーサインを受け取らなければ、第二戦線を開くというような完全に無責任と見られるイニシアチブを取らなかったのです。 他方、ハマスをふくむ西岸のパレスチナ人自身が第二戦線を開いていないのにレバノン人が戦線を開くことなど、どうして期待できるでしょうか。ハマスは西岸からロケットを発射しませんでした。ところでこの事実は、ガザだけで全権力を掌握し、二つのパレスチナ人地域を分離することになったハマスの決定がいかに深刻な誤りであるのかを示しています。 ダハラーンが米国とイスラエルに支えられてハマスに反対する組織化に奔走していたことへの機先を制するクーデターをやるべきではなかったというのではなく、ハマスは実際に彼らがやったようにPA(パレスチナ自治政府)機関からファタハを一掃すべきではなかったということです。闘争にとっての戦略的要請は、地域全体のレベルで闘争を築き上げることであるにもかかわらず、パレスチナ自身が二つの断片に割れてしまいました。これは悲しむべきことです。 こうした出来事は、武器の戦略的選択の全問題に関する討論をも引き起こしました。ハマスは英雄的な抵抗を行いました。この点について疑問はありません。しかしわれわれはレバノンの情勢とパレスチナの情勢を比較することはできません。 イスラエルがレバノンを占領していた期間、ヒズボラはおもにレバノンの各地に集中する形で占領軍に対する反占領の持久戦を展開しました。それは一九九六年四月に米国の仲介で、以下のように規定された占領者との協定にまで至りました。「レバノンの武装グループはカチューシャロケットその他の兵器をイスラエル領に向けて発射する攻撃を行わない。イスラエルならびにその協力者は、レバノンで市民ならびに市民関連のターゲットにいかなる種類の兵器も発射しない。さらに両者は、どのような条件においても市民を目標にした攻撃を行わず、住民居住地域、産業施設、電力施設を武器発射場所として使用しないことを保証する」。 レバノンの置かれた地政学的性質、ならびにレバノンの住民居住地域におけるイスラエル軍の存在は、民衆的レジスタンスを可能にするものであり、このことは結果としてイスラエル軍が二〇〇〇年に敗退と見られる形で南部レバノンから引き上げるという勝利をもたらしたのです。 しかしガザの場合、イスラエル軍はガザ回廊内部からは撤退し同地域を包囲しています。この状況は、ロケットを南部イスラエルの住民居住地域に向けて軍事的にイスラエルと対決することを戦略的に大して意味のないものにさせています。 インティファー ダの持つ戦略性 問題は次の点にあります。パレスチナ被占領地域の観点からすれば、一九六七年以来のイスラエル国家に対するパレスチナ人の闘争の総括を引き出すとするなら、パレスチナ人の闘争が効果という点で最も頂点に達したのは、火器や自爆やロケットなどの手段を使わず、ただ大衆動員で立ち向かった一九八八年のいわゆる「石つぶての革命」、すなわち第一次インティファーダの時でした。これはイスラエルにとって最も恐ろしいことでした。それはイスラエルを恐怖に満ちた政治的困難に追いやったのです。 引き出すべき教訓がここにあります。こうしたことは地域のすべての勢力が考慮に入れているわけではない戦略的理解の問題なのです。現在、かつての民族主義に鼓舞された最大限綱領主義者のような、宗教的精神に鼓舞された多くの最大限綱領主義者が存在しています。しかしそこには、戦略を描き上げるための諸条件に関するどのような現実的評価もほとんどありません。 もちろんPLO――アラファト、そして現在ではマフムード・アッバスのPA(パレスチナ自治政府)のことですが――のような「現実主義」の名での屈服の戦略ではなく、どのようなものであれ現在の条件の下で実行可能な戦略的目標をイスラエルに強制する抵抗と解放、民衆的レジスタンスの戦略について言っているのです。そして現在広がっている客観的諸条件の下で残された可能性は、イスラエルを一九六七年の占領地域から撤退させ、この地域で少なくとも政治的主権の行使を実現し、民主的に自らの政府を組織する可能性を持たせることなのですが、それは選挙でのハマスの勝利に対して、イスラエルと西側のイスラエル支持国家がどのように反応したかを見れば、現在そうしたことはあてはまらないのです。 この当面する目標を超える唯一意味のある長期的戦略は、イスラエル社会それ自身の分裂を含んだものでなければなりません。それはPLOとハマス双方の戦略がそうであったような、イスラエル社会ぬきで純粋に構想できるものではありません。外部からイスラエル軍を敗北させる可能性はないのです。 ありきたりの言い方でその可能性がないのは、イスラエルの軍備が周囲のすべてのアラブ諸国よりもはるかに強力だからです。どの国も、エジプトやヨルダンだけではなくシリアもイスラエルと事を構えるつもりがないという事実は言うまでもないことですが。 歴史的なパレスチナ全域の解放のための「人民戦争」は無意味なことです。イスラエルが「一九六七年以前」の地域の圧倒的部分だからです。イスラエル軍は、ベトナムやアフガニスタンの米軍やレバノンのイスラエル軍のような占領軍ではありません。さらにイスラエルが一九六〇年代以来、核保有国であることは誰もが知っています。外部からイスラエル国家を破壊することに基づくあらゆる考え方は、それゆえ言葉のあらゆる意味において非合理的です。 国際主義の必須条件、すなわちシオニスト国家への勝利という望ましい課題を別とすれば、イスラエル社会の大きな部分がイスラエル政府の好戦的政策に反対し、公正と自決に基づく持続的な平和的解決のために闘い、そしてあらゆる差別を終わらせるというイスラエル社会の大分裂の必要性を考慮に入れないでイスラエルを敗北させる、などという戦略など無意味です。これは大きな、きわめて重要な必須条件なのです。一九八八年のインティファーダがいかに重要であるかというのはそのためです。それはイスラエル社会の中にリアルで深刻な危機を作り出しました。 しかし私たちは今、イスラエル人の中に、彼らの歴史上最も凶悪で、過酷で、残忍な侵略への極めて高度の凝縮性と一致を見ています。それは何かしらの病の前兆です。こうした条件の中で、二〇〇六年のような大失敗になったとしても、そこから何が生み出されるでしょうか。イスラエルの住民の多くが自国政府の政策――シオニズムは言うまでもなく――と決裂し、第一次大戦時のドイツ国民の大きな部分やベトナム戦争時の米国民のように反戦に転じるのではなく、むしろいっそうの右への移行となるでしょう。 この地域の全体の構図がきわめて暗いのは、私がすでにお話したことですが、私たちが願っているようにこの攻撃が大失敗に終わったとしても、次に来るのは現政権よりもさらに悪いネタニヤフであることを、あらかじめ分かっているからです。こうしたことが、どこで終わりになるかの予測はとても難しいことですね。 二国家的解決の 歴史的な限界 ―― パレスチナ人にとって極めて危険な時、おそらく一九六七年以後に直面したのと同じくらい危険な時のように見えます。イスラエルのメディアサークル、支配層のサークルの中では、ガザ回廊をエジプト当局に引き渡し、西岸の人口が多い地域をヨルダンに引き渡すということが話されています。もしその計画、あるいはそれと似たことが実施されたら、将来にわたりパレスチナの民族的願望にとって確実に致命的なものになるでしょう。パレスチナ社会内の勢力は、民族運動の展望を改善するためにどのような一歩を踏み出せると思いますか。 実際には、あなたが言ったようなものではないと思います。第一にヨルダン王政自身、今、西岸の支配を再開しなければならないことに怯えています。それが現実的な展望となった時、ヨルダン王政はパレスチナ人の戦闘性の増大を考慮にいれていました。フセイン前国王が構想したプランが連邦制だったのはそのためです。つまり西岸に、あるいは西岸とガザにある程度自治的な政府を与えるというものです。 しかし現在の問題は、ヨルダン王政はマフムード・アッバスがパレスチナの住民を抑えるなどということに依拠できないことです。彼らは、自分たちがきわめて急進化した住民に直面していること、そして西岸のパレスチナ人とヨルダンのパレスチナ人――ヨルダンで彼らはすでに住民の多数派を構成しています――との結合、合同はヨルダン王政にとってきわめて危険であることを知っています。このことが問題なのです。 西岸とヨルダンの再結合はパレスチナ人の利益となるのは確実です。西岸とガザでのいわゆる独立国家は賢明ではありません。この点で私は、二国家的解決を批判している人に全面的に同意します。イスラエルとヨルダンの間で締め上げられ叩かれる人質になるのならば、西岸の独立国家は無意味なのです。したがってパレスチナの人びとには、ヨルダンが提供する息継ぎのスペースと出口が必要なのです。ヨルダン川両岸の人間的・家族的な連続性については言うまでもありません。両岸には人間共同体の歴史的統一が存在しており、そのコミュニティーが自決権を行使できるようにするためには、ヨルダンにおいて異なった政府、つまり真に民主主義的で、現在のように部族的性質を持ったエスニック的分裂を煽りたてる体制によって住民の多数が抑圧されるようなことがない政府が必要です。 両岸の再結合という展望にヨルダン政府が熱心ではなく、積極的に考えようともしていないと私が考えるのはそのためです。一九八八年、フセイン国王は彼の王国と西岸地域とのつながりを公式に切り離しました。なぜそうしたのでしょうか。 非常に単純な理由です。一九八八年にはインティファーダが最高潮に達し、一九四八年に彼の父親がシオニストとの間で行った取り引き以来、王政が統治してきた西岸――彼の王政は一九六七年まで多かれ少なかれ大したトラブルもなく西岸を支配し、その後イスラエルの占領下に置かれた――はインティファーダの光の中で管理不能になったのです。西岸は手に負えないものとなり、操作が危険になりました。そこで彼はつながりを公式に断ち切り、西岸へのあらゆる要求を放棄したわけです。 第三の潮流を どう考えるか ――パレスチナの政治的ステージは予見しうる将来にわたりハマスとファタハの所有物であり続けると思いますか、それとも現在では周辺的な勢力の一部が、より大きく発展するチャンスがあると思いますか。 現在のところ、そうした展望があるとは思いません。つまり、当面のところファタハとハマスという二大アクターへの真の挑戦者はいないのです。他の現存勢力、とりわけパレスチナ左翼は余りにも多くの機会を逃した後で、信用を失ってしまいました。したがって何かしら新しい勢力が勃興することがなければ突然の奇跡的な発展を期待できません。 私たちはまだそうしたことを聞いていませんし、どの勢力が時間をかけて成熟するかについても知りません。現在の条件の下で起きることは、パレスチナ人社会の中での二つの極となる勢力内部でのさらなる事態の展開でしょう。つまりファタハ、そしてハマスの中での異なった分派間での闘争です。彼らは大きな勢力であり、大衆的支持者層と党員を持っているため、両者とも一枚岩ではありません。現在のところ彼ら内部からの変化の方が、外部の新勢力の予期せぬ発展よりもありそうな話です。 私は、パレスチナ人の中に存在する左翼の伝統に基盤を持つ進歩的運動である第三勢力の発展をきわめて強く願っています。そしてそれはファタアやハマスに対抗するほど強力ではありませんが、ガザにおいても決して無視しうるものではありません。私は、何らかのパレスチナ左翼が真の中心的プレーヤーとして登場することを強く望んでいます。しかし率直に言えば、希望や願望は別にして、当面の間それは現実的展望とはなりません。われわれはそれについてどのような前提もないのです。 ▼ このインタビューは二〇〇九年一月十日に行われた。インタビューアーは「アイリッシュ・レフト・レビュー」誌のダニエル・フィン。ジルベール・アシュカルは現在ロンドンのオリエンタル・アンド・アフリカンスクールの教員。邦訳書に『野蛮の衝突』(作品社)、『中東の永続的動乱』(柘植書房新社)など。 (「インターナショナル・ビューポイント」09年1月号)
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